サキの提案
「どういうつもりだ?」
湿気った部屋に入るなりカヲルはサキに詰め寄った。
「僕のいない隙を狙って皆を手懐けるのはルール違反だ。ボスの座は正々堂々と命をかけた勝負でだけ、正式に交代が認められるんだ」
サキは喉で笑うと白い少年を見た。
「そんなルール、まともに取り合ってる奴なんてそうそういないぜ?あれはな、リーダーが気に入らない奴を処刑するための口実のルールだ」
カヲルは眉を寄せると小太刀を握り直しながら言った。
「…そんなこと、分かってる。前の時といいお前は一体何をしたいんだ?僕の邪魔か?」
サキは部屋をてこてこと歩き回るコーシを眺めながら腕を組んだ。
「それは俺が聞きたい。お前がなかなか捕まんねーから、わざわざここで待ってたんだぜ?」
「…皆を手懐けながらか?」
「別に構わないだろ?ここのボスになったのは、自らを名乗る時箔が付いた名を利用したかっただけだろうに」
カヲルはアメジストの瞳を剣呑に光らせた。
「どうしてそう思う」
サキも低く笑うと物騒な気配を漂わせた。
「…俺も、始め同じこと考えたからさ」
少年は注意深く目の前の男を見ながら、黙って話の先を促した。
「お前は一派のボスになんて興味がない。あるのはもっとでかい目標だな。例えば…スラムを生まれ変わらせるとか」
サキは何気なさを装ってあえて軽く言ってみたが、カヲルは僅かに瞳に怒気をはらむと舌打ちをした。
「そんな綺麗事、虫酸がはしる」
「なんだ、気が合うじゃねーか」
サキは楽しそうに笑うと拳銃を取り出した。
少年は一気に顔色を変えると殺意を込めて小太刀を握った。
「お前…!!ザリーガの手先なのか!!」
予想通り激しく反応したカヲルに、サキは目を細めた。
「…お前は、誰を殺られた?」
「うるさいっ!!スラムで銃を所持できるのはあいつらしかいない!!」
怒りを露わにすると、有無を言わせずサキに思い切り突っ込んだ。
鋭い刃先はぴたりとその首を狙っている。
サキは左手でナイフを一本取り出すと、絶妙なタイミングで下から思い切り小太刀を叩き上げた。
拳銃にばかり注意を払っていた少年はこれをまともにくらった。
小太刀は高く空を舞い、コーシの近くに音を立てて突き刺さる。
痺れる手を押さえながら、カヲルはすかさず後ろへ飛び退き距離をとった。
だがサキはそれ以上何もする気はなさそうである。
ナイフも銃もしまい込むと、壁にもたれ掛かった。
「お前とやりあう気はないぜカヲル」
名を呼ばれてぴくりと反応する。
「俺は数ヶ月前に中央区に来た、いわば余所者だ。この銃は昔他所で譲り受けて、それ以来俺の愛器なんだ」
「…暴発弾が出回る中、まだそんな諸刃の剣にしがみつくバカがあいつらの他にいるもんか」
睨みつける少年は憎らしげに吐き捨てた。
サキは楽しそうに笑うと、顎に手を当てた。
「俺も、バカなのさ。こいつは親友の形見でもある。この先も手放す気はなくてね」
カヲルは無言でサキを見ていた。
武器もない上に目の前の男は自分より確実に強い。
そして銃を所持する相手に背中を見せて逃亡することも出来ない。
じわりと滲む汗を振り払うと、少年は始めと同じ質問をした。
「お前は一体、何をしたいんだ?僕を殺したいのか」
サキは肩をすくめると一歩進み出た。
じっとカヲルを見つめながら、迷いなく言った。
「スラムを、生まれ変われさせたい」
目の前の少年が虫酸が走ると吐き捨てた言葉を、サキはあえて使った。
案の定カヲルの目は怪訝に揺れる。
「その為には、ザリーガが邪魔なんだ」
ゆっくり歩み寄るサキに、カヲルは思わず後ずさりした。
「綺麗事は俺も嫌いなんだ。だからこれはそんなんじゃない。俺は、俺のエゴでスラムの覇権を掴み取りたいだけさ」
男が目の前まで来ると、カヲルは思い切り視線を外した。
「カヲル」
「…」
「手を組まないか」
サキが口にした提案は、カヲルには予想外だったに違いない。
驚きに顔を上げると、不敵に笑むサキと間近で目があった。
「何…?」
「俺はまだまだスラムに疎い。情報も欲しい。お前なら色々知っているだろうし腕も悪くない。協力して欲しいんだよ」
「どうして僕がっ…」
「代わりに俺がザリーガを殺す」
カヲルは今度こそ唖然としてサキを見つめた。
サキは別に凄みを込めて言ったわけではない。
なのにカヲルは全身に痺れが走った。
サキはふと視線を緩めると、人好きのする笑顔を見せた。
「理由は知らないがカヲルの目的はそこだろ?正直言って俺はかなり強いし使える奴だぜ?悪くない話だと思うけどな」
今度は茶目っ気たっぷりに言いはなつ。
先程の気迫など綺麗に消し、面白そうにカヲルを見ている。
カヲルが戸惑いに揺れながらサキをただ見つめ返していると、不意に服の裾をくいくいと引っ張られた。
下を見ると小さな男の子がカヲルの小太刀を差し出している。
「おぅさんきゅーコー。ってお前その手!!」
コーシは突き刺さった小太刀を懸命に引き抜いていたのだろう。
持った場所が良くなかったのか、紅葉のような手には赤い血がまばらについている。
サキは慌てて抱き上げると急いで走り出した。
「カヲルわりぃ!!また来る!!返事は考えといて!!」
嵐のように去っていったサキに、少年は最後まで呆気にとられていた。
手元に戻った小太刀に視線を落とすと、刃先に赤くついた血をただ見つめていた。