帰りたくない
サナは三日間、何をして過ごしていたのかほとんど覚えていなかった。
ただぼんやりと来たる日のことを思うと、気が狂いそうになった。
サキの前では決して見せなかったが、レイビーに帰るくらいなら今すぐ逃げ出してしまいたかった。
サキは相変わらず忙しそうで、三日目の朝もすでに姿が見えなかった。
お別れは前日の夜に済ませていたし、後はコーシを連れて出発するのみだ。
「しゃな…」
コーシはサナに歩み寄ると少し伸びた背を目一杯のばしてサナの頭を抱え込んだ。
「あいじょーぶ、あいじょーぶ」
コーシなりに様子のおかしいサナを気遣っているのだろう。
サナは久々にそっと声を出してみた。
「コー、ちゃん」
コーシは驚いて顔を上げたが、嬉しそうに笑った。
「しゃな!!あいじょーぶ!?」
「大丈夫、だよ。ありがとう」
まだ大きな声は出せないが、なんとか言葉は発せそうだ。
ここでぐずぐずしていてもしょうがない。
サナは意を決すると立ち上がりまとめた荷物を持ち上げた。
「コーちゃん、行こうか」
手を出すと嬉しそうに握り締める。
この小さな手だけでも、しっかり守らなければ。
サナは背中に冷たい汗を流しながら歩き始めた。
公共の乗り物を幾つか乗り換えた所で、広い荒野に出た。
ここを横切ればもうレイビーは見えて来るはずだ。
すっかり寝込んでしまったコーシをとりあえずベンチにおろすと、上着をかぶせる。
暑い日なのにサナの冷え切った手足は色を失っていた。
そろそろ進まなければ着く頃には夜に差し掛かってくる。
分かっているのに、サナはどうしても動く気になれなかった。
ずっと俯いたまま座り込んでいると、人影が視界に入った。
「こんな所で何してるの」
思わぬ声に顔を上げると、信じられない思いで目の前の人を見つめた。
背の高いその人は、変わらぬ優しいダークブラウンの瞳を細めると笑顔を見せた。
「アオイ…!!」
か細い声を上げると、考えるより先にしがみついていた。
張り詰めていた思いが一気に弾ける。
「アオイ…」
会えるなんて、思わなかった。
もう二度と会えないのかと思っていた。
何度も名を呼びながらしがみつくサナを見下ろすと、アオイはそっと頭を撫でた。
「見送りに来てよかったよ。実はサキに頼まれちゃったんだけどね」
それでもアオイはサナに会うつもりはなかった。
静かに遠目からレイビーに入るのを見届けると、そのまま去る予定だったのだ。
「サナが動かなくなったから心配したよ。
やっぱりレイビーには帰りたくない?」
サナは初めて会った時も帰る所はないとはっきり言っていたくらいだ。
余程嫌なのだろう。
「僕がサキに他の居場所を探すように伝えてあげようか?」
サナは首を振るとしがみついたまま必死に見上げてきた。
「サキには…言わないで」
これ以上迷惑はかけられない。
サキにはもう十分手厚くしてもらっている。
サナは震える手をそっと離すと、無理やり微笑んで見せた。
「最後に、会えて嬉しかった…」
「…」
「アオイ…」
好き。
アオイが好き。
もうだいぶ前から、抑えられない気持ち。
こんな子どもに言われても、アオイはちっとも嬉しくないだろうけど。
「ありがとう…」
優しく微笑むサナは、ただそれだけを伝えるとアオイに背を向けた。
コーシを抱き上げ荷物を持つと、サナは一度も振り返らずにのろのろと歩いて行った。
右足はまだびっこを引いているし、サナの力ではコーシと荷物を持って行くだけでも大変だろうに、サナは少しも現れたアオイを頼ろうともしなかった。
アオイはじっとサナを見つめ続けていたが、一つ吐息をこぼすとその目を細めた。
「全く…少しくらい助けを求めればいいのに」
そしたら煩わしく思える。
心置きなく捨てていけるのに。
天邪鬼な性格は自覚してるものの、こうも気になる相手は初めてだ。
アオイはサナが見えなくなってから、ゆっくりと歩き出した。




