-146話 脱出-
2階建ての借家には、厨房へまっすぐ伸びる配食用のエレベータみたいなものがあった。
これは手動式で、一人が中に入って、上下に通したロープを引き寄せて操作する。
上にも、下にもゆく事が出来る。
少女とマルは、身体が小さいのでふたり一緒に、厨房へ降りて行った。
先に降りて調理場の安全を確認していた、斥候がエレベータの前で微笑を浮かべながら待っていてくれた。
「姫さまも昔、こんな乗り物で遊んでましたよね」
わりと余計な事を憶えているもんだと、マルの眉間に皺が寄る。
が、確かに屋敷にも似たような設備があって、若かりし斥候と野伏を巻いていたものだと、思い出し笑いを浮かべる。
そして、箱から引き出される辺りまでが、懐かしい思い出だ。
「あ、あの時...ボクのパンツ見てニヤついてたよね?」
「え? まさか...俺っちは、煤汚れた姫さまの装いを見て“灰被り姫”だと、ひとり苦笑してたんでやす」
という、ダジャレのネタにされていた真実を聞かされる。
それは、それで嬉しくも無く、余計なことを聞かされたと酷く後悔した。
「足元気を付け...」
少女が箱から、お尻を擦りながら這い出る瞬間に、スカートが腰の上まで持ち上がってしまった。
マルと斥候のふたりの点になる視線。
無地のパンツに膨らむ瘤。
「見なかったことに...」
「見えなかった」
「見てない、いや何もな...い」
「いや、そっちのが意味深で嫌だ!!」
斥候の『え、だって...』のセリフをマルが遮る。
「今は、やめよう。というか、この子は女の子。それでお願いしますよ...ボクが泣きたくなるから」
「そうそう!」
少女に涙を浮かべた、マルの三白眼が突き刺さる。
これ以上、余計な事を言うなという訴えだ。
その後、料理長が降りてきて、野伏、最後に戦士が降りてくる。
全員が揃うと、裏の勝手口を偵察。
「裏手に気配は在りませんね」
「素人...というトコロでしょうか?」
斥候は、表の連中の足音が気になる。
「数は、そう多くないんですが」
店の前で、たむろする軽い足音が大人のモノとは違う。
そもそも、たむろする大人が少ない。徒党を組んで、悪さをする大人が絶対的に少ない。それでも顔役という裏社会を牛耳る連中が居ない訳でもないが、そういう連中こそ、公的機関と密接な関係を作るのが上手かったりするのだ。所謂、法秩序執行人という存在のことだ。
国軍の恐らく、40%近くがこの街とその周辺に集結し、隣国の絶対防衛線へ投入されている日々が続く。不心得者が軍の中からや、街からも出ないとも限らない――いや、出るからこそ、法秩序執行人の過剰投入でそれらを防いでいるのだろう。
執行人の性格の方がよく、問題視される。
彼らは、拷問が三食よりも大好きな連中で構成されていると聞く。
いや、これはあくまでも噂だ。
だが、街の外に棄てられた、ぼろ雑巾を見る機会があったとして、これを噂だと切り捨てていいモノかを悩むことにはなる話だ。
野伏は、都度、狩猟だと言って街の外へ出ている。
魔王軍側へ通じる街道には、“悪魔によって唆された末路”という串刺しの亡骸を目にしている。
これをじっくり観察することは出来ない。
周囲に立つ目の色の違う、兵士たちが見張っているからだ。
だが、拷問のような跡がある。
「キャラバンに潜り込んだら、姫さまとこの娘は、荷馬車に乗せよう」
野伏の思いやり。
人間が同族に行う狂気を、ふたりには見せたくないという配慮だ。
斥候が、勝手口から裏の通りに出た。
店の前では、少年たちが“CLOSE”の掲げた戸口でくだを巻いている。
あれでは、仮に店が開いていようとも、営業妨害の何物でもない。
集団の頭目のような少年は、短く刈り上げた頭に“Z”に似た傷を持ち、ふてぶてしく備品に腰かけている。腕の方もなかなかの筋力で、顔こそは童顔、少年といった雰囲気だが、身体の方はアンバランスながらに、筋骨隆々とした戦士向きのつくりをしている。
胸筋などは、どんな鍛え方をしたら、ああも肉厚になるのか斥候にも教えて欲しい雰囲気だ。
《少年たちだ》
心意交信による会話。相手は、グループの長である戦士だ。
こういう場合、人狼族の中で今、もっとも族長に近い戦士に、情報を集めるのが群れの鉄則である。
《数よりも、ここに居る理由が面倒かもしれない》
斥候は店の影から、彼らを見ている。
暫くすると、戦士が斥候の脇へ。
「このまま、マーケットの雑踏に逃げ込んだ方が、いいかも知れないな」
「では、急ごう」
群れは、裏道から市場を目指して家を出た。
持てるものをは少なかった。
せいぜい、今着ているものと、料理長が持ちだせた装備の一式、僅かな金貨や銀貨といったところだ。
