裏返る絆
M-Aは全ての準備を整えると南区に舞い戻ってきた。
元々戻ってくるつもりだったので、厳しい監視下でも仲間の手引きでなんとか潜り込むことが出来た。
「第一地域も、なんや物騒な気配になってきおったな」
M-Aが煙草を出しながら通りを眺めていると、隣でファイアが歯噛みしながら答えた。
「今ジーバルが第一地域を直接仕切ってる。俺たちは奴らの一声で集められ、お前達にぶつける駒にされる」
「そんな立場やのに俺とおっていけるんかファイア」
ファイアは肩をすくめると敵となる友を見上げた。
「まだ争いは始まってない。俺が誰といようが自由だろ」
「お前は頑固なんか柔軟なんかわからん奴やな」
ファイアは顔を曇らせると、忙しそうに石を家に運び込む親子を見た。
「見ろよ。女や子どもですらゲリラ戦に向けて準備をしている。嫌な光景だ」
「戦に参加する以上、こっちかて弱者を切り捨てなあかんくなる。ザリーガは南区の者の犠牲の上に一体何をしようとしとんねん」
「名目上は自分たちの住処を守れとのことだが、やはりお前にもそう見えるか?」
「当たり前や。ザリーガの奴からちっともお前らを守る意思が見えてこんぞ?」
ファイアは痛烈に舌打ちした。
「それでも…俺たちはここを守る為にやはり従うしかないんだ。悪いな…」
M-Aは何か考えながら煙を吹いた。
「ファイア、お前ら民間人は後方に下がれよ。
戦がしたいだけの血の気が多いアホどもと、ザリーガの手下共の後ろにさり気なく回るんや」
「は…?」
「後は、その場の空気読めっ。任したからな」
「お、おいM-A!?」
M-Aは言うだけ言うとさっさと裏路地に入って行った。
ジーバルが直接仕切っている以上、やはりファイアと自分が共にいるのを目撃させるわけにはいかない。
M-Aは煙草をその辺に捨てると足で踏み潰した。
「ジーバルか…。ちょうどええやないか。カヲルもたぶん来よるな」
カヲルを連れ去られた広場に出ると、M-Aはどことはなしに睨みを効かせた。
「今度は負けんぞカヲル。覚えとれよ」
でかい独り言を残すと踵をかえす。
彼にはしなければならないことがまだ山程ある。
「そろそろコーシも迎えにいかなあかんな…。あいつあそこの施設に戻って来とるんか?」
気になりだすと止まらなくなり、M-Aはすぐに施設に向けて歩き出した。
コーシたちが帰ってきてからの施設は、以前にも増して賑やかになっていた。
一番大きく変わったのは、いつも中々姿さえ見せない取り巻き達がよくコーシの元に訪れるようになったことだ。
そうなると必然的に取り巻きと青少年たちとの交流が増える。
「だから、敵が来たらこの網を投げつけてやるんだ。そしたら身動き出来なくなるだろ?」
「なるほど!!」
「すげー!!サンドさん天才!!」
サンドは得意気に鼻をすすると少年たちを眺めた。
「どうせおまえらがヘナチョコナイフ振り回してたってクソの役にもたたねーんだ。こーいうのをしっかり覚えとけよ」
サタはたっぷり武器の入った箱を眺めると、青年を振り返った。
「これは罠としてあちこちに仕掛けよう。手伝えるか?」
「は、はいサタさん!!」
「なんでも手伝います!!」
反対側ではユーズがナイフの使い方を伝授している。
「いいか!?相手が仕掛けて来たらこっち側にそらすんだ。それからここを、こう横に切る」
「ユーズさん…俺ナイフなんて持ちたくないよ…」
「馬鹿野郎!!積極的に攻めろなんて誰が言った!?身を守る為の動きだ。最低限くらいおぼえとけ!!」
びしばしとあちこちで指導が入っていた。
コーシはアークルと話した次の日にウェンズの元を訪れていた。
皆を戦の前線に出したくないことと守りの戦に出来ないかを必死で訴えたのだ。
ウェンズは熟考の末首を縦に振ってくれた。
「どうせ戦力としてあてにはされていまい。その守りの戦とかいう戦法で、皆で生き抜くことに全力を注ごう」
そうなると作戦を組めるのは経験的にも年齢的にも取り巻き連中ということになる。
コーシは自分に会いに来るサンドたちを上手く皆に慣らしてついに一月経った頃にはこの光景が頻繁に見られるようにまでなった。
