- 西欧戦線 シッターレーヘンブルク攻防戦 1 -
東ノルド・ホランス地域の国境には、西欧諸侯連合にとって壁みたいな国がある。
この国は小国で領地も南北で52キロメートル、東西では最長で30キロメートルという規模である。
隣国と比較しても、吹けば飛ぶようなと、指摘されることがある。
しかし、歴史はその揶揄を蹴り飛ばし続けてきた。
シッターレーヘンブルク――王や公というには少し格が下がり、いうなれば首長にちかい。
皆兵国家でもあって、国民のすべてが剣なり槍、弓、盾をもって戦う集団に成れる。
帝国としても、西欧を敵に回した場合の机上演習では過去10数年にわたり、煮え湯を飲まされた。
同地を攻略しないことには、枕を高くして眠る事は適わないとする分析もされたほどだ。
それは、帝国が欧州の中央支配に干渉する、以前の歴史から学ぶことが出来るからだ。
◇
中欧諸侯連合軍は、モンシャウ辺境伯を支援して同地隣接の西欧諸侯へ攻撃するよう下命した。
が、大義は西欧諸侯の圧政から民を助けるためだとしている。
見え透いた嘘だが、それでも指揮は高まる。
何せ、それまでに各諸侯が領民や兵士たちを、狂信化させてあるのだから。
型のできたところへ、ソースを流し込むだけでいい。
あとはほぼ無尽蔵に、何の疑いもしない兵士が量産されるだけだ。
ダンケルクから馬を乗り継ぎ、モンス公国へ滑り込んだ。
すでに臨戦態勢で、乗りつぶした馬の替えが効かない状態となる。
「馬の調達が難しい」
何となくそんな気配はあった。
軽装の装備を見て、馬屋の親父は買い付け人が冒険者だと理解した上で――「領主さまが兵を募っているよ」
と、言伝をくれた。
今、冒険者ギルドに行けば同じ情報でもちきりだろう。
「切迫した状況ではないな」
「それは...」
若団長が父に問う。
「形振り構わずという状況になると、どこもそうだが余裕がなくなるものだ...まあ、例えば少し前のブリテン島の戦いも然りさ。あれは苦い記録で、スヴァールバル多島海決戦の辛勝ってのも綺麗さっぱりと濯がれちまった。まあ、なんだなあ...もしも可能だったならば多島海の後で停戦出来てたらここまで酷い事態にも成らんかっただろうと」
元団長は口を閉ざし、首を振って。
「余計な事を言った...つまりは、戦えるか若しくは冒険者ギルドに所属しているってだけで、どの陣営からも、ほぼ強制的に頭数にされるということさ。これがなりふり構わずの正体だ...そこで、問題なのはこんな事をしている場合じゃないって...」
「魔王軍ですか?」
西欧が戦力的に苦しく成れば、必ずカードとしての魔王に頼るだろうという読みだ。
だから不用意に刺激すべきではない。
これが元団長としての意見だが、魔王軍と戦った息子も同じ意見である。
いつかは雌雄を決する日が来るだろう。
海上兵力では五分、陸上戦では太刀打ちもできなかった。
凡そ下駄が履かされていたにも関わらず、いい勝負に持ち込めなかったというのが記憶に新しい。
これを払しょくできないと、若団長の手の震えが止まることはない。
「その前に中欧諸侯軍は同じサイドから手痛い攻撃を貰うんだろうがな」
皆が難しい顔になる。
老騎士と剣士はその理由を事前に元団長から聞かされていた。
エイセルから上がった狼煙を見てマーガレット一行は、デュイスブルクを目指した。
隣国であり、そこそこに気心の知れたクランがある。
先の“緋色の冑”たちだ。
公国の正規軍であり、冒険者登録もしてある英雄血統を囲うという噂も。
馬の脚と馬車でなら4日と掛からない。
が、それは馬だけの話だ。
軍事行動だったマーガレットの騎士団にとっては歩兵も引き連れている。
