それぞれの立場
カヲルを逃してからのM-Aの機嫌は最悪だった。
ファイアが安い酒を片手に隣に腰掛ける。
「まさかジーバルが第一地域に来るなんてな。流石に肝が冷えた」
「…」
「おいM-A、ふてくされるなよ。あの女は、お前のだったのか?」
M-Aは煙草を取り出すと火をつけた。
「俺のやない。せやから腹立つんやないか」
「なかなかいい女だったな。…ふられたのか、気の毒に」
「違うわ!!あいつは今、正気やないだけや」
酒を傾けながらファイアはちらりとM-Aを見た。
「まぁお前の事情も気にはなるが…。しっかりしてくれ、こっちの状況もよくない」
言い終えるとちょうど店の扉が開いてエンビエンスが顔を出した。
「…なんだ、お前もいるのかファイア」
互いに顔をしかめたが、以前のような刺々しさは僅かに薄まったようだ。
「M-A、ジーバルに目をつけられた以上俺たちは溜まり場をかえるぜ」
M-Aは煙草を咥えながら頷いた。
「あぁ、そうやな。一度皆散って数ヶ月後に何処かで落ち合おう」
「数か月後…」
エンビエンスが言い淀むとファイアが後を引き継いだ。
「スラムの覇権争いだな。本当に起こるのか…?」
M-Aははっきり頷いた。
「起こる。これは間違いないはずや。しかもこの時点でまだ収集命令が無いということは、ザリーガはこの南区を戦場にするつもりや」
「なんだと!?」
男二人の声が重なる。
特に南区に根を張るファイアは噛みつかんばかりに食いついた。
「どういうことだM-A!?南区には一般人の生活があるんだぞ!?」
「その一般人も戦力にするんちゃうか?例えばゲリラ作戦や」
第一地域に敵を呼び込み、あらゆる建物から攻撃をするのだ。
「それか第二、第三地域にまであえて侵入を許して袋小路にして叩くつもりか…」
「M-A」
ファイアは怖いほど真剣に友を見た。
「俺は、俺らは確かにザリーガに不満がある。グランやサキが奴を沈めて新たな覇権を握ることでこの生活が改善されるのなら、俺はお前に加勢してもいいと言った」
M-Aは煙草をもみ消すとファイアを見つめ返す。
エンビエンスも黙って聞いていた。
「だが戦地がこの南区となると話は別だ。
俺はここを守る。たとえお前が敵になろうともだ」
M-Aはひっつめた頭をかくと、難しく引き締めていた口元をほころばせた。
「お前、アホやな」
「…」
「何当たり前のこと言うとんねん。わざわざ俺に言わんでもそうしろや」
同時に目を丸くする二人を見て、M-Aは声を立てて笑った。
「なんちゅう顔しとんねんお前ら。俺はなんも強制しとらんぞ?自分の信念に従えばいい」
大きく腕を組むと、M-Aは背もたれに体重を乗せた。
「ただ、利用はされんよう気つけろよファイア。ザリーガは一枚上手やぞ」
「あ、あぁ…」
頼りなく頷くと、ファイアは拳を握った。
「俺は…ザリーガなんかよりお前と共にこのスラムを変えたかった…。お前がサキの側近だと聞いた時は頭に血が上ったが、これでスラムが何か変わるかと期待したのも事実だ」
M-Aはにやりと笑うとファイアの腕を叩いた。
「しけた顔すんなや。敵の中にお前らがおんのはこっちにとっても悪いことやない」
「え…?」
「南区を守ったからといってなにも全てザリーガに従うことはない。初めから言うとるやろ、自分の信念に従って動けと。
俺はお前が敵になったとは思わん。たとえ刃を交えることになってもな」
ファイアは口をへの字に曲げると何かを堪えるかのように唇を噛んだ。
「お前らもやでエンビエンス。お前らはもともとサキとグランに反発してここへ来たんやろ?義理でついて来て土壇場で寝返られんのはかなわんからな。それやったらもうここでおらしてもらえ」
M-Aは顔を引き締めると二人を見据えた。
「俺は己の意思で行動を共にできる奴しか信用せん。俺が欲しいのは同じ信念を持つ、友だけや」
M-Aはサキも認める天然の男たらしだ。
本人は思ったことをただ言っているだけだろうが、今目の前にいる男二人の心にがっちりと熱い火をつけた。
「俺は俺のやりたいように動く。M-A、戦地で会おう」
ファイアは踵を返すと足取りに迷いなく扉を抜けて行った。
エンビエンスもM-Aに向けて力強く頷いた。
「俺は仲間を増やし開戦と共にここへ戻って来る。微力ながらお前の味方をしよう」
「おう、頼むわエンビエンス」
軽く言うがその目はきっちりエンビエンスの視線を掴んだ。
二人の男が去るとM-Aはきつい酒を頼み一人で傾けていた。
「何人こっち側に回るかが肝心やな。さて、サキは一体どんな作戦で攻めて来るのやら」
独り言を落とすと、自身は第三地域の奥を調べに行くために席を立った。
しばらく歩くと、コーシを見つけた場所を思い出す。
「ついでに様子見でもしてから行くか」
M-Aは脇道に足を向けた。
探していたコーシを施設跡地で見つけた時は、安堵に胸をなでおろしたものだ。
思わず走り寄って声をかけようとしたが、コーシは最年少にもかかわらず堂々と年上相手に渡り合っていた。
今自分がしゃしゃり出る方がコーシの作り上げた信頼関係にヒビを入れてしまう気がして、M-Aは密かにコーシを見守る選択をしたのだ。
気配を押し殺して施設の中を覗いて見たが、以前と違って何やら静まり返っている。
「おかしいな。こんだけ静かなんは初めてや」
ウロウロと少年たちの気配を探していると、人の話し声がした。
M-Aは壁に沿って耳をすませた。
「コーシ、帰ってこないな」
「あぁ、一ヶ月がどうとか言ってたな」
話しているのは二十歳手前くらいの二人の青年だ。
「シアンブルー、お前リーダーの仕事見たことあるか?」
青年の一人は首を振った。
「いや、俺も来年から行かなきゃならんのだろうが…」
「俺はあるぜ」
「本当かよウォヌ。だってお前、まだ十八だろ?」
「俺はかなりリーダーに反発してたからな。
恐らく黙らせるためにあえて連れて行かれた。
…あそこは、地獄だ。はっきり言って一ヶ月後にコーシがまともに帰って来る可能性はかなり低い」
M-Aは目を見張った。
飛び出したい衝動を必死に抑えているうちに、青年たちは室内へ移動してしまった。
「コーシ…おまえまたどこへ行きよってん…」
ざわりと揺れる心を抑えつけ、M-Aは厳しい顔つきで来た道を戻って行った。