- C 595話 カリマンタン島戦線 15 -
記者と別れた猫背の男は、群衆の中に消えた。
先ずは団子鼻に手を掛けて、もぎ千切る。
そのまま足元へ棄てて。
次に、目の下に広がる煤汚れと口髭、頬の赤みのメイクを拭い去る。
同じように手拭いを棄てた。
風に飛ばされ、何処かへと消える。
さて、顔の違和感が無くなると猫背の解消だ。
背筋を伸ばして、配管工のような帽子とジャケットが路地に放り投げられた。
これらの服はすぐさま、路地裏の住民に持ち去られる。
なんと素晴らしきエコロジーな世界。
ただの貧しさである。
首の骨を鳴らし、
頭髪を整えながら――顎鬚の伸び具合に舌打ち。
「変装とはいえ、顎鬚を伸ばすは紳士的には...」
鼻の周りにある糊のべたつきも気になる。
早く顔を洗いたい気分だ。
「そんな潔癖症だから、現場を外されて教鞭なんか取らされたんだぞ?!」
いつの間にか長身の男の傍に、美少女然とした子供が同じ歩幅で歩いてた。
しかも、物言いはかなり上からである。
「いえ、教育者へは私からの希望でしたので...」
子供の頭を鷲掴みに。
「なぜ、あなたが?!!!」
「大番頭が心配だからに決まってるだろ。久しぶりの現場だから、な」
生徒たちは今のところ再教育が必要になっている。
その中で唯一、一人前として行動できるのは“委員長”だけども。
彼女は黒蜘蛛の眷属。
しかも、生徒たちの守護者であるから...
「だからボクが来た。なんか文句でもあるのか?」
大番頭にしてみれば、かつてのパートナーであり師匠だ。
こんなちんちくりんな形でも、変装の名人であり凄腕の暗殺者である。
「なんかいい印象じゃないみたいだけど」
「そんなことは無いんですけどね」
うん。
現役の黒蜘蛛はもっとスタイリッシュな、いや。
やめておこう。
彼の中の理想像が砕けてしまいそうだ。
◇
「で、時に何が聞けたかな?」
四六時中見張ってた訳ではない。
新聞社を出た記者の後をつけて、それとなく声掛けしてた。
このあたりのヒットは芳しくなかったけども。
「記者身分たちよりも、がむしゃらに働いている連中を見下している者ほど、よく喋るものです。しかも奢りだというと...誰のカネとも考えずに気前よく」
「そんな些細なことにイチイチ反応すんな。自分の立ち位置を誰かと比較して見つめ直すなんてのは、軍関係者でも、町医者でも、そこらのホームレスだって区別をつけたがる。そうでもしないと、自分たちの幸福度が図れないからな。いや、図れる物差しを持たないからだ...だから、自分が1時間に上司に頭を下げ、顧客には土下座して稼いだカネを“寄付金”として投じても自分らの価値が分からんし、愉悦に浸るものおる」
腰ポケットにあった銅貨を取り出す。
軽食を採ったつり銭だ。
ふと、ため息が出た。
ああ、ボクのこれも、かつては誰かの命の――。
「それこそ感傷とは言いませんかね?」
「あ、うん。その通りだ。で、大番頭?」
長身の男は、子供と手をつなぐ。
鷲掴みにされたあたりの髪を少女は、繋がれた手とは別の方で揃え直す。
まあ、女の子である。
「記者の目には公爵令嬢の近衛兵に違和感があった、と」
「具体的には?」
どちらも公国の騎士爵の平均を超えるものと見えた。
記者曰く――「あれは国外の人たちだと思う、ただ確証はない」――。