絆
どこまでも広がる空は、厚い雲がまばらに立ち込めていた。
海から吹く風は変わらずサボテンの群れを揺らしている。
サキは宿敵の遺体をその地に埋め終わると、静かにそれを見つめた。
怨恨の念など今更湧きはしないが、複雑な思いは根深くざわめく。
作業が終わっても、サキはすぐに地上を離れようとはしなかった。
海風に誘われるように風上へ歩き出す。
崖の先まで辿り着くと、足元の数十メートル下には荒々しく寄せては返す波の群れが渦巻いてるのが見えた。
遠目に見える灰色の海には、雲の切れ間から差す光が所々光を反射させている。
もうどのくらいそこにいるのか分からなくなるほど、ゆるゆるとした時間が経過していった。
「終わったんだろ?」
波の音を縫うように、懐かしい声が聞こえた。
「あぁ」
サキが答えると、灰色の海に浮かぶ懐かしい顔は優しく微笑んだ。
「来いよ」
「…ヤリ…」
「お前の役目は終わったんだ」
それはとてつもなく甘い誘惑としてサキの耳に響いた。
それもいいかもしれないと、ざわめく心が囁きかける。
一歩、崖の淵に足を進める。
からりと小石が崩れて波の渦に消えた。
空を見上げてから瞳を閉じると、身体中の力が徐々に抜けていく。
心が羽のように軽くなった時、冷えたその腕に温かなものが触れた。
「…行くのか?」
見上げるライムグリーンの瞳は、真っ直ぐにサキを見上げていた。
「そうだな…」
掠れる声で答えると、サキを見つめていた瞳は陰りを帯びた後ゆっくりと伏せられた。
「そっか…」
小さく言うと、その少年はサキよりも前に出てふわりとその体を宙に投げた。
スローモーションのように、少年が風にさらわれていく。
「…っ!!!コーシ!!!?」
サキは急に覚醒したように叫ぶと、反射的に少年の腕を掴んでいた。
突然の動きに、身体中が痛みに悲鳴を上げる。
それでもサキは渾身の力で引き上げた少年を抱きかかえると、なんとか地面の上に転がった。
「コー!!コー!?お前何考えてるんだよ!!」
瞳を閉じたままのコーシの頬を軽く叩きながら、サキは必死で呼びかけた。
「…それは、こっちのセリフだよ…」
サキの手を掴むと、コーシは薄っすら目を開けた。
「これがサキがしようとしたことだ」
猫のようにつり上がった目で睨むと、コーシは傷を庇いながら上半身を起こした。
「サキ」
間近でサキの揺らめく瞳を覗き込む。
コーシはふと目元を緩めると、少しだけ言いにくそうに言った。
「ただいま…」
「…」
久々に聞く、日常での言葉。
サキは一度瞳を伏せると、以前と変わらぬようにコーシの頭をくしゃりとかき混ぜた。
「遅いぞ、コー…」
昔は何気無く交わしていたやりとりが、今では息苦しいほど胸を詰まらせた。
「サキ、行こう」
コーシが指差したのは、海とは反対側だ。
サキは立ち上がるとコーシに手を伸ばした。
「…そうだな」
コーシはサキの手を取り立ち上がると、すぐにその手を離した。
代わりに小さな拳を握る。
サキもすぐに拳を作り、軽くぶつける。
苦笑交じりににやりと笑った二人の顔は、そっくり同じものだった。
海に背を向けると、サキは大きく目を見開いた。
「お前ら…」
少し離れた場所で、二人を見守る影が五つ佇んでいた。
厚い雲の切れ間から差し込む光が、サキとの間を明るく照らす。
「今が大事な時期なのにサキの様子が気になってね。サナをシェルターに送り届けてから戻ってきちゃったよ」
光の中に、柔らかいオレンジの髪をなびかせたアオイが進み出た。
「サキ、今のあたしがお前の異変に気付かないと思うか?」
澄んだアメジストの瞳を煌めかせながら、カヲルもその光の中へ入る。
「俺はやることはちゃんとやってから来たぜ?後はサキを中央区に送り届けたら、それで仕事は終いだ」
ララージュが逞しい筋肉がついた腕を組みながら息も荒く進み出る。
「舌の根も乾かぬうちにその海へ飛び込むつもりかサキ。この俺がそれを許すと思うのか」