コーシは楽しそうに皆と共に笑っていたが、夜になるとぼんやりと一人ふさぎ込んでいることが多くなった。
シアンブルーが何度声を掛けても、ろくに返事すら返さない。
はじめは疲れているのかとそっとしておいたが、さすがに一月も経つと心配になってきた。
シアンブルーはウォヌに相談を持ちかけた。
「もしかしてまたホームシックかもしれねぇ。ただ今度のはかなり重症っぽいんだ」
ウォヌは眉をひそめると小首を傾げた。
「そう言えばコーシはどこからここへ流れ着いたんだ?」
「いや、知らねえ。やっぱそういうのってさほらデリケートな問題だから…」
「で?俺にどうしろと?」
「俺には話しにくくてもお前になら何か言うかも知れねーだろ?」
ウォヌを促すとシアンブルーは外のガラクタの上で一人風に当たるコーシの元へ引きずって行った。
だがそこにいたはずのコーシの姿がどこにも無い。
「あれ?確かにさっきまでそこにいたんだけどな…」
「おいシアンブルー」
ウォヌは人差し指を唇に当てると、顎でガラクタの奥をしゃくった。
その影にコーシの姿が見える。だが彼は一人ではなかった。
数分前、コーシはいつものように外のガラクタの上でふさぎ込んでいた。
夜になるといつもアークルの言葉が頭を回り憂鬱になる。
何かをしなければならないのに、焦燥ばかり募って結局何もできない日々が過ぎて行く。
星も無い空を見上げていると、ふと誰かに呼ばれた気がした。
のろのろと周りを見渡しても誰もいない。
ぼんやりと視線をガラクタの下に向けると、コーシは信じられないものを見た。
「コーシ、こっちや!」
小声で手招きしているのは、もう何年も見ていない気がするほど懐かしい姿だった。
「M-A!!!!」
「あほっ!!でっかい声だすなやっ!!」
コーシは聞いちゃいなかった。
転がるようにガラクタ山を降りると、考えるより先にM-Aにしがみついていた。
「コーシ、随分逞しなったな。見違えたぞ!お前を迎えに来たんや」
M-Aは喜びに溢れていたが、コーシはしがみついたまま顔を上げようとしなかった。
不審に思ったM-Aはコーシの肩を掴んではっとした。
コーシは声を押し殺して泣いていた。
今までどんなに辛くても決して涙を見せなかった少年が、堰を切ったように次から次へと溢れる涙に震えながら耐えていた。
「コーシ…」
M-A自身もこんなに泣くコーシを見たのは本当に久し振りだった。
「すまんかったな。もっと早く迎えに来たったらよかったな。サキも死ぬほど心配しとったぞ」
コーシは首を振るとなんとか涙を止めようと袖で乱暴に目をこすった。
「M-A…俺、俺まだ帰れない。サキは南区に攻め入ってくるんだろ?俺は皆をここで守るよ…」
「コーシ!?何言うとんねん!?中央区へ帰るんや。こんなとこで戦死するつもりか?」
「今は帰れない!!俺は今はただのコーシなんだ!!スラムを統括するサキの息子じゃないんだよ!!」
「コーシ…」
コーシの心の半分が今すぐ帰りたいと言う。
だがもう半分は帰るわけにはいかないと叫ぶ。
M-Aは今は何を言っても無駄だと悟るとため息をついた。
「分かった…。今はとりあえず帰る。けどな、次来る時は力付くでも連れて帰るからな」
M-Aは乱暴な言葉を優しく言い残すと暗闇に姿を消した。
コーシは今の出来事が夢だったような気もして、ぼんやりとM-Aの消えた闇を見つめていた。
「コーシ…」
後ろから名を呼ばれ、コーシは反射的に振り返った。
「ウォヌ!!シアンブルー!?いつからそこに…」
二人の顔は暗闇でもわかるくらい強張っていた。
特にシアンブルーは鬼のような形相で掴みかかってきた。
「今のは誰だ!?話していたことは本当なのか!?」
「シアンブルー落ち着け!」
「ウォヌ!!お前もはっきり聞いただろう!?こいつは西区のサキの子どもなんだ!!俺たちを裏切ってやがった!!」
シアンブルーの絶叫はバイク置き場まで大きく響いていた。
中からぞろぞろと青年たちが顔を出す。
「なんだ?どうしたシアンブルー。珍しくどなったりして…」
シアンブルーはコーシをバイク置き場まで引きずると皆の前に放り投げた。
「こいつはあの西区のサキの子どもだ!!
