サキの敵
鉄の柱にぴたりと体を寄せると、M-Aは慎重に奥を覗いた。
「おるぞ。あいつや。噂通りけったくそ悪い顔しとるわ」
後ろに囁いたが返事がない。
不審に思い振り返ると、サキは適当な紐でコーシを体に巻きつけようとしていた。
「なにやっとんねん!!」
「いや、やっぱ両手使えねーのって不便だし…」
「アホか!!そんな括り方したらすり抜けてすぐ落ちるわっ。貸してみ」
サキから紐を奪い取ると、M-Aはコーシをサキの背中に乗せて手早く巻き始めた。
「M-A、なんでそんな事がうまいんだ?」
前々から思っていたが、素人の自分に比べてM-Aは少なくとも赤ん坊の扱いを知っている。
「…孤児院おるときは、小さいガキの世話はよぅさせられとったからな。お前もあそこであと四年もおったら間違いなくさせられてたぞ」
孤児院を飛び出した時はサキはまだ十二歳。十六歳のM-Aがこんな赤ん坊を何人もあやしてる姿を想像して、サキは身震いした。
「こ、こえ〜。懐いたやつとかいたのか?」
「ほっとけ」
最後に力を込めて紐を引くと、M-Aは背を向けてもう一度柱の奥を覗き込んだ。
「…ほらみてみい!!おまえのせいでどっか行ったやんか!!」
サキに詰め寄ると頭上から笑い声が響いた。
反射的にサキとM-Aは地面を蹴りその場を離れる。
それと同時に無数の発砲音が響いた。
「銃撃!?数年前の暴発弾事件知らんのか!?」
全力で走りながら物陰に身を隠す。
階段の上から発砲してきた男は、楽しそうに声を上げた。
「一体どこのネズミだ?出てこい」
コツコツと階段を下る音が聞こえる。
「最近うろちょろと俺の身辺調査してる奴がいると聞いていたが、お前たちか?」
足音はどんどん近付く。
「あぁ、こいつが怖いのか?これは単なる脅し道具さ」
男は銃を高く掲げると、音を立てて床に落とした。
M-Aはすかさず男に背を向けて走り出そうとしたが、サキがその肩を思い切り掴んだ。
「サキ…!?」
「罠だ。囲まれてる…っ」
M-Aはざっと辺りを見回したが、誰も見当たらない。
「あいつが銃を手離した今しか逃げられんぞ!?」
「違う。それ自体が罠だ」
サキは自身も懐から銃を引き抜くと、物陰から飛び出し発砲した。
サキが低い位置から撃ち抜いたのは、男が落とした拳銃だった。
高い金属音が鳴り響くとそれは男からだいぶ遠いところに弾き飛ばされた。
「こっちだ!!来いっ!!」
M-Aに鋭く叫ぶと、サキは目の前の男に向かって走り出した。
すれ違いざま、まともに二人の視線がぶつかる。
その男はがたいが良く背も高かった。
後ろに撫でつけられた髪はかっちりと黒く、なにより凶悪な濁った目は底なし沼のようにどこまでも不気味だ。
向こうも舐めるようにサキを見ていたが、特に何も手出しはしてこなかった。
M-Aはサキとは反対隣をすり抜けると、共に暗い裏路地に消えていった。
「ザリーガさん!!何故追わないんですか!!」
サキが見えなくなると、身を潜めていたガラの悪い男共がわらわらと姿を現した。
ザリーガは喉の奥で楽しそうに笑うと、さっき見た青年の顔を思い出した。
「放っておけ。どうせまたそのうち現れるさ。なかなか頭のキレる奴だったな」
あのままM-Aと同じ方向に飛び出していたら、二人はまんまと男たちに囲まれて逃げ場はなかっただろう。
退屈な時間を一時楽しませた鼠に、男はまた低く笑っていた。
表の明るい路地まで戻ると、M-Aは大きく肩で息をした。
「お前なぁ、なんでわざわざあいつの横通り過ぎんねん!!反対側から逃げた方が近いし危なくなかったん違うんか!?」
M-Aが詰め寄っても、サキはけろりとして銃に弾を詰めなおす。
「だから、囲まれてたんだって。あいつが銃を落とした瞬間複数の気配が動いただろ?あれは何らかの合図だ」
M-Aは首を傾げると低く唸った。
「確かに…今思えばわざとらしいというか…パフォーマンスくさい落とし方やったな」
言いながらM-Aはサキの手首を捉えた。
「…なんだよ」
「そいつを捨てろて、前も言うたやろ…」
抑えたサキの手首には、黒光りする拳銃が握られたままだ。
サキは面倒臭そうに腕を振り切った。
「俺が暴発弾を見抜けないとでも?」
「そういって死んだ奴が、腐る程出たから人間は銃を捨てたんや」
M-Aは煙草を取り出すと火をつけた。
「おい、コーの前で煙草は…」
サキははっとして背中のコーシを降ろした。赤ん坊はあんなに激しく動かれても、すやすやと寝息をたてていた。
「なんちゅう図太い奴や。こりゃ大物になるんちゃうか?」
M-Aがうははと笑いながらコーシの頭を叩くと、途端に赤ん坊はぎゃーぎゃーと泣き出した。
「おいM-A、コーに触んなよ」
サキがコーシをあやすと、M-Aは苦笑しながら腕を組んだ。
「全く…赤子連れでスラム乗っ取り計画を企むなんて、アホとしか言えんわ」
M-Aは呆れていたが、どことはなしに目を細めてサキとコーシを眺めていた。