争いの終結
サキは真っ直ぐにハードハムに向かって歩いた。
自ら流す血と浴び続けた返り血でゆったりと歩く姿は、戦場で具現化した鬼神そのものだ。
護衛兵たちは背中に冷たい汗を流しながら近付くサキに剣を向けた。
異様な緊張感が漂い空間を張り詰めさせる。
さっきまでの暴れながら突撃してくる方が余程ましだった。
サキは幾つもの刃先が向けられる中で、ナイフを高らかに掲げるとそれを地面に突き刺した。
立ち上がると腕を組んで前を見据える。
「よぉ、ハードハム。やっとスラムに巣食う害虫を駆除し終えたのに、くだらねー水差しに来やがったな」
それは身の毛もよだつ、冷静な声だった。
ハードハムは丸腰になったサキを注意深く観察すると、護衛兵を左右に寄せた。
サキとハードハムの前に道が出来る。
「お前には感謝してるぞサキ。長年俺の邪魔をしてきたボイルエッグを始末してくれたんだからな。奴は裏の顔を鉄壁の守りで隠してたから手こずっていたんだよ」
サキは低く笑うと、鋭くハードハムを睨み据えた。
「…それは貴様も同じだろう」
「なに…?」
「俺は市街の権力者がこの南区と繋がりがあると睨んだ時からある程度のことは調べ尽くしたんだよ。もちろん、お前のこともな」
「…」
ハードハムは黙り込むとサキを睨みつけた。
下手にこちらが口を開くより、サキが何を掴んでいるのか探るべきだと判断したのだ。
「俺には優秀な情報屋がいてね。お前が南区の誰かと繋がりがあることは早々に掴んでいた」
ハードハムはにやりと笑うとバイクから降りた。
「そんな陳腐な情報しか手に入れられなかったから、率直にゾラシーガが俺だと勘違いしたのではないか」
「ちゃんと聞けよ。俺は、優秀な情報屋だと言ったぜ?
お前は力のある権力者だ。もちろんザリーガと繋がっている可能性は疑っていたが、外から調べられることなんてたかが知れてる。
その情報屋はすぐにお前の周りの人物のことを全て調べ上げた」
「周りの人物だと?」
サキは一歩前へ乗り出すと、光る瞳を猫のように細めた。
「お前が南区と繋がりがあることを知り、それを憂いている。だがしがらみからお前の側を離れず、止めることも出来ない。
調べている最中にそう言って苦悶している奴を見つけたぜ」
サキは護衛兵の中でも一際輝くエンブレムを付けた男を振り返った。
「約束を果たす時が来た。ハードハムは俺がなんとかする。今こそその為に俺に協力してもらおうか」
「…あんたがあのまま暴れ倒して襲い来るなら、始末する気だったんだがな」
男が苦悩の表情で応えると、ハードハムは驚愕して叫んだ。
「そ…、ソルトベーコン!!?」
それはハードハムが昔から使えさせている信頼のある部下だった。
護衛兵一小部隊隊長でもある彼がいたからこそ、ハードハムはこの場に自らの護衛という名目で護衛兵を仮出せたのだ。
ソルトベーコンはサキを真摯に見つめた。
「サキ、俺は条件を譲る気はない。ハードハムさんに手をかけたり、名誉が傷付くようなやり方をする気なら、俺はお前に微塵たりとも協力はしない。必要ならば、お前を消す」
サキははっきりと頷くと青ざめるハードハムに向き直りにやりと笑った。
「俺のシナリオを説明しよう。俺はこの南区でザリーガと派閥争いの喧嘩をした。
そこでパールとボイルエッグのことが明るみに出て、始末されそうになった。
俺は仕方がなく正当防衛で二人を手にかけた。お前はボイルエッグを調べる為にここへ駆けつけていたが、この混乱を鎮める為に尽力を注ぐ結果となったとさ。
これでお前の評判はうなぎ登りだ。何よりなに一つ嘘は言ってないぜ?」
