不仲
翌日明るくなる前からM-Aとカヲルは中央区を出た。
スラムで一番厄介なのは交通手段が整っていないことだ。
車かバイクがなければかろうじて走ってる路線バスのようなものに滑り込むか、もしくはひたすら歩くしかない。
「いつまでたっても行き来するのは不便だな」
カヲルはごつごつとした石が転がる道を足早に進んだ。
「派閥があるせいやな。逆に言うと交通手段が不便なせいで争いは少なかったんやけどな。大概車をスラムで走らせてるのは一般市街から流れ着いてきた商売人ばっかやし。
サキは全スラムを統括したら路面電車が欲しいとかいうてたなぁ」
呑気に煙草を咥えながらM-Aが言うと、カヲルはちらりとその横顔を見た。
「意外と、まともなこと考えてるんだな」
「当たり前やないか。喧嘩が強いだけやったら人なんかまとめられんわ」
商業区へ向かう人の流れに混じり込みながら、カヲルは不満気な顔をした。
「あたしには、そういう話あまり下ろさないんだな」
M-Aは小さく笑うとカヲルの肩に腕を乗せた。
「すねるなよ。あんなんただの男の妄想話や。お前とするなら、もっと色めいた話がええわ」
カヲルは露骨に顔をしかめるとその腕をはたき落とした。
「あたしはする気はない。M-Aの女になる気もない」
「なんやねん。あんなに腕の中では溺れるくせにまだそんなこと言うんかい」
「溺れさせる女が一人になってからそういうセリフは吐くんだな」
カヲルは負けじと言い返すととっとと先を歩き始める。
M-Aは思わぬ反撃に頭をかきながら、たらたらとその後ろをついて行った。
商業区に入った時には、すっかり昼時を過ぎていた。
ずらりと並ぶ活気溢れる店の羅列に、カヲルは知らずに嘆息していた。
「すごい…話には聞いていたけどこんなに様変わりしてるなんて」
ここがスラムの一部だということを忘れてしまいそうだ。
「まぁ今一番力を入れてる区域やからな。ここが軌道に乗ればスラム中に潤いが生まれる」
M-Aとカヲルが店に挟まれた道を歩いていると、あちこちから声がかけられた。
「あ、M-Aさん!!偵察ですか?」
「おいM-Aじゃねーか!!お前もっとこっちにも顔出せよ!!」
元々M-Aが懇意にしていた東区の者がここには沢山残っている。
カヲルが呆れるくらい次から次へとM-Aは男たちに捕まっていた。
「…もてるじゃないかM-A」
「アホ。あんな筋肉だるま集団にもてたかて嬉しないわ。で、こっからどうやったらララージュに会えんねん」
カヲルは一番高い建物を指差した。
「あそこにいけばいい。ララが不在でも、
あたしが来たことを聞きつければ飛んでくる」
M-Aはカヲルの指の先を見上げながら怪訝な顔をした。
「お前の昔からの連れらしいけど、どういう関係なんや?」
カヲルは一瞬黙り込むと、足元の乾いた土を見つめた。
「どういう…。あたしがスラムに流れて来た時に、ララの家で一時世話になった」
今まで頑として過去を話そうとしなかっただけに、カヲルのもらした言葉にM-Aは食いついた。
「そういえばお前は昔スラムをまとめようと思ってたんやろ?なんでそんなこと思い立ったんや?」
「…それは…」
カヲルは言い淀むと顔を歪めた。
その瞳を伏せると何かに耐えるように固く口を閉ざす。
M-Aはきつく結ばれた唇にそっと太い指で触れた。
「悪い。こんな所に流れ着いてきた奴の過去を聞くなんて野暮やったわ。ちょっと好奇心で聞いただけや。そんな顔すんな」
M-Aの包容力のある声音は、カヲルの心を僅かに揺さぶった。
絶対に言えないのに、全てを叫び出したいような不思議な感覚に目眩がする。
「M-A…」
見上げた瞳には動揺が浮かび上がった。
M-Aはカヲルの前髪をさらりと指で流すとそのまま手の甲で頬に触れた。
「話したいんやったらいつでも言え。
こんなとこで話しにくいんやったら、夜二人の時にでもええ」
カヲルが眉を寄せて何か言おうとした時、その後ろから大音量の声が響き渡った。
「カヲル!!!お前カヲルに何してやがる!!?」
声の主の大男はずかずかとM-Aに詰め寄ると思い切り襟首を掴み上げた。
「ララ!!」
カヲルが慌てて呼ぶと、M-Aは目の前の男を見下ろした。
「お前、ララージュか。よぅ、五年ぶりやの」
M-Aは全く動じずにララに挨拶をした。
「五年…?…。あっ!!思い出したぞ!
