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烟る蒸気と微笑う淑女  作者: 中原くらうす
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第1話 ある喫茶店の店主と淑女

 霧と蒸気に烟る都市、倫敦(ロンドン)

 産業革命も遠い過去に、人々は繁栄を謳歌していた。

 チャールズ・バベッジが作り上げた階差機関は発展を遂げ、高次の計算機を生み出した。機械的に制御された工場制大量生産(マスプロダクション)を経て、進化を遂げたその機関は、やがて思考すら可能とする。すなわち、解析(アナリティカル)(エンジン)である。そして計算による知能、人工知能と呼ばれる思考機関を有した蒸気機関者(スチーマー)たちが世に生み出された。人の代わりとして良く働く彼らが市井に溶け込むのに、時間はそう必要なかった。

 豊かな生産力を得ることで、いまや世界の覇権を握るに至ったこの国では、人と蒸気が相交え、栄華なり大英帝国と輝かしき時代の一途を歩みつつあるのであった。


 倫敦の町並みの一角、とある喫茶店(コーヒーハウス)《エイダ》。

 揺らめくガス灯の明かりに照らされながら、エドガーはため息をついていた。

 この店は喫茶店である。当然出すものはそれ相応のメニューであり、客層も決して子供向けではない。であるにもかかわらず、店内には彼と、ひとりの少女の姿しか無い。

 彼の深い嘆息の理由は、店内の閑散具合と、席に着く少女にあった。少女はシャーロットという。

 シャーロットは長くたなびかせた金髪を持つ少女の姿をしていた。年齢は十二歳ごろだろうか、まだあどけない容姿の少女に見えながらも、ニヤニヤと趣味の悪い笑みを貼り付けながらエドガーを見つめる。この少女は、蒸気機関者だった。

「ずいぶん浮かない顔をしているじゃないか、エドガー」

「なにせ店はこの有様だからな。客がひとりも入らない。稼ぐ必要はそこまでないとはいえ、とにかく暇だ」


 エドガーは有り体に言って金持ちの息子だった。父親はとある蒸気機関者エンジニアと懇意であり、そのコネクションからはじめた蒸気機関者の卸業で財を成した、いわゆる蒸気成金(スチームセレブ)である。それ故に生活に困ったことはないし、店が流行っていなかろうがさして問題ではない。ただ暇であることが問題なのだと再びこぼす。

「客ならここにいるじゃないか」

 ニヤニヤ笑いを続けるシャーロット。この笑いだ。嫌味ったらしいったらない。これが見た目には可憐な少女のような姿をしているのだから、エドガーはどうにも癪に障るのだ。稼働年数に似合わぬ少女(ロリータ)趣味(コンプレックス)と揶揄すれば、彼女は少女(ロリータ)趣味(ファッション)だよと涼しく返してきたものだ。あいにくとエドガーにはそんな嗜好はなかったものだから、その物言いさえ彼を苛立たせるだけだった。


 シャーロットは、およそ蒸気機関者と思えぬ出で立ちをしていた。人と見紛うかのような完成度。棚引く金髪は絹糸のようで、肌は少女の瑞々しさを持っている。常ならば突き出た蒸気筒(パイプ)歯車(ギア)からひと目で機械の体とわかる蒸気機関者にあって、彼女の姿はまさに人そのものだった。この国に多く広まった蒸気機関者といえど、彼女ほど人に近づいたものは他に一体たりともいないと、専門家でないエドガーでさえ断言できる。


「それもただの客じゃない、とびきりの淑女(レディ)だ。仮にお前が不能者だったとしても、よろこぶべき状況だと思うがね?」

 シャーロットは続ける。どこぞの高級店で仕立てられたであろう貞淑な格好とは裏腹に、いたずらっぽく。見る人が見れば、ませた令嬢が青年をからかおうとしているようにもとれるだろう。だが、いまエドガーの目の前にいるのは、この大蒸気時代の初期から稼働している年代物の蒸気機関者なのだ。エドガーからすれば、歳をとった老人が若者をあざ笑っているようにしか思えない。それもこの骨董品(アンティーク)ときたら、本来の自分の役割を放り出してこの言い様なのだから、それを思うたびに彼の神経は逆撫でされる。


 蒸気機関者とは、なべて労働力である。機械で作られた体は疲れを知らず、老いを知らず、工場出荷(ロールアウト)した直後に現場に出そうが熟練工のような働きをする。知能をもつ彼らを愛玩用とする金持ちもいるとは聞くが、奇怪で、無骨であり、そしてなにより労働力として使うことが最も理に適っている蒸気機関者を飼うなどというのは、もっぱら小数派のもの好き達だ。

 だからこそ、このシャーロットという少女型の蒸気機関者は不思議な存在だ。その見た目も、有り様も。よしんば蒸気機関者と思えないその特殊な出で立ちについて目をつぶったとして、主のいない蒸気機関者というのも通常ありえない。なぜなら彼らは機械であるが故に。大原則として誰がしかの所有物であってしかるべきなのだ。だと言うのに、シャーロットは頑なに自分が誰のものでもないことを主張する。それは彼女の雇い主として英国蒸気管理省に登録されているエドガーに対しても同様だった。

 そしてこれがもっとも重要だが、なにより、彼女は働かない。毎日この《エイダ》に来てコーヒーを飲んでは(なぜ蒸気機関者がコーヒーを飲むのだ!)、たまに来る客の対応をするエドガーを眺めているだけだ。


「いまさらのようにお前を客扱いしているようでは、毎日気を使いすぎることになってこっちの身がもたないさ」

 カップを磨きながらエドガーは店の入口に目をやる。いつもの調子で何も考えていないシャーロットは置いておいて(シャーロットは決してなにか意味があってエドガーに言葉を投げかけているわけでないと彼が気づくのには、彼女と出会ってからそう時間を必要としなかった)、この店には客が必要だ。エドガーの暇をつぶすためにも。


次回はまた数日後に。

不定期ですがなるべく間の空かないように投稿していこうと思います。

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