とある男の娘のお話
重い足音が響く旧校舎の3階の廊下。
ズンズンとその小さな可愛らしい身体から鳴らされている足音。
その後ろを慌てた様な細かな音を立てて追いかける一見すると白藍色の髪を持つ男子。
この二人が出会ってしまったのは神の運命だと言うのだろうか。
「もう、銀次のバカっ!僕もう知らないっ!」
小さな可愛らしい身体から発せられる少し高めのハスキーボイスは人の心を掻き立てる味がある。
「待ってくれ!話を聞け!今回のは違うんだ、お前のただの勘違いだって!」
人とは違う髪の色の男子からはその身に似合わない焦燥した声が挙げられた。
何が違うっていうの!?教えてよ!
既に使われなくなって久しい旧校舎にハスキーボイスが響き渡る。
この白藍色の髪を持つ男子は銀次という綺麗に言えば思春期の元気な男子、汚く言えば下半身に委せて日々を過ごす下郎である。
思えば銀次とこの可愛らしい娘は1年の付き合いが既にあった。しかしどこか歪で世間から斜に構えた様な二人である。
間違いなく可笑しい、二人の関係を嘲笑う世間の声が聞こえるようであった。
見た目は可愛らしい小柄な女の子、しかし彼女は列記とした男の子である。
否、男の娘であった。
彼の過去には様々な出来事があったのだろう。既に違和感は拭い去られた後である。
しかし其れだけでこの違和感を説明し切るには何か足りない。
この銀次もまた違和感を感じさせる一人であることに違いはない。
銀次は染めたわけでもない、脱色したわけでもない、それ以上に家族に外国人を持つ家柄でもない。
だがその髪は空が抜けた後の様な白藍色であった。
黒でない、ただ脱色したわけでもない。
どこまでも澄んだ色に違和感を覚えない、しかし違和感を感じさせる。
彼は彼の血族からも忌み子と呼ばれて限りなく扱いが酷であった。
初めて彼の容姿を見ようものならば他国の人物であると信じて止まないであろう。
彼の血族は血で繋がっていると信じようともしない、例え産みの親ですらそうなのである。
「あれは委員会の話がある、って言われたからついて行っただけで俺はそんなつもりじゃ!」
ただ血族の者からすると異端ではあるが、現世に零れ落ちた刻から馴染むその白藍色の髪は見るものを引き寄せた。
彼の周りには友人が沢山いる。それらには共通して憧憬、羨望の眼差しが絶えない。
それだけならばよい、否よかった。情欲、色欲、淫欲の眼差しも数多く振りかかる。
人というのは絶対数の少ない希少性に価値を見出す生き物である。
人というのは今まで見たことのない稀覯性に価値を見出す生き物である。
人というのは恵まれなかった特異性に価値を見出してしまう醜悪な生き物である。
銀次もまた被害者である。何者でもない世界の被害者なのである。
「それでも結局しちゃうってことは女の子が好きなんでしょ!」
小柄で一見すると女の子、しかし男の娘である彼もまた世界の被害者である。
彼から感じる違和感の原因、それは女の子を感じさせる不可思議な現実の所為である。
彼は正しく男の子だ。役所に問い合わせれば男性という事務的な返答が返ってくるだろう。
しかし現実はどうであろうか。学校指定の制服はまさに女生徒のそれである。
悪戯でも虐めでもない、
これは彼の選んだ人生なのである。
生まれつきの性格なのである。女性で在らねばならない理由なんて存在しない。
ただ、彼にとって生物学的な思考は邪魔でしかない。
彼は男の娘である。見た目が先ではない。心が先である。
彼は不思議な事に銀次と出会い世界の強制力なのだろうか、付き合うことになってしまった。
しかし彼はそれが最良の選択肢だと自分で納得をしている。
彼に言わせてあげるならばそれ意外に何もないのであろう。
「男がいいとか女がいいとかそんなんじゃなくてボクじゃなきゃダメって、言って?」
彼は銀次の正しく彼女であり彼氏である。
「っく……、俺は別に他の奴は全員同じだと思ってる、だけどお前はお前だけ。それだけなんだよ!」
銀次の言葉は一息に吐かれた。
他には何もいらないのだろう。そのまま顔が俯いた。
「……銀次、ありがと。」
彼にとってその言葉は特別であり全てなのだろう。心に染み渡るその言葉の重さは誰よりも理解することができた。
コツコツと、先ほどまでは離れる向きであった歩は今は銀次の方へ向き歩んでいた。
そのまま銀次の前方で歩を止めると俯き下を向いていた顔の側面に彼の可愛らしい御手が添えられた。
そのまま銀次の顔は上げられ静かに彼の目の前で全ての動きが、世界が止まった。
「銀次、好きだよ」
そういって彼の口唇を震わせた言葉は銀次の口唇にそっと音を立てず付けられた。
また世界に一つの恋が上塗りされる。
おしまい
最後の一文が書きたかっただけです、ごめんなさい