-80話 赤い湖の都-
荷馬車が細かい石に乗り上げるたびに、船酔いめいた上下運動で胃のあたりが、むかむか気持ちの悪い状態にさせられていた。そうした土と小石ばかりの足場の悪い、主要街道から暫くそう、およそ7日足らずで揺れの少ない舗装された道に入った一行を出迎えたのは、高台から見下ろす赤い湖の景色だった。
王都に向かう道すがらには、ややこの国への不信感が広がるばかりの光景を見せられたものだったが。
この景色は、少し心に立ち込める曇天を晴らしてくれるものになった。
いや、エサ子みたいなお子様には、効果覿面だったようだ。
ただし、王国の闇は深い。
人足請け負い業と称した奴隷商は、治安の悪い国境近い村を実力行使で襲い、生き残りを奴隷にしていた。また、国内で明らかに虐げられている、身分の低い階級を容認している事実も問題点だ。まあ、この階級問題は、下から正すのは難しい。
虐げられている直ぐ上の階級も、その上から虐げられている事実。
階級ごとの不平等と貴族と非貴族の関係性を断ち切らないと、おそらく改善しないのだろう。
この国が自ら気が付なければならない問題だ。
元市民権を持つ人々を、奴隷階級から解放するくらいが近道だろうか。
いや、その前に。
帝国から発給された認可状を持っている連中の摘発が先だろう。
一行の馬車と5騎の騎士が主要港町に到着したのは、数えて15日目の夕方だった。
都から見て北側にあたる位置に、彼らがあった。
港町の発展具合は、陽が西の尾根にかかる頃合でも、街の至る所に人々が行き交う活気のある雰囲気だった。力仕事を終えた男たちは、近くの宿屋でいっぱい飲もうと声を掛け合い、婦人の井戸端会議は、夕飯の支度をしないと――という声が聞こえる。
生活感のある囁きだ。
「まさか夕闇に紛れて、船じゃないんだろう」
剣士が冗談交じりに問うた。
「何か、懸念すべき点がありましたか?」
そう返したのは使者の方だ。
ただ、何故今まで深く考えなかったのかと。
荷台にある6人の騎士と使者、そしてエサ子ら3人。
エサ子も冒険者であり、身体に似合わず大きな戦斧を獲物にしている。
そして更に凄腕のPKでもある剣士と、槍使いが使者といる。腕には自信があるが、仰々しい雰囲気がどうして鼻に突かなかったのだろうと。
「懸念ではなく、なぜ、ピリピリしている」
槍使いが獲物の槍を肩に引き寄せて、静かに呟いた。
「ピリピリ...ですと?」
「ボクもその点は気になってた。でも、気さくに会話してくれるから、忘れがちだったけど...何でそんなに気を張り詰めてるの?」
エサ子の疑問――騎士は、王国騎士団でも指折りの聖騎士たちであろう雰囲気。そして、彼らは常に何かを警戒し、何かからの襲撃に備えて、敢えてこの街を選んで逗留した雰囲気。
「冗談のつもりで尋ねたが、俺の仲間はやっぱり勘が鋭いな」
剣士がエサ子を引き寄せると、
「女の子に隠し事は出来ないよな」
と、背中をぽんぽん叩く。
「兄上、息し辛い...げほ、ごほ...」
――咳き込んで涙目。
◆
「此処までこれただけでも、奇跡でしたのでお話ししましょう」
王国騎士団の仮宿は、造船と砦の中に併設された宿舎になった。
恐らくここが一番安全で、襲撃された場合の対処でも最適解となる筈である。
ただし、襲撃者が誰であるか迄は今のところ、宮中でも判別されていない。
「ことは帝国の手先が、先刻の奴隷商だけに留まらないっちゅう話か!?」
話の流れを聞いて、槍使いが横から挟んできた。
「ええ、既に認可状を持った連中の目撃は、数件上がっていました。ただ、彼らのキャンプを襲撃され成功した例は、あなた方が最初となります」
「他、どれも目撃に留まり、実体の把握には至っていない問題として」
戸口に騎士がすっと立つ。
戸口から離れていたが、エサ子の身体を剣士が引き寄せた。
「何者だ?!」
暫くすると、戸の隙間から投げ文が行われた。
「これを...」
紙片を使者に渡す際、騎士は『殿下...』と口ずさんだ様に聞こえた。
「ま、まさか?! この国が」
「どうした?」
槍使いの怒気の混じった強い口調で問う。
「北の採石場で冒険者狩りが行われたそうです。しかも大規模な...」
「摘発ではない?」
「いえ、摘発ではありません。この国は、今や世界規模の冒険者ネットワークから“敵”に認定されたと思われます。あなた方のUIにも、速報が通知されているのでは御座いませんか?」
使者の落胆と激しい憤りは、愛国者故の葛藤だろう。
確かにPKであるふたりにも冒険者組合からの一斉告知メッセージが届いている。
《エルザン王国領内にある、冒険者諸兄へ――速やかに国外へ退去して、近隣の安全な国へ保護されたし――》
事件の仔細は、冒険者ギルド及び世界評議会・帝国が調査するという帯が見えている。
また、帝国かといううんざりした3人の晴れない表情を使者が視ている。
「我々の安全は?」
槍使いが差したのは3人の身柄だ。
当然、王宮の使者という彼らに体よく囚われたような雰囲気になっている。
「そこが問題ですね、今、師に遭うため王宮を目指すのは不利益でしかありません。いえ、私のとっても望ましくない地となりました」
使者が目配せを行い、騎士が奥から甲冑を用意してきた。
詰め所の備品だ。
「お嬢さんも鎧は、着れますか?」
「その先折れとんがり帽子は目立つんだと」
剣士が耳の傍で彼女に伝える。
「あまり着たくないけど...」
「問題ない」
と行った先で『問題ない訳じゃない! ボクは仕方ないって!!!』彼女がグーで剣士の脇腹を殴っている。
「では、馬車も棄て馬で西に行きましょう」
使者が光沢のない甲冑を脱ぐと、手慣れた様子で皮革の鎧と短く誂えた馬上弓を装備していく。
聖騎士たちも、自らの白亜な甲冑をその場に置いている様子。
「なぜ、あっさりと鎧を?」
かつて騎士のまねごとをした剣士が不思議に思って訪ねてみた。
「目立つからです」
「いや、その鎧は王国聖騎士としての――」
「誇りですか? そんなものこの意匠にありません。我らの誇りは常に心にあります。そして捧げる剣は、御身の前に...」
使者として3人の前に現れた、青年に向けられた言葉。
「なるほど、愚問でした」
「国はあの方の双肩に。我らは、命を賭して守るのみです」
「騎士長、盾は無用です! 仲間を集めて反撃しますよ」
使者の背中が随分と広く見えた。
剣士が逆に惚れ込みそうな男気を感じる。
その剣士の心をつなぎ留めているのが、エサ子だ。
兄上と呼び、腕をぐいぐい引っ張って噛みついたりしている。
「いてて...」
「浮気はダメ!!」
「は?」