何しにこんな所へ潜り込みにきた!?偵察か!?スパイ活動か!?どっちにしろ俺たちは騙されていたんだ!!
ただのガキじゃないとは思っていたがとんだ裏切りだこんちくしょうが!!!」
青少年たちが衝撃にざわりと揺れた。
「ま、まさか。嘘だよなコーシ」
「そうだぜ、またそんなくだらねーことを…」
半信半疑な声が聞こえたが、うなだれたまま動かないコーシを見ると誰もが口をつぐんだ。
静まり返った中に、クールスノーの消えそうな声がした。
「ほんと、なの?コーシ?ねぇ、違うって言ってよ…」
「まさかそんな…そんな酷い!!!」
再び起こったざわめきは、半分は嘆きで半分は怒りの声だった。
「今までのことも全部嘘だったのかよ!!」
「よりによってあのサキの子どもかっ!!
どーりでおかしーガキだと思ったぜ!!」
築き上げた信頼が、絆が全て裏返る。
青年たちの怒りは憎しみに近いものになった。
「出て行けよこの裏切りものが!!」
「次会うのは戦地だなぁおい!!どうりで俺たちに武器を持たせようとしないはずだぜ!!今度は俺がお前にナイフを突き立ててやるよ!!」
「出て行け!!」
「今すぐ消えろ!!」
ウォヌは頭に血が上った青少年たちを制した。
「やめろお前ら!!!コーシの言い分もちゃんと聞いてからにしろ!!!」
コーシはウォヌの肩に手を置くとのろのろと首を振った。
「いいんだ、ウォヌ。本当の、ことだから…」
言い終わらないうちに、コーシは走り出していた。
「コーシ!!!」
「追うなウォヌ!!あいつを庇うならお前も裏切りものだぞ!!」
シアンブルーは親の仇はサキだと認識している。
その怒りは尋常なものではなかった。
騒ぎを聞きつけて駆けつけた取り巻き達も呆然とコーシが去ったガラクタ山を見ていた。
「…まじか…まさかあのガキが…」
サンドが青い顔で呟けばサタも苦い顔でうつむいた。
ウェンズはすぐにリーダーを探しに戻り、マンドは踵を返すと去った。
ライは腕を組むと訝し気に太い眉を寄せた。
「裏切っただと?で、あいつの何がどう裏切ったってんだよ」
ライの言葉に取り巻き達は思わず顔を見合わせた。
「そう、だぜ。あいつは何も俺たちにしたわけでもない。ただ親があのサキだったってだけだ」
ユーズが不機嫌そうに相槌を打った。
だが今から追いかけてももう遅い。コーシはとっくに消えてしまっている。
この日から、コーシは二度とこの施設で皆の前に現れることはなかった。
そしてM-Aの元にも、開戦の火蓋が切って降ろされてもその姿を見せることはついになかった。