-82話 西へ ②-
皇子は、あれからひと言も発しなくなっているが。
その従者である騎士長と腹心の騎士たちは、エサ子と剣士、槍使いとのパイプが切れないよう努めている。
あの老師に扮した紛い物を退けた術に、配慮してというのもあったのかもしれないが、少なくとも3人の冒険者と袂を分かつ場合ではないという現実を見据えてのことだ。
今や、味方と言えるのはこの3人しかいない。
いずれ、身の潔白を冒険者ギルドに立てる場という機会が訪れる。
その時に彼らを、後見人という立場で迎えてあった方が、話がまとまる可能性高いという打算もあった。
そうして、少しでも心象をよくしておくことなど――騎士長の目論見でつなぎ留められた絆だ。
だが、剣士は元々騎士の出身だった。
PKに身を落とす前は、それは正義に厚い信条を胸に抱いた騎士だった。
その彼には、騎士長の考えがなんとなく理解できた。
とりあえず大きな大儀のために、自分の正義を押し曲げてでも道理を通すこと。
皇子は、少なくとも他の兄弟たちよりかは、幾分かまともな考えで動ける人物と踏んでいる。
多少の計算や政治的な打算で揺れることは在ったとしても、状況を読み間違う事は無いと信じている。
そうでなければ、この国は終わるだろう。
騎士長の眉間に深い皺が刻まれる。
「苦労が絶えないな」
馬を騎士長の脇に寄せた剣士が声を掛けた。
手綱を緩めることなく、深く息を吐く。
「この先には、マハシト・イェレクという砦がある。かつての国境だ」
「国境? どこの...」
「第一王国期のそうだな後期といった時代に築かれた遺構でな」
前を奔る皇子から咳払いが聞こえた。
「...第二王国期、最後の王のが遺した、六番目の子がその砦に軍を配置して――」
再び、咳払いが聞こえる。
「殿下、お風邪ですか?」
騎士長は真面目に問うたが、3人にはその咳払いの意味を理解している。
無理に彼から歴史の講釈を聞くつもりは無かったが、騎士長の対応が皇子には癇に障ったらしい。
「余計なことを話すな!!」
皇子の憤慨の原因は、老師を傷つけ退けた3人の冒険者にあった。
だから何故、彼らと今も同行しているのか不思議でならないという雰囲気だ。
彼の苛立ちの視線は、エサ子に向けられているが彼女とは視線が交わらない。
「殿下、これもイベントですよ」
と、騎士長は微笑んだ。
そういう姿勢を貫く彼への忠誠も少々疑い始めた。
と、暫く進むと物見の騎馬が帰ってきた。
先行して4里ほど西へ奔ってきたところだ。
「やはり行先に追撃の手が回りました」
馬の足を休めるために、マハシト・イェレクへ通じる道より2手前で南の街道に入って、ピナクル・ヴィエルという街を見下ろす高台に小さなキャンプを張っていた。
西へ赴き、兵を招集して王都へ凱旋するという計画の立案は、老師そのひとである。
仮に幾夜前の思念体が老師で無かったとしても、彼の立案した計画が敵の手にあることは明白という事だろう。
「ここは、迂闊に西へは進めないな」
槍使いがエサ子の背負うバックパックから、地図を取り出している。
彼女に『背中を貸せ!』と、言って小さな背中の上に地図を広げて顎下をゆっくりと撫でた。
「キルトニゼブへは出られないか?」
槍使いの独り言にも聞こえたが、彼は顔を上げて騎士長を睨んでいる。
「キルトニゼブだ、ここへ出て傭兵を雇うという手がある」
皇子が鼻で笑った。
いや、明らかにバカにしたような雰囲気で彼の言葉を一笑に付した態度をみせた。
「お前には聞いていない。大人の会話にガキが割り込むな!」
「なっ!きさ...」
皇子の振り上げた拳を掴み、騎士長は『おやめなさい、相手の挑発に簡単に乗るものじゃありません』と、諭したまま――。
「我々が持っている貴金属では、雇えても数日と掛からぬうちに解散しますぞ?」
騎士長の冷静な分析を横から、皇子の憎まれ口が聞こえてきたが。
「いや、雇うのは俺たちだ...いや、厳密にはウチのエサ子が持ってるアクセサリーを代価に傭兵を募る。数は1000人くらいで何とかなるだろう」
「せ、1000人?!」
剣士がその話に目を丸くした。
「お、お前?!」
「ああ、戦争してやるんだよ」
苦笑して見せた。
◆
騎士長と槍使いはエサ子の背中に広げられた地図を眺めながら、策を練った。
「老師の案では、西の果てにてイズーガルド王国の残党兵を吸収した刀で取って返して、主要貿易路ヘイセフォンを押さえるという計画でしたから、おそらく国境付近の警備は、予想以上に厚くなっていると思われます」
騎士長の指が国境の太い線を南に沿ってなぞっていく。
テーブルのロールであるエサ子は、背中を擽られた為、苦悶と恍惚な微妙な表情のまま小刻みに震えた。
「おい、テーブル! しっかりと仕事しろ」
意地悪なセリフだったが、彼女は頬を真っ赤に染めて『ありがとうございます』と答えている。
「南に進路を切って、事を成すまでの間は露見することを防ぎたいな」
「確かに御尤もです」
騎士長の視線が拗ねている皇子に向けられた。
彼の不審そうな表情をくみ取り、
「分かってる、ウロウロしないし身分も顔も隠し通して見せる!」
再度、確認するように他の騎士たちの視線も熱い。
「なんだよ! 分かってるってんだろ!!!」
「いい、答えだ」
剣士が笑いを堪えきれないでいる。
テーブルのエサ子はプルプルっと震えて再び、主人からお叱りの言葉を賜った。
「ああ、幸せ...」
エサ子の心の言葉が漏れ出たひと時。




