葛藤と優しさ
サナは前を行くアオイの背中を見つめながら歩いた。
「アオイ…まだ怒ってるの?」
そっと尋ねると、アオイは振り返り頷いた。
「うん。でもサナに怒ってるわけじゃないよ」
「ララさんにも怒らないであげてね」
サナが言うとアオイはむっと眉を寄せた。
「あんな奴どうでもいいけど、サナが庇うのはなんだか面白くないな」
手を伸ばすとサナの髪を撫でる。
「サナ…」
「なぁに?」
「僕はこのまま君を一生縛り付けてしまう。…女性として、愛してあげられないのに」
サナは目を丸くすると、アオイの腰に手を回した。
「どうしたのアオイ。そんな顔しないで?
私は構わないって初めから言ってるのに…」
アオイはサナを抱き上げるとその胸に甘えるように顔をうずめた。
これはシェルターの中ではよくアオイがする甘え方だ。
だが流石に人通りの多い路上では人目を引く。
サナは焦るとアオイの頭をとんとんとたたいた。
「あ、アオイ…、みんな見てるよ」
「名を、呼んでよサナ」
サナはびっくりしてアオイの頭を見下ろした。
シェルター外では決して呼んではいけないと固く約束させられていたからだ。
「アオイ…?」
「…」
反応のないアオイに戸惑ったが、サナはその耳元に唇を寄せると誰にも聞こえないように囁いた。
「…アカツキ」
サナを抱くアオイの腕に力がこもる。
「もっと呼んで」
サナはオレンジの頭を抱えながら優しく呼びかけた。
「アカツキ」
サナの腕と胸の中で、アオイは深く呼吸をした。
サナは一日一日と大人になっていく。
自分に、女として始めから好意を持っていることも知っている。
それなのに自分が突き付けた一緒にいる為の条件は、残酷なほどの無償の愛を捧げさせることだ。
キスをしたことすら、あの男を射殺した時だけだ。
「サナが、ずっとずっと小さい女の子だったらこんなに罪悪感なんて生まれないのに」
独り言のように言葉を落とすと、アオイはサナを降ろした。
「アカツキ…」
「それでも僕は…もう自分から君を離すことができない」
サナを見つめるダークブラウンの瞳は、切なく揺れている。
サナは慈愛深くほほ笑むと、そんなアオイの手を取り頬に当てた。
「…大きい手」
幸せそうにその手の熱を感じると、新緑色の瞳を閉じる。
「一生、離さないで…。このままでいいから…。これは私の、意思だよ」
サナは一度も愛してるとは言わない。
アオイが戯れに求めても、決して言おうとはしない。
その意味を、アオイも分かっている。
「サナ…」
二人の間には誰にも入れないような密な空気がある。
でもそれはどこか儚くほろ苦い。
アオイが毎日囁く愛情を込めた言葉は、サナにはそれを必死で守っているように思えた。
「アオイ、今日は二人で家でご飯食べようね。最近沢山外に出してくれてすごく嬉しかったけど、ちょっぴり二人の時間も欲しくなっちゃったね」
大きな手に指を絡めると、サナは陽だまりのような笑顔を見せた。
アオイはいつものように優しく笑い返すと、サナが繋いだ手に軽く力を込めて歩き出した。
遠くなる二人の背中を、無表情で見つめ続ける男がいた。
帽子を深くかぶり、路上に座り込んでいたその男はぶつぶつとなにやらつぶやいている。
「許せない許せないゆるせない…どうしてあいつだけ…」
異様に体を揺らすと弾けたように立ち上がった。
「あいつだけ、あいつだけ僕たちがいちばんほしかったものを得るなんて…ゆるせない…」
男はアオイに決して気配を悟られないように距離をとると、そのままシェルターまで後をつけ始めた。