お前あの時サキの隣にいた黒いやつだな!?」
「なんや、思い出せたんか。思ったより鳥頭じゃないんやなお前」
「なんだと!?」
「ララ!!そこまでだ」
カヲルは二人の間に割って入るとララをM-Aから引き離した。
「ララ、どうしてここに?」
ララージュはまだM-Aを睨みつけながら口を開いた。
「今日はたまたま西寄りの店を偵察していたんだ。そしたら……そしたらよぉ!!
なんかお前この男といちゃついてんだもんよぉ!!」
カヲルは公衆の面前にも関わらず大声をあげるララを諌めた。
「こんな所で喚くなっ。大体いちゃついてなんかいない!!
ララ、今日はお前に直接聞きたいこともあってここまで来たんだ。
時間を少しとってもらえないか?無理なら明日でもいい」
ララはカヲルの肩に腕を回すとそのまま引き連れて歩き出した。
「もちろんだカヲル。お前の為なら今からの予定は全てキャンセルにでもするさ」
「ララ、真面目な話なんだ。それに話があるのはあたしじゃなくてM-Aだ」
「M-A?」
カヲルはララの腕からするりと抜けると後ろを親指で指差した。
「あぁ、あいつのことか。お前が今日俺の所に泊まって行くなら考えてやってもいいぞ?」
「ララ、いい加減に…」
カヲルが言いかけると、M-Aが後ろからカヲルの首にくるりと両腕を巻きながら引き寄せた。
「今日のこいつは夜まで俺の予約済みや。お前は早よ情報提供してカエレ」
カヲルは驚いてM-Aを見上げた。
「えっ、M-A!?」
「お…お前!!その手を離せ!!」
M-Aは挑発的に笑うとカヲルの白い髪にこれみよがしに口付けた。
「やかましわ。こいつの心の機微も読めん無神経な奴に喚かれたないねん」
ララは怒りに真っ赤になるとM-Aに飛びかかった。
M-Aはカヲルごと最低限横にずれるだけでこれをかわす。
もう話し合いどころではない。
「ララやめろ!!M-A、お前も変に挑発するんじゃない!!」
カヲルがいくら叫んでも、二人は全く聞く耳持とうとしない。
再び睨み合った二人の緊迫した空気に風を通したのは、意外な人物だった。
「M-Aじゃねーか。何してんだよこんな人通りの多い所で。おっ、こっちはララか。お前ら知り合いだったのか」
「おぅ、ユカンやないか。久々やの」
「邪魔するなよユカン。俺はこいつくびり落とさないと気が済まねんだよっ」
歩み寄って来たユカンは不穏な空気を読み取ると辺りを見回した。
「いいけど、こんな所ではしない方がいいんじゃねーか?見物客がわんさか集まってるぞ」
そこで始めてララは人目の多さに気がついた。
「…わかった。取り敢えず場所を変えよう。お前、逃げるなよ!?」
ララに思い切り指をさされたM-Aは、呆れた声を出した。
「だから、逃げるも何もお前に会う為に朝っぱらから来たんやってのに」
ユカンは目を細めると低い声を出した。
「…何か面倒事か?まさか南区か?」
M-Aはユカンの肩に手を置くとため息をついた。
「全く、お前の方がよっぽど話し出来るわ。あいつとも知り合いみたいやし、よかったら同席してくれ」
ユカンは考える顔になったが、一つ頷いた。
「そう、だな。別に構わないぜ。内戦の時みたいに事前報告がないよりよっぽどいい」
「お前、根に持っとるな」
M-Aは豪快に笑うと友の背中をばしんと叩いた。
カヲルはホッと一息つくと三人の男たちの後ろからついて行く。
予定より一人数は増えたが、さっきの様子からとてもララとM-Aだけで話し合いをさせる自信はなかった。
「あたしがいない方がよかったな…」
今更つぶやいてみたが、どう考えてみても後の祭りだった。