-1.4.1話 橋頭保-
ラテンセイル・ジーベックは、櫂を生やして暗い大海を島陰に沿って静かに進んでいた。
その数、4隻――魔王軍きっての遊撃戦隊として人類史上、その艦隊と対峙できた群は一例も無く、現環境最強の水上戦隊である。また、彼らがここまで深く人間勢力地域まで侵攻した例はなく、およそ半世紀ちかくの魔王と人間、闇と光の戦いにおいて初の出来事であろう。
かくして、ジーベックはその巨体を碧色の可愛らしい入り江に沈める。
4隻が収容されて聊か、手狭に感じるその入り江にはランタンの灯りを片手にオークがひとつ立っていた。
「将軍が自らこられたんですか」
オークが腕を伸ばし、下船する将軍の柔らかそうな手を取ろうと差し出した。
将軍は『すまない』と一言を告げ、ふわりと島に降り立った。
マーメイド族の女将軍と、勇ましい戦歴しか聞こえていないが実物に会えば、その華奢なつくりがよく分かる。潮の甘い風の香りを纏い、真珠のような白くて柔らかさのある四肢に目を奪われるような秀麗さと、ふくよかな胸は美女で間違いない。
オークで無くても垂涎の一品だろう。
「この戦隊は、私が融通できる唯一の戦力だからな」
と、オークのエスコートを今も受け取っている。
オークは『足元が見えないでしょう、どうぞ不詳なる私めに身体をお預けください』などと、巧みに言葉を操って女将軍との密着の機会を楽しんでいた。そうこれは役得である。彼は、ちょっと心が躍っていた。
が、女将軍にとってみれば『男なんて種族、種別に関係なくこんな事で嬉しいものかね』と呆れていた節がある。まあ、自分をメスだと認識している内は十分に活用させて貰おうとも考えていた。
だから、オークの獣臭い異臭にも目をつむって利用した。
足元がおぼつかない程度で船なんて乗れるかよ。
私は、戦隊司令官だ。
後に続く半魚人たちの苦笑がこそばゆい。
「先行している密偵たちはどこまで進めたのだ?」
将軍が、島の野営地に入ったのは暫くの事だ。
入り江から野営地まで10分ちょっとのところ。
天幕には厚手の毛皮で遮光して月明り以上の光を島から出さないように努めている。
「よく、ここまで集めたものだ」
女将軍の感嘆に、半魚人たちも声があがった。
野営地には300あまりの陸戦隊が陣を張っていたからだ。
人間側の勢力圏としてはまだ、最前線からいくらも離れていないとはいえ他の魔王軍の支援がない現状ではかなり深く侵入したといえる。ここまで入ると、哨戒船の数はだいぶ減って警戒は緩くなる。しかし、先刻の支援がない孤立した状態だから見つかれば、完全包囲されかねない。
そういう危険な地域である。
「お前も大概、危険なことしかしないが。俺もな、博打はリスクが高く無いと面白くないのだよ」
と、天幕に入ってきた女将軍の背中に声を掛けた。
彼女が振り返ると、ドラゴニュート族の将軍がそこにあった。
随分と緩い格好でのお出迎えとなっているようだが、間違いなく旧友のトカゲだった。
「なんだ、その如何にもゆるーい布着は?」
「七つの海を渡ったというのは嘘か? これはな東の果ての着物という装束だ。こんな湿気の多い地域ではこの装いの方が幾分か涼も取れてよいのだよ」
と、トカゲは足を組む。
インナーの褌まで着こなしたところを見ると、なかなかの熟練者のようだ。
「ま、なんとも恥じも外聞もない...物のようだな」
「そーでもないが、この地域でも似た姿の人間をよく見る。俺たちのレベルに成ればドッペルギャンガーのスキルで人を装うことなど造作もない。しかし、潜入ともなると習慣や風習というのは大事だからな――」
「心得ている。陛下もそれには随分と心を砕かれていた」
「ともすれば、郷に入っては郷に従えという。船は置いていくのだろ?」
「無論だ、あの船の伝説は人目を惹き過ぎる」
女将軍が甲冑の上位を脱ぐ。
魔法の言葉で織り込まれた特殊な銀糸が用いられた、軽くてしなやかな金属鎧。
強度はオリハルコンにも匹敵するとも言わしめた伝説級の一品だ。
魔王軍の将軍は、いくつかの階級で最低でも4種類存在する。
大将、中将、少将、代将だ。
これらの階級に、それぞれ特別な種族別特性のユニークスキル付与魔法装具があって、魔法甲冑が下賜されている。魔王自らが設計し、製造にまで携わったハンドメイド・アイテム。故に世界に一つのワールドアイテム級というものだ。
また、これとは別に軍団長という連中も存在する。
方面軍司令などは、彼ら軍団長の下に入るのでもはや、将軍と一括りにいっても天井は高く、深度も深くなる。見上げた空が青く見えるのは表面だけ、天井目指して登れば青は暗い闇に変わる。
軍団長の装備は伝説級だ。
魔王自らの魔力が込められているという話さえ聞く。
別次元――。
「あ、どこまで話したか」
「陛下を回収する為に今しばらく、潜行しなくてはならないってとこだが」
すっかり平服に着替えた女将軍は、腕を組み同位のトカゲを見下ろしていた。
「そうだったな、ここから少し離れた先に群島を持つ集落がある」
「人間社会でいう“裏”という暗部の世界だが、ここに海賊という職業の連中があってだな」
「海賊くらいは理解している。そいつらも人間だろ? なぜこちら側の使い魔みたいなことをする」
「いい質問だ。要するに、我らの水軍力を得たいのさ、人間の哨戒艦はま、コーストガード...所謂、警備力は魔物向きの戦力だということさ。人間同士にしてはオーバーパワーもいいところ。それで奴らはこちら側に泣きついてきた。一時の辛抱だ、人間嫌いの人魚姫さま」
トカゲの将軍は、はにかんで見せた。
「っち、この野郎! 私をそんな甘い少女みたいな感じで呼ぶな!! 三枚におろすぞ」
「なんだ、婿の貰い手失くすぞ?」
「大きなお世話だ! 海賊の連中が出入りしているなら、さしずめそこは海賊島か?」
「まあ、そんなところさ」




