-153話 追撃と逃亡 ①-
「デューレンへ?!」
荷馬車の影に身体を隠している騎士が、戦士に逃亡先を提案した。
「済まない、この辺の地理には詳しくない。魔王軍の侵攻が斥候部隊だけとしても、此処まで来たことを考えるとなると...単に西進だけでは不味くないか?」
ラーレンから西側にある街だと聞いた。
エイセル王国は、その全域をほぼ魔王軍の掌中にある状況だ。わざわざ警戒もおよそ厳しいだろう、地域を目指す上手い理由がピンとこない。
「ディフェンダー城の周囲には、ロアーアイセルという、幅100mほどの流れが緩やかな川がある。付近に橋以外で対岸に渡れる、船着き場があってだな。これを利用して、デューレンへ向かうが、街に寄らずそのまま川を遡上して源流であるフリートワール河を目指す」
「その源流の先に何が?」
「陸地の逃走よりも早く、ローゼンデルト城へ向かえるはずです」
戦士が腕を組む。
マルが――『決めるなら早くしろ!』と急かしてきた。
彼女は、詠唱呪文で発生させた氷柱を、対岸に陣取っている連中に投げ込んでいる。
お祖母ちゃんだと口走った赤いベストの女性も、マルと同じような魔法を使用してこちらを爆撃しているという雰囲気になっていた。野伏が自前の武器・弓で、視界外からにじり寄ろうとしている魔狼族を牽制したり、斥候が石を投げている。
近くにあった槍を投げていたら、落ちていた武器が無くなったらしく“石”になった。
実は、他の兵士が投げられては困るモノとして、回収して回っていた。
「では、その川下り? で生き抜きましょう!!」
「かたじけない」
「決まりましたよ、姫さま」
戦士の声がマルに届くと『遅ぇーんだよ!!』と怒りのセリフ。
マル渾身の悪態である。
〝閃光衝撃弾!〟
横に横転した荷馬車と通りを挟んだ、土嚢の真ん中で強烈な光が弾け飛んだ。
降り注ぐ太陽光を遮光せずに見入ってしまったような、強烈な痛みも伴う光が当たりを包み込む。
と、同時に弾け飛んだ周囲の光が瞬間的に消えて闇が訪れた。
光属性魔法のひとつ、閃光衝撃弾というもので、光を見た対象は、数分間の視界を喪失するデバフ魔法だ。タゲ切りや逃走にも使用されるスキルだが、使用者がわりと少ない事の他に、代用スキルが多い為、注目され難い特徴がある。
他のタゲ切りよりも、効果時間が長く、視界回復が緩やか過ぎて個人差はあれど10分くらいは身動きさえも取れない代物だ。
これを放った後、マルと兵士らは脱兎の如く逃げた。
ラーレンの南、ロムスへ向かい一息をつく。
兵士たちは、甲冑をその場で脱ぎ、軽装備と弓、投げ槍、長剣を携えて息を整えた。
斥候が戻ってくると、
「いい事を街で聞いてきた」
「運河ですか?」
騎士が問う。
目を丸くしている斥候、おそらく自慢げに語る気満々だったのだろう。
「その運河、使えますか?」
マルをだき抱えている戦士。
走って疲れるという軟弱な人狼ではないが、マルの方が心配だった。
やはり女の子でもあるし、お年頃とはいえ風格は幼女だ。
「恐らくは船もあるでしょう」
「それ、確認してきました! 用意してきたんで」
と、斥候が鼻息を荒くして、やや胸を張っているようにも見えた。
「僥倖とはこういう事なのだろうな」
「ぎょ、僥倖って、物珍しく言うなよ...」
斥候のデレを無視して、一行は船を使う。
運河は、西進する形で本流であるロアーアイセル川へ注ぎ込む。
街を出て暫くすると、追っての魔狼らが対岸の土手に現れた。
間一髪という雰囲気だ。
「先ずは、これで一安心だ...」
一行が乗る船は、漁船みたいな雰囲気だ。
甲板の下は、客室になっている。中では、足の裏が赤く腫れあがった、マルと少女の姿があった。
「姫さまとコイツも、限界だったか...」
料理長がマルの足にハッカ油を塗布する。
「や、す、スーっとする...気持ちいい」
「腫れが引きますよ」
料理長が干し肉を布袋から取り出すと、ふたりに分けて寄越してきた。
「しかし、魔狼の奴らはしつこいな?!」
マルの呟き。
「案外、狙いは姫さまなのでは?」
「まさか...」
◆
ロムスへ、魔狼の本隊が入城する頃には、運河を奔る船が船着き場に集められていた。
赤いベストの女と、黒い甲冑に身を包んだ長槍を持つ者とが続いて船着き場に降りる。
「この運河は?」
フルフェイスマスクからの声は、トーンが低く聞こえる。
腕を組んだまま、解く気配のない赤いベストの女は、運河の流れをじっと見つめているようにも見えた。
「内陸へ、物資供給や農作物への用水なども兼ねてあるのだろう」
と、彼女は口をひらく。
接収できた船の準備が整うと、魔狼らが乗船を勧めている。
「犬どもが、殊勝にもあなたの為の席を用意したようですぞ?」
フルプレートメイルの騎士がクスクスと笑う。
揶揄い笑いのような、聞いていて気分のいいものではない。
「私の部下だからな。当然の配慮である」
「ほう、いや然り。...いやいや、よく働く部下をお持ちで、何とも頼もしいですな」
「嫌味を言われる筋合いはない」
魔狼族と共に各地の偵察を行ってきたのは、赤いベストの女である。
マルが“お祖母ちゃん”と呼んだ、女性のことだ。
ただし、彼女には孫はおろか娘さえも小さく、結婚さえしていない。
視め麗しい表現が似合う、コラーゲンたっぷりのスライム肌の人だった。
黒甲冑の率いる本隊が来る前に、叫ばれて良かった。
これで彼が聞いていたらと思うと、ずっと『スライム祖母ちゃん』なんて言われ続けたに違いない。
「おお、恐い怖い...いや、だがその睨む目も...堪りませんなあ」
「人妻という響きも」
嫌な奴だ。
白兵戦だけでなく中距離の戦闘においても、黒甲冑から主導権を奪うのは厳しい。
斥候としての魔狼族も、今回の侵攻に合わせて本国から招集された戦力だ。そして目の前の黒甲冑も、同じ理由で将軍“冒涜”が子飼いの将として投じられた独りだ。
与えられた兵は、死人たちだ。
魔法の鎧と武器で身を覆う彼らと対峙して、並みの神聖魔法では役に立たない。
徳の高い敬虔な信者による、高い信仰心の祈りで五分と言ったとこだろうか。
着用している鎧の抵抗力で、打ち消されてしまうからだ。
「まあ、いいから乗れ!」
彼女に促されて笑いながら乗船。
この甲冑は、よく笑った。
「しかし、少女ひとりの為にどこまで追えばいい?」
副次的な依頼だった獲物が、偶然見つかったので追撃している。
エイセル国内で確保できればいいが、国境を越えられると厄介だと甲冑は告げた。
「将軍は、然程重視されていない案件だ。あまり振り回されるようなら、早々に見切りをつけ...」
赤いベストの女の向ける視線が、甲冑の中身を突き刺している。
閉口させるだけの目力があった。
「...分かっている。我らにも事情というものがあるのだ」
「先ずは行先を把握し、ローゼンデルト城の攻略を知ることが目的だ!」
と、彼女の口から魔狼族を率いる、偵察部隊の意図が語られた。




