-144話 それぞれの日常-
ここは、長閑な“はじまりの街”バクーのいつもの風景。
ただし、元気でお転婆な少女の姿は、もう暫く目撃されていない。
クラン“ザボンの騎士”に所属し、いつもどこかで爆発音が響いていた日常が最近では、とんと聞かなくなった。魔法使いのサロンや、マーケットの試食棚の周り、足湯の休憩所、漫画喫茶や、スライムのたまり場にも彼女の姿がなくなっている。
もう、ひと月くらいになるだろうか。
彼女が、この地から姿を消したのは。
「あれ? 西さん...どーしたの」
メグミさんが、垣根の間から顔を覗かせている西さんを見つけて声を掛けた。
彼らしからぬ照れた仕草を見せ――
「い、いや。この近くを通りかかったので、ちょっと...」
「あ、通りかかっても、垣根を分けて首を突っ込むのは止めてくれます?」
植込みの木々を押し退けて、身体を突っ込んでクランの屋敷を覗き込んでいる。
日差しがいいので、メグミさんは、屋敷中の洗えそうなものを選択して、干している作業中だった。
「はは、こ、これは済まない」
「今日は、素直ですね」
「いやいや、私はいつも素直ないい人間だ。そ、それと... マルちゃんの下着が見当たらないが?」
洗濯物を見つめる西と、それに視線を向けるメグミさんの沈黙。
「ちょっと、西さん?」
「いやいや、私が? いや、私はし、下着に興味はない...ぞ、 ほら? アレだ...」
突如、西は、垣根の中で暴れ出している。
恐らくは否定しようと藻掻いていたら、絡みこんできたという感じだろうか。
「た、助けてください...」
西の情けない救済が発せられた。
◆
ウォルフ・スノー王国の日常は、昼夜を問わず、国境の東側で魔王軍と戦っていることだ。
対魔王戦線は、隣国の元エイセル王国、北のデプセン公国、ノルド・ホランス共和国に跨って敷かれている。いや、最も、ノルド・ホランスの北部と元エイセル王国全土は、魔王軍の侵攻で壊滅的な惨状に至っている。世界評議会において発言権のもっとも強い、グラスノザルツ第二帝国による世界観測という機構が、現状の“確認”を行ったところ、同地の市民は労働力として生かされているという。
要するに、国が滅びても人々は生き永らえることが出来るという観測結果だ。
だが、今現在、魔王の攻撃にさらされている人々に『抵抗を止めて、軍門に下れば、少なくとも殺されることはない』とは言えないのが現実だ。
世界評議会でも意見が二分する案件ではあるが、今現在は、戦線の維持と都度、兵員の逐次投入が日常化されている。参加加盟国百数十の国と地域による、巨大組織“世界評議会”。
◆
ライエンの街に滞在して2週間と少しになる。
結局、街に入ったはいいものの、街から出るのが容易ではないことに到着早々気づかされた。
魔法少女マルとオマケ程度の少女にも手配書が、国中に配布されていて、実に執拗に動きを封じられてしまっていた。特に大都市の城門などは、面割という形で、直接ソレらしい風体の子供たちをひん剥いて調べているという話だ。
ただし、街中の衛兵たちは緩い。
子供たちが魔法使いごっこをして遊んでいても、咎めることは無いのだ。
仮にいや、ライエンに居るのだが、街中に手配者が居ても“籠の鳥”という感覚なのか、聊か不用心も思えた。
人狼の斥候が、パンとワインを提げて返ってきた。
戦士と野伏も別の道から、肉などを背負ってきている。
2週間も居ると、家も借りて職もみつけて、馴染んでしまうものだ。
家の中では、マルと少女が料理長の手伝いをしながら、忙しく働いていた。
家の1階は食堂を、2階が住処という家屋。
「帰ったぞー! 坊主ども、いい子にしてたかー??」
戦士が、食堂の扉を押し退けると同時に、父親のような素振りで登場する。
店の中は、衛兵やら番兵などが食事をする軍人さん御用達の食堂になっている。
メニュー表には、“軍属専用・大盛無料・1割引き”と書いておいた結果、この繁盛ぶりだ。
ライエンの街において、軍属向け商売は多い方だが、表面的なものだけだ。
行商などは特にその傾向が強く、街の人に向かって売る代物より、戦場向けの品ぞろえが豊富といった具合か。まあ、そういう輩が集まるので、特段、街自体が何かしてやろうという雰囲気はない。
本音を言えば、早く出て行って欲しいという雰囲気だ。
マルと少女も店の外に出れば、街の男の子たちに“余計なことをしやがって”という目で見られ、半ば苛められている。
まあ、苛めと言っても可愛いモノで、マルは顔も手足も煤汚れた風体の華奢な少年を演じ、その風貌と小汚さを揶揄われて、突き飛ばされたり、叩かれたりされた。抵抗をしないでめそめそ泣く子に終始している。
少女の方は、背格好からもう少し大人びた子供たちに弄られた。
彼女くらいの風体だと、街の学校という教会運営の私校に入ることが義務つけられているようで、面倒この上ない。
結局、1日の6時間余りをその私校で過ごしている。
泥だらけ、薄汚れたマルと再会する頃には、少女の瞳は虚ろになっている。
「大丈夫? 毎日、心が蝕まれてないか...心配だよ」
マルが、治癒魔法を唱える。
身体の傷は魔法で癒せるが、心の傷を癒す力はない。
「上級生の男の子が、凄く怖い子がいて...」
「うん」
「目がさ、直視できなくて...生臭くて、苦しくて、嫌なんだけど...逆らえ」
「いいから、しぃー、ししし。ほら、泣いていいから、声出していいよ。苦しいんだよね、辛いんだよね」
マルの胸に顔を埋めて、嗚咽を交えて少女は崩れる。
何度か咳き込みながら、その日の恐怖を涙で流す。
流しきれるものではないが、彼女は暫くマルの胸を借りていた。