頷いたのはソルトベーコンだ。
「お前がそう証言し、ハードハムさんを立てることに重点を置くというなら全面的にそれで協力しよう」
ソルトベーコンは少し目を伏せると固い声で言った。
「サキ…。ハードハムさんは、悪い人ではないのだ…」
サキは少しだけ口の端を上げた。
「権力者ってのはあんなもんだ。自分に都合のいい場面を手繰り寄せる狡猾さもなければ務まらないだろ」
ソルトベーコンは顔を歪ませると苦笑した。
「あんたが正気になってくれてよかった。俺の見込み違いではなさそうだ」
振り返ると護衛兵を一気に下がらせる。
ハードハムは憤怒の形相でソルトベーコンに詰め寄った。
「ソルトベーコン!!!お前…お前が俺を裏切るのか!!!早くサキを始末してこないか!!!」
「ハードハムさん。ここは引きましょう。彼はもう始末すべき敵ではありません」
「スラムの住人のことなど信用できるか!!あいつの首さえ今ここで落としてしまえば全て俺の思惑通りにこの場を利用できるものを!!」
サキは二人に歩み寄るとにやりと笑った。
「だとよ、どうするソルトベーコン」
ソルトベーコンが口を開こうとする前に、サキの後ろから声がした。
「政治家ならもう少し冷静に損得勘定したほうがいいよ、ハードハム氏。状況は常に変わるんだ」
いつの間にか近くまで来ていたアオイが冷たい目でハードハムを見ていた。
「大体サキ一人ここで口封じても俺らが黙っとるわけないやろ」
「その通りだ。お前はスラムを甘く見過ぎている」
隣に立つM-Aとグランディオンが低く言い放つ。
「商業区では今は市街の者の出入りも頻繁なんだ。いらぬ噂が立つのは明白だ」
「そうだぜ!!俺だってこれでも市街では顔が広いんだ!!事実をねじ曲げようってんなら黙っておける自信はないぞ!!」
カヲルとララージュがとどめとばかりに政治家のウィークポイントを突くと、ハードハムはついにがっくりと肩を落とした。
「…分かった。ここは一度、引こう」
ソルトベーコンはいたわるようにハードハムの肩に手を添えると、サキを見た。
「すぐに使いを寄越す」
「あぁ。しばらくは南区のどっかにいる」
「分かった」
ソルトベーコンは護衛兵を振り返ると声を上げた。
「引き上げるぞ!!!」
サボテンの丘から続々とバイクが降りていく。
ハードハムたちは来た時と同じ地上のルートを走り抜けながら市街へと戻って行った。
「俺は下の奴らに終わったことを伝えて来るわ!!」
ララが張り切って走り出そうとした。
「ララージュ。分かっていると思うが余計なことまで言うなよ」
サキに釘を刺されると、ララは顔をしかめながら親指を立てた。
「もちろん分かってる!!!ザリーガ討伐の知らせだけ触れ回って来るさ!!」
ララージュは大声で言うと、興奮のまま走り去って行った。
地上は異常な静けさを取り戻した。
聞こえるのは風の音ばかりだ。
ララがゲートに入るのを見送っサキが振り返ると、立っていたのはM-Aだけだった。
そのM-Aも、辛うじて抱いていたコーシをサキに渡すと地面に膝をついた。
震える手で煙草を出すが、咥えたまま地面に転がった。
「あかん…死ぬ前には、絶対一本…吸ったろ思たのに…」
言いながら瞳を閉じ、そのまま動かなくなる。
サキは既に意識のないコーシを見下ろした。
まだ血の止まらない肩と背中の傷口を押さえながらきつく抱きしめる。
「コー。…すまない。お前と出会ったことは、間違いだった…」
そのまま膝をつくと、サキはコーシを抱いたまま、M-Aの横に崩れ落ちた。