真実の友
コーシは第三地域の倉庫の中で一人座り込んでいた。
ここは初めてシアンブルーたちとバイクを盗みに入った倉庫だ。
膝を抱えながらその中に顔を埋めていると、様々なことが頭の中を駆け巡る。
初めて皆に会った施設の広間、シアンブルーと知り合い勇気を貰ったこと、ボールゲームで白熱したウォヌとの試合、チームを組んでバイクを盗んだ日、機械いじりに皆が興味を持ってくれたこと、地獄の仕事場を取り巻き達と過ごしたこと…。
このままM-Aの所に戻れば本当に皆を裏切ることになりそうで、コーシはどうしてもM-Aを探す気にはなれなかった。
「…サキ…」
ずっとコーシの心に住み着いていたサキの存在が、今は辛くて堪らない。
でもそれに相反するように、今すぐサキに会いたかった。
いつものように揺るぎなく微笑んで欲しかった。
なんて顔してるんだよと、なんでもない事のように笑い飛ばして欲しかった。
迷う自分の頭を撫でてお前なら大丈夫だと…言って欲しかった。
一度流れた涙は、止め方を忘れたかのように次々と伝い落ちる。
コーシは声を噛み殺すだけで精一杯で、ただひたすらきつく引き寄せた膝に顔を埋めていた。
もうどのくらい経っただろうか。
外が白み始めた頃、倉庫の扉が開く音がした。
「これで数は揃ってるのか」
野太い男の声が響く。
「あぁ、これだけあればいけるだろう。何せあいつらには足がない。
第一地域であらかたの数が減ったと同時にこれで一斉に突っ込んで掻き乱してやればいい」
「敵味方なく轢き殺しちまいそうだな」
「かまやしないさ。どうせ第一地域で前線に出る奴らは最底辺の奴らや流れ者達ばかりだ。
間違って殺しちまってもなんの問題もないさ。遠慮せずやっちまおうぜ」
男たちはざっとバイクの数を確認すると、コーシに気付かないまま倉庫を去って行った。
再び静寂が訪れても、コーシは膝を抱えたままぴくりとも動かなかった。
ただ頭の中には昨日とは違う顔が沢山浮かんでは消えていた。
ガラの悪い西区の男たち、歩けば次々と声をかけてくる中央区の皆。
オレンジ頭のアオイと優しいサナ。カヲル、M-A、そして…サキ。
コーシは顔を上げるとポーチに手を滑らせた。
愛用のパワーレンチを手に取ると目の前のバイクに手を伸ばす。
それから何時間も何時間も、コーシは外見には分からないように、山のようにあるバイクのパーツを抜き取る作業に没頭していた。
倉庫の中がまた暗くなり始めた頃、再び扉の開く音が響いた。
コーシは手を止めはしたが、身を隠さなければと思うほど頭が働かなかった。
見つかって殺されても、それはそれで構わないと思っていたのかもしれない。
だが中に入ってきた者たちは、真っ直ぐコーシの元に来たかと思うとその目の前で立ち止まっただけだった。
コーシがのろのろと顔を上げると、二人の青年と目が合った。
三人は無言のままただその視線を交わし合う。
仄かに漂うオイルと鉄の匂いだけが、その空気を満たしていた。
「ひでー顔してやがるなコーシ」
重苦しい沈黙を破ったのは、シアンブルーの苦笑だった。
「シアンブルー…」
コーシは、呆然と青年の顔を見た。
「探し回ったぞコーシ。まさか第三地域にいたとはな」
ウォヌは腰に手を置くと安堵の笑みを少しだけ浮かべた。
「ウォヌ…。こんな所で何やってんだよ…」
泣き腫らした目を瞬かせながら、コーシは力なく言葉を落とした。
シアンブルーはしゃがみこむとコーシに手を伸ばしその体を力一杯引き寄せた。
「コーシ、昨日は悪かった。頭に血が上っていたとはいえひでーことを言っちまった。お前は、お前なのにな」
コーシは目を丸くするとシアンブルーを引き離そうと手に力を込めた。
「し、シアンブルー?なんだよ…!?」
「許してくれ。お前は今でも、俺の最高の仲間だ…!!」
「ちょっ…ちょっとシアンブルー!!」
じたばたと足掻いても成長期の十歳差はとんでもなく大きい。
