- C 581話 カリマンタン島戦線 1 -
集団催眠の大規模術式魔法――“ラブ・アンド・ピース”。
命名は帝国の魔女こと、マーガレットの中二病によるものだけども。
その効力範囲と、浸透力と角度、精度はひとつ桁の違う威力がある。
いや、あったというべきか。
北カリマンタン島の惨劇を隠し果して尚。
南カリマンタンを北島だと誤認させる、強引な認識疎外魔法。
なにもない“マカッサル海峡”へ、東洋の揚陸部隊を送り込ませてしまうほどの視覚情報のすげ替え。
のこのこと現れた鴨を狩るだけの易い仕事。
術式の外側ではちょっとえげつない――虐殺が行われてた。
まあ、これを虐殺だと言わないのは倫理の破綻だろうってとこか。
まったくとんでもない魔法を考えてくれたものだよ。
ただし、この大魔法にもデメリットがある。
術式の維持費、コスト問題がソレ。
霊脈と呼ばれるマナ流から直接、魔力を補充しないと人の手で維持するには難しい。いや、死者が出ても可笑しくはないくらいの大飯ぐらいだって話。オドで維持できるものではないから、かつての帝国では使用されることは無かった。
らしい。
◆
そして今しがた、展開されていた術式の指向先が変わった。
「大魔法の向きが変わった」
黒蜘蛛には、状態異常は効かない。
これは彼女の体質に依る。
「なるほど、この景色。この感覚を《黒蜘蛛》が感じていたものでしたか」
確かに陸諜のセーフハウスは、南カリマンタン島にある。
例のお堅いビジネス書を発刊する出版社が表の顔で、だ。
「ずっと北だと思わされてたから、南にある筈のこの社屋も...全く気にしていませんでした。これが?」
「ボクが北で見た魔法陣の正体だよ」
遠見の鏡ごしでは、その効力は及ばない。
現実に局長は瞬きが多くて、やや神経質そうにこちらを凝視していた。
「よもや、そのちびっ子が例の?」
彼にはアホ毛が生えた童顔な子に見えるらしい。
92パーセントほぼほぼ美少女という、本人の言葉とは少し違ったもののようだ。
「陸諜のエースですね」
「信じ難いものだが、うむ。講師の君がそういうのであれば...この任務、やはりちょろ...」
「ちょろい訳あるか、ボケ!!」
大番頭の足元からよじ登ってくる少女。
鏡越しとはいえ、やはり礼節は必要なことだろう。
相手は、秘密警察の大幹部である。
「...っ、な、なんだ!! この礼儀知らずは」
「まあ、これもひっくるめて伝説の暗殺者《黒蜘蛛》なんですよ。他人を怒らせる、イラつかせる、精神衛生上に支障きたさせる...などなど。まあ枚挙にいとまなくとでも言いましょうか。これこそ彼女の本領発揮――相手の選択肢を奪い、こちらの土俵に揚げる...」
ふんすと、鼻息の荒い音が鏡の向こうから聞こえた。
「それではただの無法者と変わらんではないか!! 伝説とは、誠にそのようなものか?」
やや呆れてるようだけど。
今のところは“404”の捜索が困難だったという報告だけど。
もっとも、御かげで上層部は、もっと安易に情報が得られると思ってたようだけども。
「我が国最強のスパイ組織といえども、この程度か」
ってな感想が漏れた。
黒蜘蛛としても反論する気が失せて、勝手に部屋を後にした。
「陸諜の方はこの際、どのような評価も甘んじて受けますが...件の“大魔法”どのようになっているか調査だけは行った方がよろしいでしょう。或いはかなり最悪な結果を留意しなくてはなりません」