◆
最前線へ慰問活動を行う旅商は、交易商人たちの副業みたいな形で行われている。
交易の利益は、この時勢によってほぼ倍近い数字が出る。が、国の税率も大きい。
特に大儲けを赦さない傾向にあり、ウォルフ・スノー王国での税率は4割強或いは、5割までになっている。
これら税金対策の逃げ道として、最前線の兵士たちに奉仕活動――所謂、慰問活動を市民たちに寄る自発行動を促している訳だ。だが、納税義務を免れたとしても、慰問による失費の方が高くつくケースもあって、一概にどちらかという事はない。
寧ろ、素直に納税した方が良いというケースもあった。
ただし、野伏が聞きつけた旅商は、公的機関の募集だった。
これは、間違いなく最前線行きの片道切符だった訳だ。
しょんぼり項垂れる、野伏の消沈ぶりは、見るに堪えない。
マルは、彼の肩に手を乗せて、顔を覗き込んでいる。
「気にするな、最前線へ行ったとしてもこれは、慰問だ。戦闘に出されたり、性的な行為を強制されるものでもない筈だ。せいぜい酒を注いだり、薪を拾わせられたり、肉の調達とか...まあ、そういうものだと考えておこう。それよりも、人狼族がボクを逃がすために、骨を折った事の方が重要だ。まことに感謝する」
マルが4人の人狼へ、首を垂れて謝意を表した。
「いえいえ、勿体ない...我らは姫さまの家臣にございます。主君を助けるのは、我らの務め...」
「不甲斐ない我らを頼って頂ける...姫さまに感謝致します」
と、戦士が膝を屈して涙を流している。
「や、縁起でもない...」
マルの呟き。
取り残されている少女が、口を挟む――『君たち、マルちゃんとどういう関係?』――何故、もっと早く問わなかったのだろうと、皆が思う。
「え? 今から...」
「あれ... タイミング悪い?」
少女以外の5人が、難しい相を浮かべ、口が尖がっている。
しかめっ面というか、如何にも不機嫌というか。
「この4人は、人狼族でボクの家に仕える戦士たち。昔から、姫さまと呼んで遊んでくれてたんだ...」
何かいろいろ、謂れのありそうな部分をカットしまくっている。
揺れる馬車の中。
「まあ、道中は長いだろうから、少し話すとして」
マルの口を塞ぐ戦士。
少女は怯えて、手足を引き寄せ丸くなっている。
「何があったんでやす?」
と、馬車脇に立っていた斥候が隊商の兵士たちに伺っている。
「未確認だが、目的地が変わって...」
隊の前列から駆けてきた兵が叫んでいる。
聞き取りにくいが。
《最前線の形が変わったみたいです》
戦士に向けられた、心意交信。
魔王軍の本格侵攻の再開であるという。
ここ1年、ずっと一進一退を続け、膠着していた西部戦線が動き出した。
《慰問の目的地は、これより南部のノルド・ホランスへ向かうそうです》
「どうした?」
マルの問いに、戦士の苦い表情。
「ノルド・ホランスの北部へ移動すると」
「そこは何処だ?」
マルは目が点になって、表情も薄い。
戦士さえも同じ相だった。
「あ...告知だ...」
少女は、インターフェースの全体通信欄“公式からのおしらせ”が、光っているのを告げる。
マルだけでなく、戦士たちにも届いていた。
「最前線更新記念?! プレオープンうぃ、ウィーク??? って...」
「常夏戦線、開始予告っての方が私は、気になるけどなぁ~」
少女の目に覇気が戻ってきたけど、今の置かれてる立場の方が心配だ。
そのイベントに参加する為には、今、この窮地から脱しなくては。
「ボクたち、取って食われたりしないよね?」
マルの心配は其処だ。
「その時は、自分が盾になって」
と、戦士の鼻息は荒い。
「だから、その時じゃ遅いって...」
荷馬車の母衣がひらりと捲られ、斥候の横顔が見えた。
「ノルド・ホランスの北、ローゼンデルト城で解散するという話で決まりました」
辺りの様子を伺っている斥候。
野伏は、荷馬車よりもふたつ先の馬車まで、先行して歩いている。
「その、城は?」
「聞いた話ではノルド・ホランス北部戦線の指揮所があるとのこと。軍の規模は、先のライエンより深刻ですが、隊商はそこで解散し、慰問活動も行われません。物資を降ろした後に引き返すとの事でした」
チラチラと、荷馬車の中を覗き込んでいる。
「では...」
丸くなっていた少女が、転がってきた。
「うわっ!!」
マルが避けると、暫くコロコロ動いている。
「あれ? こんな状態で...寝てる」
「案外、芯が太い子のようですね」
戦士が置物のように、積み荷の間へ少女を積んでいる。
「ま、いい夢が見れるといいのですが」
「全くだね」
 




