楽しい時間の後
コーシを呼びに行ったサナは、その光景に目を丸くした。
カヲルは手にレンチを持つと、同じくレンチを持って突撃してくるコーシを撃退していた。
サナが慌てて止めに入ると、コーシは嫌がって逃げる。
カヲルに視線を上げると、苦笑しながらレンチを置いた。
「断っておくけど、怪我なんてさせてないよ。コーシが強くなりたいっていうから適当に相手していただけだ」
コーシが西区の男たちにやたらレンチを振り回していたのは、どうやらカヲルのせいらしい。
そうこうしているうちに丸腰のカヲルにもう一度突撃してくる。
カヲルはするりと素手で絡め取るとコーシの武器を叩き落とした。
「こらコーシ。約束を破るならもう教えないぞ。ちゃんばらはお互いフェアな条件じゃないと攻撃したらだめだろう?」
コーシは悔しそうにはたかれたレンチを見つめている。
「あおーる。もっかい」
「今日はもうだめだ。サナがびっくりしているだろう?」
コーシはサナを振り返ると、渋々頷いた。
サナの目からしたらとんでもないことを教えているように見えたが、カヲルは笑いながらレンチを片付けた。
「そんな顔するなよ。スラムじゃ身を守る方法は早く覚えた方がいいんだ。
心配しなくてももう少し大きくなったら分別もつく。そうなったら次は武器を使ってやっていいことと悪いことを徹底的に仕込んであげるよ」
カヲルはコーシを高く抱き上げると高い高いをした。
カヲルの手を離れかなりの高さを吹っ飛んだが、コーシはきゃっきゃと楽しそうだ。
サナはまだ少し不安だったが、大人しく年長者に従うことにした。
パーティーが始まると、それはそれは賑やかな夜になった。
何せコーシがいるだけで笑いと怒声がひっきりなしに上がる。
サキはご機嫌だし、M-Aは手当たり次第物事に突っ込んでいる。
カヲルもだいぶ馴染んできたのか、主にコーシの相手をしながらも楽しそうだ。
サナは帰ってきたことを実感しながら微笑んでいたが、時折無意識に右足に巻いた包帯にそっと手を当てては小さく首をふっていた。
深夜、コーシがやっと寝つくとサキはサナを誘って部屋を出た。
「サナ、こっち」
サナを引き寄せるとひょいと抱えて屋根に登る。
いつもの場所まで登ると、サキはできるだけ丁寧にサナを降ろした。
「ちょっと重くなったな。さっきもちゃんと食べてたし。アオイはサナを扱うのがうまかったんだな」
アオイの名に、サナが僅かに反応する。
サキは気付かないふりをしながら隣に腰掛け煙草を取り出した。
「サナ。大事な話がある」
星のない空を見上げ、その視線を足元の屋根に移す。
「三日後、俺とM-Aはこの家を出る。
次はいつ帰るかも分からない。近々スラムは荒れる。ここにいればサナもコーシも、危険なんだ」
サナは驚いてサキの横顔を見つめた。
サキは目を伏せたままただ淡々と言葉を落とした。
「コーシを連れて、レイビーに帰ってくれないか」
サナは真っ青になると俯いた。
サキは結局火をつけなかった煙草を懐に戻すとサナに向き直った。
「帰れない理由があるのか?」
サナはただ頷く。
理由が言えないのは、ただ声が出ないからだけではない。
「仕送りのことか?」
一瞬硬直したが、少し考えて頷く。
「サナ、今まで仕送りが出来なかった分は俺が支払う。少し多めにもたせてやる。それでなんとかならないか?」
サナは俯いたまましばらく返事が出来なかった。
サキが言うのなら、本当にここにいては危ないのだろう。
スラムのはずれにあるレイビーが安全だと判断したのなら、サナには他にどうすることもできない。
長い沈黙の後、サナはついに頷いた。
サキはじっと見つめていたが、心配そうにサナを抱きしめた。
「必ず迎えに行くから、その時までコーを頼む。どうしても何か辛いことがあるなら、トレッカを通じて俺に連絡を寄越していいから」
サナの様子から、本当は今レイビーに帰したくはなかった。
だがサキには他に方法がない。
レイビーの腹心の友によくよく頼んでサナとコーシを任せるのが関の山だった。
サナは青い顔のまま、心配するなとでもいうように健気に微笑んでいる。
サキは聞き分けの良すぎる可愛い妹のおでこにキスを落とすと、もう一度だけしっかり抱きしめていた。
部屋に残されたM-Aとカヲルは、アオイの話題で場をつないでいた。
「サキが二人か。考えたくもないな」
「おう。俺が逃げ出したなったくらいやからな。それはそれはたまらんかったぞ?
今にもニコニコ笑いながら刺されそうな緊張感がずっとあったわ」
カヲルはなんともいえない顔で水を一口飲んだ。
M-Aは所作の綺麗なカヲルを見つめると、不思議そうに首を傾げた。
「そうやって見ると女にしか見えんのにな。なんで男やと思い込んだんやろ」
カヲルは途端に不機嫌になるとコップを置いた。
「僕のことはどいでもいいだろ。それより三日後にザリーガの元に侵入するっていうのは本気なのか?」
M-Aはまだカヲルをまじまじと見ながら頷いた。
「あぁ、グランディオンの所にも行くで。
あいつらの勢力を肌で感じるんや。それにしてもお前髪の一つでも伸ばしたらえらい美人に化けるんちゃうか?」
カヲルは苛立って立ち上がった。
「あたしのことはどうでも…っ!!」
言いかけて口を閉じる。
コーシといる時につい地がでていただけに、思わずそのまま口走ってしまった。
「…とにかく、明日また詳細を聞きに来る。今日は、邪魔したな」
さっさと部屋を出て行くその背中を見ながら、M-Aは煙草を取り出した。
「なんやねんあいつ…。割と可愛いやつやないか」
喉の奥で小さく笑うと、M-Aはゆっくり煙を吐き出した。




