-83話 枢機卿 ①-
一行は、南に進路を取りシンシルークの都を抜け、ハスカ、テベ、シャンフー城塞都市を見下ろす高地を進んだ。いずれも最終目的地・キルトニゼブへ向かうためだ。しかも、馬の数を何回か変えて移動した。
これは、仮に追跡者があった場合の備えでもあった。
蹄の数で人数がバレないようにするための用心でもあったが、これは取り越し苦労だった。
少なくともいくつかの難所を越えるあたりでも、不審な影を見ることなく無事キルトニゼブに到着できた。
これは特に朗報にちかい。
既に先行して陣営を用意していた騎士らの計らいによって、皇子の人望というよりも、騎士長の人柄で王国に異を唱えた元部下、同僚たちが集まりだしていたことがさらに幸運だったことだ。
「早速で済まないが。この陣地は、表向き商会という看板を掲げるつもりでいる」
槍使いは、集まってきた兵士たちにそう告げた。
今、彼らは騎士長というお尋ね者に一縷の望みを賭けてここにあるのだ。
だが、それでは今まで秘匿を厳にして隠れて来た甲斐が無くなってしまう。反抗はおろか一網打尽で叩き潰されるのは必定。
それでは意味がない。
この提案の捕捉内容を騎士長が解説することで初めて、彼らは納得して商人に身を落としたのである。
「さて...」
「エサ子は、ここに!」
と、自ら槍使いの前に参上し、荷を解き始める。
「何やってる?」
荷解きしてますよ――と、アピールしてみせたが、槍使いの反応が薄い。
そもそも上からじっと冷たい眼差しが降り注いでいる。
あれ? 何かやったかなと思わせるような怖さもあった。
「....」
脂汗がだらだらっと頬から首へ流れ落ちていく。
インナーのシャツがべったりと背中に張り付いてきている。
「だいたいお前には、何が似合うんだ?」
槍使いの視線はローブの中身に向けられている。
その視線が不意に彼女から外れて、剣士に飛んだ。
エサ子の残念な声が漏れた気がした。
「こいつ、どんなドレスが似合うかな?」
「ドレス?」
鞍と共に荷物を室内に、運び込んでいる剣士が振り返った。
「幼児体形だろ? エプロンドレスじゃダメなのか」
エプロンドレスは、食堂のウエイトレスか、宿屋のばあさん達だろ――と、槍使いは応じたが。
エサ子を眺めつつ『妹だとして共をさせるより、使用人だと言った方が楽か』なんて言葉を吐いている。
いずれにせよ、ご主人様に見られているだけでエサ子の変態スイッチがONになっていた。
変な息遣いと荒い呼吸、ヨダレにまみれた小さな口から変な声色の声が零れ落ちていた。
「マスターベーションは、終わったか?」
エサ子が頷くと、『では、メイド服を買いに行くぞ』と告げると、彼女を引きずりながら市場へ向かった。
◆
キルトニゼブより西には、クルクスハディンという港町がある。
エルザン王国が今の版図を築く前にあった王国の王都址で、史跡のひとつだが海上貿易路の重要な地域である。この港町には、王国の国教が聖堂を構えて百数十年と栄えてきた歴史があった。ただ、王国の暴挙によって、神聖不可侵な聖域が侵される可能性に教会が強く反発している状況にあった。
「ご苦労、だがこの報せは老人たちに伝えるには聊か強烈過ぎる――故に、すべて私に上げよ」
煌びやかな法衣を身に纏った、色白の細長い手足を持つ烏賊みたいな男は、この王国の枢機卿だ。
彼の配下が、灰色の馬で騎士団を興していることに因んで、グレイ卿という風に呼ぶ者も少なくは無い。
野心家ではあるが、策謀家ではない。
貴族の手合いには厳しく当たり、市民階級者には法を厳守すれば、全力を尽くして守るというスタンスを貫き通してきた。彼自身も、市民階級からの出身者であり貴族のもつ特権階級に対して怒りを抱いていた一人だった。
その宗教人たるグレイ卿の館がキルトニゼブにあった。
今夜、その館で細やかながらの宴が催される情報を槍使いは、得ていた為にエサ子を伴っていくことにしたのである。
女性同伴であれば、少なくとも幾らかガードの厚い連中も、下げざる得ないだろうという判断だ。
「どうだ、着れそうか?」
試着室に閉じ込められたエサ子は苦悶と苦闘に耐えていた。
脇の下から強烈な匂いを発する、おばさまが少女の身体にメジャーの印を刻んでいく。
インナーを残してすべて剥ぎ取られた少女を見て――『こんなに汚して、お転婆さんかやんちゃか、分からないもんだね...しかし、なんだいこの染みは?』――カビカビに乾いた痕と、微妙な色に変色した染みを苦笑交じりのおばさまが、チラチラと上目遣いに変な視線を飛ばしてくる。
分かってる。
吹きました、潮、吹きました――ひとり心の中で叫んでいた。
「この子、おっぱい小さいからねぇ...魅せるように着飾るにはあと数年は待った方がいいだろうね」
試着室の中ら婦人の声が飛ぶ。
槍使いの目が細くなった。
「そいつの胸のことはいい! 着れるか、仕立て直すかだけだ!!」
試着室の外から彼の言葉を受けて――『彼氏は、素直じゃないのかねぇ。素材はいいし、育てる気があるのかねえ』なんて呟いたが、エサ子は『あの方は、ボクのご主人様です! ボクは...あの方に』溶けそうな瞳を滲ませながら小さな身体を震わせた。
「ふんふん、まあ、なんにせよ受け入れ態勢はバッチリってことだね」
と、案外冷静に観察された。
「じゃあ、少し大胆な仕立てで意中の殿方を篭絡できるよう、おばさんも腕を振るってやるよ!!」
なんて気合をいれた、仕立て屋のおばさんが作った渾身のメイド服が、ミニスカート丈に大きなリボンと、プリーツを用いているのが特徴のスカート。上衣はセーラータイプのお嬢様学校風。なんと、胸元は小さいながらもコルセットを駆使して、谷間を急場しのぎで誂えたモリモリ・スタイル用いられている。
本人は、非常に窮屈ながらも満足げにほほ笑んでいる。
これはこれで、何かに目覚めそうな仕打ちに思えた。
「ま、いいか」
「お褒めに預かり、恐悦至極!!」
エサ子の身体に電気が走った。
「お前がまた、勝手に自慰行為をしないうちに用事を済ませる!」
「はい、ありがとうございます」
深々と謝意を表明している。
このやり取りが聊か億劫になって来たことは槍使いの心中に留めておくこととする。




