-136話 落日の聖都-
朝焼けの深い霧に包み込まれたクルクスハディンの港は、早晩の漁師たちが寄港を目指して、静かな水面を奔っていた。余りに濃霧な為に、各自で鳴らす警鐘の音色が方々で木霊しているように聞こえた。その刹那に起きた事故だ。
目の前を奔っていた、同業者の帆掛け船が木っ端に吹き飛んだ。
溺れる仲間を海中より救い上げると、その船の真後ろを巨大な黒い影が抜けていった。
「ぐ、軍艦?!」
引き上げられた友の言葉に、漁師が振り返る。
濃い霧だけが壁のように聳えている。
「何もない...」
暫くすると、霧の向こうでババッと光り出す。
続いて轟音、地響きに似た臓腑に響く重低音――衝撃波だ。
そして、また光が走る。
「ありゃあ、街の...げふぉ..」
再び漁師が振り返る。
迫る黒い壁に衝突して、木端微塵に吹き飛ばされた。
その日。
アスラを発した17隻の大型キャラベルは、1隻の脱落もないまま“黒き海”から“古き海”を渡って、クルクスハディンへ到達した。しかも、幸運だったのが彼らの船体を濃霧が隠してくれた事だ。教会の連中が逆の立場であったら、これこそ“神の奇跡”だと信じてやまなかっただろう。
また、軍閥の棟梁が魔法使いで、天候を操作したという訳でもない。
これは単なる偶然が、重なっただけに過ぎなかった。
街に戻ってこれた漁船は、ひとつも無い。
上陸用に舟艇が降ろされ、軍艦から雪崩れ込んだ兵士は凡そ、2万人。
17隻には、5000人の兵が残り、新開発の大砲が港町を襲撃している。
射程が短く、10kg未満の砲丸を火薬の力で圧しだす、火縄銃の改良であることは火を見るよりも明らかな兵器だ。が、それは、破裂音で驚かせるような些末な音響兵器とは全く別の代物だった。今のところ、原理について無知なため、供給元から買うほか数を揃えることが叶わない装備。
それでも、砲丸を打ち出して、これが地面や建物を穿つさまを見れば納得の価格であった。
対する教会軍も、守備に常駐する3000にも満たない兵がバリスタで応戦する。
上陸してくる舟艇に対し、連射式バリスタによる掃射が実施されたが、その殆どが街の外を向いていた為に、砲座の再展開と、従事できるバリスタ兵の未熟さによって上陸を赦してしまう。
この時を同じくして、教皇と残留する枢機卿による防衛・御前会議が始まる――。
市街地にてゲリラ戦がもっとも有効であるという意見が、武官より挙がるも、枢機卿らが決着ありきで早々に聖堂にて籠城戦と決する。この意に反して数百の兵士たちが暴走して、軍閥軍の先遣隊と衝突したものの、僅か一合の鍔競り合いで壊滅してしまう。
軍閥軍は、およそ最速で聖都の主要機関を教会軍の無抵抗なまま、掌中に治めてしまった。
これは、グレイ枢機卿と6万人が起こした奇跡の別バージョンと言える状況だ。
教会側は、最大動員10万の内、予備役兵もかき集めて急遽、6万で侵攻させたことが裏目に出ている。
兵役の義務による常備軍は、2万で聖都防衛に1万、国境の街“シェイハーン”城塞都市に1万を裂いている。通常、交代制の兵役で、半年後に予備役の2万も加えて4万人が入れ替えで兵役に就く制度となっていた。これに無理を強いて6万も投入したのだから、周辺から兵士の数が少なくなっている状況にあった。
軍閥側が、この内情を知っている訳では無かった。
棟梁による苦し紛れ、或いは博打のひとつによる反撃だった。
「船から大砲を降ろせるか?」
棟梁が聳える城のような聖堂を見上げている。
聖堂は、かつての王国の居城を再利用した建築物だ。水堀や高い城壁も健在で外観だけならば、防御力は相当に高い。街が陥落しても、市民を収容して暫く耐えられる造りとし、街の外へ逃がせる機能などが施されていた。
教会が接収した折に、そういう脱出めいた地下水路などは、撤去してしまった。
泥棒が横行したからだが、教皇と側近たちは仮にそういう施設があっても、存在を知らない可能性が高い。場内を検索した手記などが破棄されているからだ。
この辺りの事情は、数世代前の教皇らの指示に寄るので分からない。
結局、聖都は聖堂を残して、事実上陥落してしまったことになる。
「2門ほど降ろせたと、報告が入りました」
副官が耳打ちする。
「軍師殿はシルクシェルで教会軍と対峙した模様です」
「随分、引き付けたな?」
「ジーワスからの補給線を気にされたのでしょうか?」
車輪の付いた大砲が馬によって、引かれて登場する。
大砲は、ずんぐりとした丸みのある鉄の筒だ。
装薬という火薬を入れてから、砲丸を砲口から落とし込む。
これを火種から火薬に引火させて、燃焼ガスの圧力で砲丸を打ち出す訳だが、2門だけでも衝撃は、火縄銃の数百倍のインパクトがあると考えていた。
「さあて、先ずは頼みの綱である城壁を吹き飛ばしてやろう」
◆
末弟皇子は、マルティアの領主館から銀食器をいくつか拝借してきていた。
腰に下げた革袋には、ナイフにフォークの1組、スプーンなどが放り込まれてある。
本当は、大広間にあった燭台なども値打ちものだと分かっていたが、絶えない人の目がある為に持ちだせなくて、こういう小銭程度の盗みがやっとだった。平民出の腹から生まれた奴には、これが精一杯かと上の兄から揶揄われるだろうが、いや、真面目に彼にはこれでも心臓高鳴ってしまって思考も停止してしまっている。
兎に角も、このマルティアに集また貴族たちは、王国への義務を果たす輩ではないと皇子は理解した。
王権の維持と新しき王が必要だという事を、理解していないと呟く。
「こんなところで私は、終えられない! 私こそが王に相応しい人物なのだ」
と、彼は、ロバの背に鞍を載せている。
「今に見ていろ...」
彼は、ロバに跨ってマルティアを出て行った。
 