仮に会談が成立していたとしてのマーガレットの立場は何者だろうか。
帝国の魔女や、帝国の獅子、恐怖公などの異名通りに相手には相当なプレッシャーが押し付けられたはずだ。
彼女自身は、なにも言葉を発する必要がない。
ただ、そこに会談の対岸に座るだけで、相手が首を垂れるのだから。
帝国にそいう意図はない。
いや、むしろ皇帝には――と、言い換えておこう。
マーガレット旅団は、一端国境から引き帰すと、ウォルフ・スノー王国領“ホルステル”の街に入る。
街道沿いに設けられた交易の街という印象だが。
来歴は新しそうな雰囲気がある。
「旅団がすべて入るとは」
騎士が訪ねてきた。
馬車と側近、幹部たちは街の宿を利用する。
5人の騎士たちも帝国からのマーガレット付き副官という立場で変わりない。
が、先日の伝令が来てからというもの、なんとも言えない緊張感があった。
それよりも、マーガレット本人に拝謁する機会がない事だ。
そして――
「貴卿らには悪いが、ここは御遠慮願う」
と、側近の壁に塞がれてしまった。
旅団子飼いの騎士たちは屈強だ。
帝国のおよそどの騎士団を探しても、せいぜい団内に4、5人もいれば精強だと言えるような騎士が、マーガレットが率いるケーニヒスベルク騎士団の中では、ふつうに存在している点だ。
「ちょ、待って」
伸ばした腕をも払われた。
予想以上に厚い壁だった。
◇
「あれで従士、側近だぞ?!」
マーガレットという伯爵の部下のことだ。
彼女の事を側近、幹部たちは“マイ・ロード”と呼ぶ。
グラスノザルツ帝国に仕えている身ではあるが、あくまでも伯爵の私兵という意味だ。
と、しても――。
「しかし、何故、俺たち帝国の士官を遠ざける理由がある?」
5人は安宿に宿泊させられた。
街の外だったら尚、何者かを自問自答していただろう。
ただ釈然としないのが、ぴりぴりとした緊張感だ。
旅団の騎士曰く「今晩だけの宿だ。翌日にはデュイスブルクへ入る故、気軽に寛いでくれてよい」と、彼らに伝えて体よく監禁された。が、このぴりぴりとした、戦場のど真ん中にいるような雰囲気の中で寛げたら、5人のメンタルと身体的にも英雄の領域へと踏み込めるだろう。
「ああ、もう無理だ!!」
ひとりが剣の鞘を床に突き立てた。
傷が出来ても、刺さることはない。
「いや、待て...ここは冷静にいや、平静にだな」
と、深呼吸してもざわざわとした感情というか気配が消えることはない。
街の住民はもっと居心地が悪いだろう。
「貴卿らに我らの主人がお会いになるそうだ」
凄まじいプレッシャーの中だったから、足音どころか気配に気が付かなかった。
◇
「やあ、昼間は少し礼を欠いたね」
と、気さくな少女がいる部屋に案内された。
とは言え、マーガレットのは平服で着飾りのない、よく言っても伯爵という爵位のある人物に世辞にも見えなかった。
形容するなら田舎娘だ。
カントリーな雰囲気の少女が三つ編みの髪を解き、質素なドレスを着て、ワイングラスとにらめっこしていた。
「えっと、ワインを飲むのはどっちの」
「右の棚の...いえ、それは蒸留酒用で」
と、5人の騎士のひとりが答える。
「いや、こういうのには慣れてなくてね...そのまま、楽にしてて話を聞いてくれ」
「はい」
帝国のお目付け役だが、身分的にも騎士爵と伯爵の違いは大きい。
後者は土地持ち私兵が万単位の大将軍だ。
張り合うほど愚かでもない。
「中欧諸侯が三卿の印綬を得て、西欧を外敵とみなした! 戦争が始まった...いや、正しくは戦争ビジネスがしたかった連中にまんまと踊らされて、赤猿ども同士、殴り合いを始めた。これが今の状況だ! 残念ながら帝国本土へと帰還するには、デュイスブルクを経由してもダルムシュタット公マインツ殿と、ニュルンベルク伯などにも頼らないといけない」
