コーシと猫
カヲルはいつもの場所で片膝を抱えてふさぎこんでいた。
両サイド瓦礫に挟まれたこの小さな教会は、昔からの憩いの場だった。
入り口は完全に塞がれているので、この場所を知っているのはカヲルとその辺の猫くらいだ。
「イナザミ…」
懐かしい名前を口にすると、カヲルは瞳を暗く伏せた。
カタリと小さな音が教会に響く。
ここを溜まり場にしている猫たちが戻って来たらしい。
ぼんやりとその様子を見ていたが、最後に入ってきた子どもを見て目を見張った。
「お前…!」
それは間違いなく昨日血だらけの手で小太刀を渡してきた子どもだ。
カヲルは辺りに警戒した。この子どもがいるということはサキがいるはずだ。
背中に冷たい汗を流しながら次の動きを待つ。
だがどれだけたっても他に人が現れる気配はなかった。
子どもはすっかり猫に夢中で、寛いでいる様子をしゃがみこんで見ている。
カヲルは落ち着くように深く息を吐くと、ゆっくり近付いた。
「お前一人か?」
全くカヲルに気付いてなかったコーシは驚いて顔を上げた。
「あの男はどうした。こんな所で何をしている?」
コーシはカヲルをしばらく見つめていたが、小さな人差し指を見せると口を開いた。
「…る!おーる」
カヲルは驚いて思わずしゃがみ込んだ。
「お前、僕を覚えているのか?」
「おーる!」
「カヲルだよ」
「あ、おーる」
カヲルは少し表情を緩めるとコーシの頭を撫でた。
「お前は、なんて名前だったかな」
記憶を辿っていると、小さな男の子は今度は自分を指差した。
「こー」
カヲルは目をしばたかせるとコーシを見つめた。
「驚いたな。僕が何を言ってるかよく分かってる。そういえばあいつがコーって呼んでいたな」
コーシはしゃがみこむとまた猫を観察し始めた。
「コー、こんな所に一人で来たら危ない。あの男の所へ帰れ」
コーシは聞く耳持たずに猫を見続ける。
カヲルはコーシを見ているうちに黒いものが込み上げて来た。
昨日の様子からしてこの子どもはサキが大事にしているに違いない。
少し血がでただけでも血相を変えていたのに、今頃姿が見えなくて大騒ぎしているはずだ。
カヲルはサキと手を組むには、現状では自分が不利だと感じていた。
だが力や頭脳で負けていたとしても、この子どもを抑えている限りサキは自分をしたいように利用はできないはずだ。
「コー、お腹空いてない?僕と一緒においで。ご飯でも食べに行こう」
出来るだけ優しく声をかけると、カヲルは手を差し出した。
コーシは思い出したようにぽてっとしたお腹をさすると、やっと立ち上がった。
手を取ろうとはしなかったが、カヲルのそばへ歩み寄る。
カヲルはコーシの頭を撫でると目を細めた。
「コーは、いい子だな。…おいで…」
二人は壁の一部が壊れた穴から教会を出ると、裏路地を歩き始めた。