イナザミとカヲル
M-Aは第三地域のそばまでバイクを走らせると、適当な民家の前で止まった。
この辺りにある家はトタン板でできたような薄っぺらいものではなく、頑丈な石造りで組まれ、扉も鍵が付いた物が多い。
M-Aが思った通り、ここに住む者達ももっと奥へ避難したのか空の家ばかりだった。
M-Aはカヲルを抱えたまま三つ目のドアを押した。
最初の二つとは違い、僅かな音をたてるとそれは内側へ開いた。
「ちょうどいい家が空いとったわ。すまんが今日一日借りるぞ」
中にするりと入ると、部屋の真ん中にあるランプに一つだけ火を灯した。
ぼんやりと小さな平屋が映し出される。
整ったリビングやちゃんとしたベッドがある辺り、第三地域で仕事を持っている人の家のようだ。
「湯溜めがあるんか。贅沢な家やな」
カヲルをゆったりした椅子に置くと、M-Aは一応部屋をくまなく確認した。
その足で湯溜めに火を入れると、人一人入るのがやっとの、カーテンを引いただけのシャワールームを覗いた。
そこにあるポンプを上下すると冷たい水が流れ出し、それは徐々にお湯に変わった。
昼間の汗と埃と返り血だらけだったM-Aはさっさと衣服を取るとざっと体を流した。
「あー、こんなんサキに見られたら怒髪天をつかれそうやな…」
束の間の癒しに目を閉じたが、すぐにお湯を止めるとカーテンを開き、流し台の上に置いてあったタオルで軽く拭う。
ふとカヲルを見ると、そのアメジストの瞳がぼんやりと開いていた。
「なんや、起きたんかいな。腹大丈夫か。ちょっと本気でいれてもたからな」
話しかけても全く反応が返ってこない。
M-Aは眉を寄せるとカヲルの前に立ちその体を抱え上げた。
「その頭なんで黒いねん。俺の目をくらますためか?そんなんで分からんはずないやろうに」
かちりとルビーの入ったチョーカーの留め具を外す。
「カヲル、俺が分かるか?」
以前はこれで反応が返ってきたのに、今は全く反応がない。
M-Aはかろうじてかかっていた薄い布も外すと床へ落とした。
「お前も洗ったるわ。悪いけど狭いからこのまま抱えて洗うぞ」
流し台の石鹸を手に取ると、M-Aはそのまま申し訳程度のシャワー室に戻った。
熱いお湯を浴びても、頭が泡だらけになるくらい洗われても、相変わらずカヲルは無反応だ。
「カヲル。息、できてるか?」
泡を流しながらM-Aはその背中を撫でた。
「お前が呼吸してええ場所はここやぞ」
根気良く話しかけるが、やはり反応はない。
M-Aはため息をこぼすとお湯を止めた。
そのままさっきのタオルで二人分の体を拭くと、すっかり濡れきってしまったタオルを軽く絞った。
当たり前のようにそのままベッドへカヲルを運ぶと、虚ろな瞳を覗き込む。
「イナザミ」
低く呼びかけると僅かにカヲルの瞼が動く。
この反応を、M-Aは見逃しはしなかった。
「ええ名前やな。イナザミは、どんな子やったんや?」
カヲルは初めて表情を動かした。
「…やさしい…」
M-Aはカヲルの頬に口付けるとそのまま続けた。
「そうか。お前の大事な子やったんやな。妹か?」
「…おとうと。手が小さくて、かわいい」
カヲルは微笑んでいた。
その焦点はまだ合わないが、少しずつ反応が返ってくる。
M-Aは微笑みを形作った唇に軽く口付けると瞳から目を逸らさずに言った。
「その子は、今どこにおる?」
カヲルは眉を寄せるとのしかかるM-Aの体を手で押した。
「僕が、イナザミだ…」
M-Aは押し返すカヲルの腕を二本掴むと、さっき絞ったタオルで縛り付けた。
そのままカヲルの頭の上にあげると片手で固定する。
「お前はイナザミやない。カヲルや」
アメジストを間近で見つめながら囁く。
「イナザミは、殺されたんか?だからお前はあんなに何かに復讐したがってたんやな」
カヲルは急に覚醒すると大きく身をよじった。
「離せ!!お前は、誰だ!!」
「お前はイナザミやない。イナザミの仮面をかぶっただけの、ただの復讐鬼や。目を覚ませカヲル」
「はなせ!!!」
暴れようとしたが既に両腕は抑えられ、体は逞しい体に組み敷かれている。
「俺を忘れたふりするのもやめろ。お前は分かってるはずや」
M-Aは今度は深く口付けると空いた手でカヲルの体をなぞった。
ジーバルや他の男に触られてもぴくりともしなかった体が大きく跳ねた。
カヲルの体はこの手を知っている。
この口付けを覚えている。
キスの合間にも抵抗をするが体はどうしようもなく反応する。
M-Aは少しだけ離れると吐息をついた。
「…前のままの反応やな。そうか、あの野郎お前に最後まで手出さんかったんやな」
「やだ…いやだ…」
カヲルは泣き出しそうな顔をしながらM-Aを見上げている。
「お願い…僕を消さないで…」
「そんな顔してもあかんぞ。煽られるだけやわ」
片手でカヲルの腕を抑えたまま、M-Aは白い肌に顔を埋めた。
カヲルはたまらず声をもらした。
この上なく攻めるようで優しいなぞりは、いつも頭を働かせなくさせられる。
「や…やだ!!いやだ!!M-A!!!」
M-Aは動きを止めるとカヲルの瞳を覗き込んだ。
「なんやねん。やっぱり忘れてなんかないやんか」
「やめて…。あたしからイナザミを消さないで。イナザミが…いなくなってしまう…」
M-Aは上半身を起こすとベッドの隣に置いてある全身鏡を引き寄せた。
「見てみろ」
カヲルは顔だけ横向けると自分のアメジストの瞳と目があった。
「イナザミは、優しくてかわいい弟はそこに映っとるか?」
そこには男に抱かれる女の自分しか映っていない。
「イナザミ…」
カヲルは涙をこぼすと鏡から目をそらした。
「イナザミはもうおらん。お前は最初からカヲルなんや。復讐したいなら最後までカヲルとして果たせ。お前の中のイナザミも、かわいい弟のままで眠らせてやれ。鬼みたいな顔させたらかわいそうやろ」
カヲルの涙を拭うと、M-Aはゆっくりとカヲルの体を引き寄せる。
カヲルは顔を歪めると逞しい肩にすがりつき爪を立てた。
「あたしは…たぶん一生M-Aを憎むよ…」
M-Aは白い体を抱くと喉の奥で笑った。
「憎んだらええ。誰かを憎まな生きていかれへんのやったら、俺にしとけ」
言葉になったのはそこまでだった。
二人はもつれるような口付けを交わすと、そのまま朝になるまで互いを求めあっていた。