グランディオンが低く唸りながら一歩前に出た。
「俺かて勝手にくたばったら許さんて言うたよなサキ。その首根っこ引きずってでも立ち直らせるからな」
M-Aは吸っていた煙草を足元に捨てると最後に光の中へ歩み出る。
サキは瞳を閉じると一つ大きく息を吸った。
それぞれの出会いが、瞼の裏に走馬灯のように駆け巡る。
コーシはM-Aの隣に走り寄ると、サキを振り返った。
「サキ…こっちだ!」
コーシの声に、ゆっくりと目を開く。
「俺は…仲間なんていらないんだよ…」
言いながら、光の中へ、体を入れる。
「なんで…お前らは、ここにいるんだ…?」
M-Aは頭をかくと眉を寄せながら言った。
「それがお前の軌跡やからやろ。…ていうかお前がそれ言うか!?なんでとか言うけどそれはなぁ!!」
「サキのせいだろ」
「お前がグイグイ来るから!!」
「サキが巻き込んだんだよね」
「お前が乗り込んできたからだ」
それぞれ見事に口走った大人たちに、コーシは目を丸くした。
そしてサキは、コーシより目を丸くしていた。
一拍して、サキが吹き出した。
つられたようにコーシも笑った。
ララとM-Aは豪快に笑い、アオイも珍しく声を立てて笑っている。
カヲルは懸命に口元を押さえ、グランは口の端をつりあげた。
サキは笑いすぎて滲む目元をぬぐいながら皆を見回した。
「なんだよお前ら、いい大人が人のせいにばっかりしやがって」
「アホか!!誰一人間違ったこと言う取らんぞ!!」
「全くだよ。早くしっかりしてスラムを取り仕切ってくれよサキ。僕だって忙しいんだからね」
サキは背筋を伸ばしもう一度皆をじっくりと見回すと、不敵な笑みを浮かべ腕を組んだ。
「揃っているなら話は早い。構想は決めてあるんだ。
まずは南区。ここの後釜にはグランを据える。ここはまだ例の厄介なサボテンの管理もあるし何より荒みすぎている。
東区の連中との交流を盛んに行い底上げに力を注ぐ。上手くバランスを取りつつ舵を切れるのはグラン意外にいないだろ?
それから商業区はララとユカン、それからロバンを中心に発展に力を入れてもらう。
経済をしっかり回すんだ。
街との連携としてアオイとのパイプラインをしっかり築いておけよ。
アオイ、ララを通してスラムの状況は常に把握しといてくれ。
その上でハードハムから目を離すな。
ソルトベーコンは中々話が出来るやつだからそっちと密になる方が良さそうだ。
カヲル、西区はまだそこまで急いで発展させる必要はない。
俺と中央区に戻ってあそこをちゃんとした居住区と言えるようにライフラインを整え、ゴミの処理と管理体制を整えるのを手伝ってくれ。
M-Aは引き続きスラム中を渡って現場の一番新しい報告を俺に回してくれ。以上だ」
五人は呆気に取られるとただただサキを見た。
最初に動いたのは、やはりサキと一番付き合いの長いM-Aだった。
「お前は…おどれはなんやねん!!?
さんっざん人に心配かけときながら、ちゃんと皆を最大限こき使う算段をばっちりつけとるやないか!!!」
本気のヘッドロックをかけながら怒り倒す。
「苦しい苦しい!!俺はけが人だぜM-A!!」
「関係あるかい!!!さっさとそんなもん治してお前が走り回らんかい!!」
他の誰もが呆れ顔でそれを眺めている。
サキは太い腕に手をかけると、逆上がりのようにくるりとまわりその腕を逃れた。
猫のように綺麗に着地すると、颯爽と立ち上がる。
「こんなのかすり傷だ。そうだろ?コー」
コーシは左肩に手を置くと笑って見せた。
「こんなの、痛くもないさ!!」
顔色はまだ白くても、コーシは生き生きとした顔で頷いていた。
「よし、行くか」
サキは力強く歩き出すと少しだけ後ろを振り返る。
「さっさとついて来いよ、お前ら」
それは完全にいつものサキの顔だった。
気が付けば厚い雲は海風に流され、空は惜しみなく透き通った青を広げている。
輝きを取り戻した熱い太陽が照らし出したのは、彼らを見送る海の煌めきと、彼らを繋ぐ絆の糸だけだった。