コーシはシアンブルーの体にがっちり抑えられたまま抜け出せなくなった。
「ウォヌ!!なんとかしてくれよ!!」
助けを求められた青年は、言われたとおりシアンブルーの腕からコーシを抜き取った。
だが今度はウォヌがそのままコーシの背中に腕を回しその頭を抱え込んだ。
「野垂れ死んでないか心配したぞ。勝手に飛び出しやがってこのバカが」
「ちょ…なんなんだよ二人とも!!離せよウォヌ!!お前半分は嫌がらせだろ!?」
ウォヌは喉で笑うとコーシを床に降ろした。
「少しは元気が出たようだな。こんな所で何をしてるんだ」
コーシは散らばったパーツを見下ろすと、その中の一つを軽く蹴った。
「争いが始まったら、敵味方なくこいつで轢き殺すって聞いたから…」
シアンブルーは目を見張ると立ち上がった。
「それで、このバイクを走れないよう細工していたのか?お前…一人で…」
コーシは俯くと拳を握りしめた。
「…仕方がないさ。俺は間違いなく中央区のサキの一人息子だ。その事実は変えられない。でもやっぱり皆のことは…大事な仲間なんだ。…たとえ皆がもう俺のこと消してやりたいと思っていてもね…」
シアンブルーはコーシの握った拳を掴むと首を振った。
「あいつらだって俺と同じだ。もうそんなこと思ってないさ。勝手なのは分かってる。
でも、帰ってこいよコーシ」
コーシは思い切り首を振ると手を振りほどいた。
「皆を騙していたことは事実なんだ!!俺はもうあそこには帰らない。
俺は俺のやり方でこの争いに参加する。
皆を守る為だと判断したなら、俺はサキの元に戻ることに躊躇うこともきっとしない」
コーシは自分を迎えに来た青年二人をあえて怒らせるように言い放った。
だがやはりその顔を見ることは出来ず、固く目を閉じたまま俯いてしまった。
次に浴びせられるのは、きっとまた罵声だろう。
聞こえてくるのはやはりお前は裏切り者なのだと怒り、去って行く足音だろうと腹を括った。
だがどれだけ待っても、怒鳴り声は聞こえてこなかった。
コーシはそっと目を開くと恐る恐る顔を上げた。
シアンブルーもウォヌも、予想通り厳しい顔をしている。
コーシの視線を捉えると二人は揃って口を開いた。
「また、力の限り抱きしめられたいのかお前」
「またその口塞がれたいのかお前」
コーシはあまりにも予想の斜め上をいく発言にぽかんとした。
「…え…」
青年二人は物騒な気配を漂わせると距離を詰めて来た。
コーシは飛び上がると慌てて後ろに飛びのいた。
「な、なんなんだよ二人とも!?」
シアンブルーは本気で焦るコーシを見ると、思わず小さく吹き出した。
「なんて顔してんだよお前。馬鹿だな。
…もうお前がどこの誰だろうと、どこで何をしようと関係ないんだよ。
俺は、お前と最後まで行くと決めたんだから。お前が帰らないというなら、俺も帰らないまでだ」
ウォヌも一つ頷くと珍しく優しい笑みを浮かべた。
「俺も同じ覚悟でお前を探しに来た」
コーシは思いきり顔を歪めるとまた視線を逸らした。
「俺に…巻き込まれないでくれよ…」
抑えていても声が震える。
青年たちはちらりと視線を交わすと揃って残りの距離を詰めた。
二人でコーシを抱え上げると思い切り高く持ち上げる。
「分からんやつだな。まだ言うか!!」
「これはやはりその体に教えるしかなさそうだな」
「ちょっ…!わ、分かった分かった!!分かったから降ろしてくれ!!」
顔を真っ赤にしながらコーシが叫ぶと、二人はやっとコーシを解放した。
「よし、じゃあ早速このバイクの解体を続けるか。コーシ、レンチ貸せよ」
「俺にもやり方教えろよ。力付くで壊していいならそうするが」
「相変わらず乱暴者だなお前は」
二人はさっさと動き出すとコーシを振り返った。
「ほら、お前が動かなきゃ始まらねーだろうが」
シアンブルーが促すと、コーシはやっと僅かに笑顔を見せた。
「ったく…しょーがねー奴らだな」
くるりとレンチをまわすと、コーシは力を込めて足を一歩踏み出した。