-101話 戦場 ⑧-
「ふむ、お嬢さんの名を聞いてないな」
ラインベルク卿は、人の印象に残らない仕草が多い。
いや、本人が意図して私を誘導させてるんだ。
これは手品師のような。
「本名で呼ばれたいか、偽名か、何と呼ばれたい?」
「じゃ、ジャンヌで」
今の私が絞り出せる、精一杯の場にあった女性の名だ。
その意図をラインベルク卿も汲み取った。
彼の世界にも彼女の伝説はあるのだろうか...でも、僅かに目が優しくなったなら、彼女の名を知っているに違いない。
「では、レディ・ジャンヌ。私の興じる舞踏会へようこそ」
「シスター・エセクター、おーい?」
名を叫んでから多分、10分くらいして黒っぽい修道女が埃だらけで突っ込んできた。
赤茶けた毛髪量半端ない髪を、髪留めひとつで無造作に束ね、その髪に枝だの葉っぱだのが刺さっている。
一見すると、どこかの修道女なのにどことなく、罰当たりのような雰囲気が印象深い。
スカートの丈は、膝上のギリギリ...女子高生か、あんたは。
ワンピース調だと思うけど、ベルトで固定してウエストが窮屈そう...肉ついてるなぁ。
癇に障る肉の塊が上下にびょーん、びょーん...揺れ。
「こいつはバカだが、非常に仕事が出来る“悪魔”だ。よろしくな、ほら、お前も挨拶しておけ」
ラインベルク卿の調子がくるっているのが分かる。
この人の素は、こっちかも知れないな。
「うっす! エセクターっす」
「こら、初対面なんだからちゃんと、挨拶を...」
ラインベルク卿は、私の表情を見て動きを止めた。
確かに私はエセクターという女の子は知らない。でも、この雰囲気は知ってる――アビゲイルだ。
そして、エセクターもにぃっと微笑を返してくれた。
「そっか、あたしの影があなたの世界にも」
「ええ、はい」
「余り、かわいい顔をするな。エセクターは両刀だから...っておい!」
ラインベルク卿の忠告を他所に、エセクターが私の視界を遮ってきた。
埃塗れの女の子が急に視界一杯に広がって、私の中に入ってきた。心地の良い土足感で、私の膝上に腰を下ろし、頬を両手で誘い鼻の頭を互いに重ね合う。
拙い私のキスを彼女が優しく導く、彼女の匂いを全身で感じる。
親指が私の舌に置かれた。
巻き付けて、吸う。ヨダレが零れて――意識が...飛ぶ。
◆
気が付くと、真っ白な部屋のふかふかのベッドの上にいた。
意識が飛んだから、てっきり帰れたと思ったけど、それは間違いだった。
だって、私の横には可愛い吐息をたてる女の子がいる。
シスター・エセクターといった悪魔だ。
ラインベルク卿の前で随分とはしたない事をしたと、猛省する自分と、何をそんなに気に病むことがあるという悪い自分が葛藤している。少なくとも後者は、彼女との享楽を経て生まれた子だと思う。こんなに自分を表現してくる人格は初めてだ。
「男の子に見せてる顔は、そっちだよ」
って、エセクターの甘い瞳が私に向けられている。
「ジャンヌはね、表裏を上手く使い分けてた...けど、自分にも相手にも残酷に使ってた」
「残酷に?」
「そ、反抗できない人には、そう清純で従順ないい女の子。だけど、上手く自分を出せないから、遅かれ早かれで破綻する寸前... 男の子と長く付き合ったのはどれくらい?」
彼女の表情を見てない。
私の視線が天井にあるからってのもある。
「長く? 長いってどれくらいの...1年、いや3年?! え、そんなには...」
「憧れの家庭教師は、大学院生だっけ?」
「ああ、あのお兄ちゃんか... 私が中学に上がる前に。うん、センスが良くて細身の? 顔は...」
私の記憶はぼんやりしていた。
視界が滲んで見える。
目端から、こめかみを通じて耳の後ろに雫が流れて落ちた。
「あの人の顔が思い出せないよー、本当に大好きだったのに」
「それは当然だよ、彼があなたの初めての相手で――あなたを壊した人だから」
「ビッチで誰とでも股を開く、悪い女の子を演じることで、ポーカーフェイスを作った。それはとても残酷な鋭利な刃物をもって傷つけられたから、傷つけるという行為で実感した絆。いや、あの強姦してきた男への復讐めいた黒い呪いだね」
相手は“悪魔”だから心の中に土足で入り込まれても平気――な、訳がない。
やだ、やだ、やだ!! 何でこんなに見透かされてるの?! 何で...なんで。
なんで、優しく抱いてくれるの? 私、悪い子じゃん。
「お前も不器用な奴だ...な」
「さあ、服を...」
と、起き上がったエセクターの乳房が私の視界を遮っている。
ちくしょー、やっぱデカイよ...悪魔の癖にぃ。
「いや、今、随分とかわいい顔をしたので、ラウンドを再開するぞ!!」
「や、ちょー!!!」
エセクター診療所という天幕からメスの盛りついた声が漏れている。
それを聞かされる男たちの中腰はひとつの見ものだ。
「あいつら何時までちちくり合ってるんだ!!」
ラインベルクの悩みが一つ増えたような気がする。




