カヲルとサキ
カヲルの動きは誰よりも素早かった。
取り押さえようとしてきた男や、止めようとした者の手をするりと躱すと、風のような速さで小太刀の柄をその後頭部に叩き込む。
「やめろ関わるな!!カヲルに手出ししたら無事ではすまねーぞ!!」
同じ派の者なのか、少年をよく知っていそうな男が周りに警告した。
「カヲルはああ見えて恐ろしい奴だ。うちの前ボス、サザラを掟に則って地に沈めたんだからな」
店中がざわりと揺れる。
「なんやて?じゃあサザラ一派の新ボスってあのチビやったんかい!道理で調べ倒しても分からんはずやで…」
M-Aはでかいひとり言を口にしながら隣を見たが、そこにさっきまで居たはずのサキの姿がない。
はっとして騒ぎの中心を見ると、案の定つかつかとカヲルに向かう背中が目に飛び込んだ。
「サキ!!」
M-Aが呼ぶより早く、サキは厚手のナイフを二本取り出していた。
カヲルは乱闘を始めに引き起こした男二人の前まで来ると無情な笑みを見せた。
「…そっちは東区の奴だな?丁度いい。近々グランディオンに挨拶に行こうと思っていたんだ。お前の首を手土産にするよ」
「なんだよこのチビが!!死にてーのか!?」
カヲルは小太刀を逆手に握り直すと目を細めた。
「だから、死ぬのはお前らだ」
言うが早いか、まずは先程カヲルに従わないと言いきった男の喉をたった一度の跳躍で掻き切った。
その動きには微塵の躊躇いもない。
そのまま返す刀で、驚愕を顔に貼り付けた東区の男の喉を狙う。
激しい金属音が空気を切り裂いた。
酒場の者たちは巻き込まれぬように体を縮めていたが、急に静寂が訪れたので恐る恐る顔を上げた。
カヲルの刃先はあと数センチで目的の場所に食い込もうとしたまま止まっている。
サキは一本のナイフで小太刀の動きを止め、もう一本はカヲルの眼前に突き付けていた。
少年は驚きにアメジストの瞳を大きく開いた。
ここ数年で、こんなに綺麗に動きを封じられたことは記憶にない。
「…こいつはグランとこの奴なんだろ?お前が手にかけたら西区に火種を巻くようなもんじゃねーか」
サキは手早くナイフをしまうと面白そうにカヲルを見た。
「奴に喧嘩売るならせめて西区を全てまとめてからじゃねーと即返り討ちだぜ?」
どこまでも屈託のないサキに毒気を抜かれると、カヲルは小太刀の汚れを拭い懐にしまった。
「うるさい男だな。お前はガキのおしめでもかえてろ」
カヲルは悪態をつくと、怪我人も死人も放置してさっさと酒場を後にした。
「サキ!!」
M-Aは急いでサキに駆け寄るとその頭をはたいた。
「おどれはまた勝手なことを!!俺に一言言わんかい!!いっつも出遅れるやないか!」
ぷりぷり怒れる年上の友人を見上げると、サキは肩をすくめた。
「んなことしてたら間に合わなかっただろーが」
目の前でへたり込んでいる東区の男の腕を掴むと、力任せに引っ張り上げる。
「お前もグランの顔に泥を塗りたくなけりゃ気をつけろよ」
「あぁ、悪い。つい頭に血が上っちまって。お前名前は?」
「…サキ。ボスによろしくな、そのうち俺も挨拶に行こうと思ってたんだ」
サキはにやりと笑うと男の背中を軽く叩いた。
カヲルをよく知る者たちは、呆気にとられながらこのやり取りを見ていた。
「信じられん…。あのカヲルをあんなに鮮やかに止めるなんて…」
「カヲルもあっさり身を引くなんて初めてじゃないか?」
ざわざわと酒場が揺れる。
サキの流れるような動きを直に見た者たちは、一気に警戒の色を示した。
この夜から、サキの名がスラム内にじわりと広がり始めた。