デュイスブルク公国の外戚にあたる小国、ダルムシュタット公国。
爵位は帝国から見たもので、どちらも100年前なら王国と呼んでた格だ。
その現統治者であるマインツ2世公王は、マーガレットにとってもちょっと遠い親戚スジに当たる。
今からでも頼りたい叔父だ。
さらにその東にはケーニヒスベルク領と同じ経緯のニュルンベルク伯爵領がある。
ウォルフ・スノー王国の南の防衛線を担う地域だが、偏屈なジジイが当主代行にあった。
跡を継ぐ孫が若いための執政官らしい。
「何故...いえ、それは戦争を始めたからでしたね。でも、何故、帝国の私たちが逃げるように最前線から離れるのです?」
「帝国兵じゃないからだ。いや、厳密にいうと“陛下を護衛している”からだ!!」
平和大好きの皇帝が仕掛けた会談が不発に終わり、中欧諸侯の始めた戦争に帝国も参戦したという報せが世界を駆け巡った。
当然だが、西欧諸侯たちの震えあがり方は尋常じゃない。
こんな筈じゃなかった、なんて声を挙げる連中も当然出てきた。
西欧は、エイセルとデプセン以外はまあ、小国たちの寄せ集めである。
小さくても王国くらいは名乗ってたりするし、見栄もそこそこにあった。
が、中欧だけならいい勝負はできる。
そんな意味不明の自負があった。
机上戦闘では、勝ち筋の無かったシッターレーヘンベルクを避けるように迂回した、第一陣は“フェンロ―”城を攻めた。
友好国のデュイスブルク公国は、全軍を以てシッターレーヘンベルクとの国境で睨み合うというロールを引き受けた。傭兵国家同士の両国は、長い歴史、ともに背中合わせで戦ったり、四つに組んで張り合ったりした関係の国だ。
デュイスブルク公国との違いがはっきししているとすれば、シッターレーヘンベルクはエイセル王国の従属国という点である。
主人であるエイセル王国の威に反した行動を取ったことは、ここ5世紀無かった。
そして、その関係性は今も堅い。
エイセル国境の監視塔も兼ねたフェンロ―城は、常備兵1000人の砦だ。
マース側の王国側に築かれ、対岸には城郭の一部である兵舎が石作で敷設されてある。
普段ならば、細いが交易路なので多くの旅商たちが物資と金を落としていく。
いざ、戦となると城へと続く道の先に角切りされた総石作の兵舎が立ち塞がった。
「ちっ」
事前に何度も密偵を送って、町の地図を作らせたのにも関わらず、兵舎に立て籠もられた弓兵に行く手を阻まれて難儀する羽目になった。すでに開戦から半日が過ぎようとしている。
「兵を50送っても道幅が狭すぎて通れず、左右からの挟撃を受け」
「分かってる! そういう報告はもう、何度も何度も受けているわ!!!」
癇癪持ちじゃない。
それでも怒りっぽくなるのは、上手くいっていないからだ。
思い通りになることの方が少ない――分かっていても、成功と失敗から来る甘美な酔いは前者でしか味わえない。
「ちくしょー!」
何かを蹴り上げた。
椅子だったかもしれない。
人をかき分け、
「伝令!」
「またか、今度はどっちだ、右かいや左翼か?!」
「いえ、背後より敵襲です!!」
後ろ? という風に陣屋の騎士たちが振り返る。
椅子を蹴り上げた将校も同じように幕舎を飛び出していた。
伝令と共に出て、その彼から刃を貰った。
「背中ががら空きなんだよ、お嬢ちゃんたち....」
失笑を浮かべ、伝令は切り捨てられた。
血の泡を吹く指揮官の傷は、脇腹から肺を貫いたものだ。
治癒士の手も間に合わず、彼は絶命した。




