- 西欧戦線 シッターレーヘンブルク攻防戦 2 -
フェンロー城の包囲部隊が本陣、瓦解――という報告は守備隊に届く。
1000人の兵士たちの歓喜いや、これは雄叫びだ。
地をも揺るがすような叫び声に、領内から搔き集められた農兵たちも勢い、士気を大いに高めた。
こうなると、立場的に怪しくなるのが包囲している側である。
包囲網の絶対は、背後を攻められないようにするだ。
挟み撃ちにされるぞ――なんて滅多なことを口にするべきじゃない。
いや、然して重要でもない左翼の包囲陣形が崩れるだけでも、燻ってた変な噂に色が乗る。
左翼の一部隊が崩れたように見えたのは、紛れ込んでた敵方の雑兵たちによって、立てておいた旗柱が引きずり降ろされただけであった。
実害はない。
確かにその部隊では、引きずりおろされた旗を探してはいる。
「くっ、代わりの...ん? な、なんだ???」
城は完全包囲ではない。
半包囲という形で、厩舎や兵舎の壁によって阻まれて近づけなかった為やや中途半端だ。
敵方にしても、エイセル側から討って出ても包囲している側へ回り込むには、北回り或いは南回りの数キロメートル迂回する必要があった。
要するに、現実的ではない。
だから包囲側も背中を突かれる心配がないと判断してた。
「副長、」
長弓兵の部隊長が何気に、隣の部隊が反転しているのに気が付いた。
「これは一体?」
「さて...本陣からは何も」
何もなければ、眼前の城、或いは兵舎に向かって火矢を放つ作戦行動が優先される。
「おい、聞いてこ...」
と伝令を飛ばす前に、その部隊へ矢の雨が降る。
まあ、言わんこっちゃないという状況だ。
デュイスブルク側国境からも矢が降ってきた。
「て、敵襲!!!」
空から見ると、その状況がきっと滑稽にみえただろう。
混乱が伝染すると、それぞれ小さな塊だった隊が円陣を組んでくるくる回ってみえる。
理由は簡単だ。
シッターレーヘンベルクから来た野伏の兵が、矢を放つだけで混乱に追い込んでいるからだ。
先述の、後ろから敵は来ないという過信からきている。
中欧連合の三軍はルクセンブルク公に寄る。
かねてから書状を交わして、通行の許可は得ていた。
が、いざ軍を差し向けると国境には守備兵があった。
「これは異な状況ではないか?」
遠見の手鏡の前で指揮官が公王に尋ねてた。
親書もあるし、秘密裏に交わしたという割符さえある。
これで約束を反古にしたとなると――。
「いや、誠に申し訳ない」
話にならない。
指揮官は首を振り、
「通せない理由、ありますか?」
王の顔に汗が流れている。
済まぬなあ、一日中腹の調子が悪くてなんて、見え透いた言い訳が聞こえてきた。
「それはあなたの事情であって、国同士の...」
「いや、本当に申し訳ない...ここで足を止めさせておけと...言われたので、そうしておる」
何かの聞き間違いでもしたかと、
「は? 何を申され...」
“ダスブルク”監視塔に留め置かれた軍団のわき腹から、騎兵隊が雪崩れ込んできた。
高台に監視塔があっても、軍団はその下の沢の近くにて野営している状態だ。
仮に角笛を鳴らしたとしても――。
いや、鳴らすべきだった。
見えた一瞬でもだ。
騎兵は間違いなくシッターレーヘンベルクの傭兵たちだ。
数は100余り。
沢で寛いでいた歩兵は、散り散りに走って逃げてしまい。
馬を休めてた騎馬隊も本陣のど真ん中で浮足立っていた。
「な、何事だ!」
天幕を出た将兵の鏡が空を飛ぶ。
ルクセンブルク公王の目に中欧兵が蹴散らかされていくのが見えた。
《ああ、これで彼らを完全に敵に回したな》
覚悟はあった。
それを目の当たりにして、漸く実感したというところだ。
100騎の傭兵は、そのまま切り殺されて未帰還だ。
三軍の後方に控えていたウォルフ・スノー王国軍に逃げる兵ごとやられたようだ。
「閣下、本陣瓦解...リヒテンボルン侯フェルト卿、討ち死!!」
伝令が奔る。
近くの領主の息子だ。
齢40過ぎという戦しらずのボンボンだったが、父親の顔を立てて諸侯の将帥に推した。
まあ、それが仇になったようだ。
「こんな深い沢で野宿などするからだ」
馬上にあるのはウォルフ・スノーの武人。
目付け役だったが、疎まれて後方勤務だ。
補給物資、魔法士などは彼の采配で無事だった。
「どうします?」
100騎のカチコミの反響は大きい。
逃走した歩兵は駆けている最中に転んだり、ぶつかって更に深い河へ落ちたりまあ、さんざんたる状態で今、これを兵と呼ぶのには聊か抵抗がある。また、ルクセンブルク公には、この道を抜けて後に北上して、シッターレーヘンベルクの南“ベルビエ”城塞を攻略すると伝えていた。
その際は共に兵を挙げ――なんて国通しの約束事を交わしてた。
が、
「反古にされたな」
馬が集まる。
子飼いの騎士たちだ。
「戦争になれば、信用よりも利害をとるのも道理でしょう...まして、公国は 東ノルド・ホランスの雄“ナミュール”王国に睨まれておりますから」
エイセル王国の南部にあって、フランク帝国と対立している国。
西欧諸侯連合には組していない。
が、グラスノザルツ帝国は彼らも同一とみなしてきた。
だから彼の地の“ベルビエ”城塞攻略を企図したわけだ。
「いずれは戦う敵だが...この場は矛を収めよう」
三軍は、兵力の2割を失ったと帝国に報告し終えると帰還した。
◆
帝国の獅子が一群は、無事にデュイスブルク領内に入った。
西の国境線では、睨み合いが続いているという報告を受けた。
出迎えた騎士はグエンである。
差し出した手をマーガレットは素直に握った。
まあ、彼女にとっては怖気られると思ってやや、短く出した手だったわけだ。
が、マーガレットは一歩踏み込んでグエンの手を握る。
「い、あ...」
「私には虫は感染らんよ、来たら来たで即死ぬ...」
確かに握られたグエンの手の周りの虫が怯えているし、黒い粒が足元にある。
恐らくは即死した虫だろう。
「どうして?!」
「ああ、呪いじゃないかな?」
本人もよく分かっていない。
ただ、虫だけはよく死んだなあという印象だ。
だから股下をボリボリと掻くグエンの手を握れるただ一人の知人である。
「折角だけど、状況は?」
大きな都だから、都市一番の宿泊施設を貸し切った。
そこへ馬車や騎士団らが逗留する。
「芳しくはないね...だって、エイセルの守護者とやり逢わないで領地を得ようとしてる。これじゃあ、少数の伏兵に翻弄されるよ」
分かってたことだ。
机上訓練でも国境を越えれば、シッターレーヘンベルクの刺客はどこからでも来る。
ただし、その郷を叩くにしても十分な備えが必要になる。
「あの地は、すり鉢みたいな盆地だから、帝国側の国境線から雪崩れこもうとすると、山道を通ることになる。深い森もあれば、見晴らしのいい草原もあって大軍はそれらの地形で必ず翻弄されるんだ。その間に釘付けにされた侵攻軍の側面に尾根づたいでエイセル軍が突撃されて...」
――以下略だ。
これは100年前の欧州戦争。
ドラゴンの糞から見つかった“芋”という万能食材の独占権をめぐって、西欧と中欧が戦ったという記録だ。しょうもない戦の理由だが、これでも当時は大まじめだった。
今でなら、芋は麦に次ぐ主食となって市民の食卓に並ぶようになった。
それを可能にできたのも、中欧に勝った西欧諸侯連合軍だからだ。
ま、今回は存亡の危機にあるのだけども。
“鋼鉄の腕鎧”の元団長と若団長は、フランク帝国“モブージュ”の街に入る。東西に分かれることになった帝国だけども、海軍力と陸軍力はグラスノザルツに対抗できる国の一つと考えられている。
が、帝国包囲網という反帝国の旗の外にある。
まあ、一つはグラスノザルツから姫を貰っているという事。
あと、一つとして皇帝の縁者が留学するという話があるから――なんて噂だ。
後者の方は未だ確認が取れていない。
「まあ、ここまで来れれば、中立だろうルクセンブルク公国を通過して、帝国へ帰れるな」
なんて馬の世話をしていた親子の下に、馬屋の主人が近寄ってきた。
「あんたらルクセンブルク公国へ?」
「ええ、和平交渉が終われば」
失笑された。
無礼であると、若団長が吠える。
「いや、何を言ってるのかと思ってな」
「冒険者ってのは世情に聡い者だと思ったが...和平交渉なんてのは無いよ。いや、もう戦争状態さ...今のところはシッターレーヘンベルク侯の采配で北も南も、帝国兵は一兵も入ってこれないってね。この戦いは時間を掛けることなく決まっちまうかもしれないねえ」
飼い葉をふたりの傍に置いて行ってくれた。
馬車の馬は、もりもりとその草を食う。
「い、や...まさか」
「父上」
読みが外れる。
父親の肩に手を掛け、
「戦争が始まったとなれば、やはりこのまま隠遁したままでは不味かろう」
ダンケルクに集まった冒険者たちも、フランクを通して西欧諸侯へ傭兵として差し向けられるだろう。
冒険者ギルドはそうした仲介も独自に行っている。
「では?」
「いや、俺たちは帝国のクランだ。帝都は無理でもデュイスブルクへ戻れば、帝国軍と合流できるだろう」
不本意だ。
できれば人間同士で戦うのではなく、そのすべてを以て魔王軍に注ぐべきだと考えている。
現実と理想。
それが出来そうなのが、グラスノザルツ帝国の皇帝だった。
「団長!」
老騎士が馬屋に声を掛けると、ふたりの男がすっくと立ちあがっていた。




