神馬さまのしっぽ(一)
街道沿いの森をゆるゆるぽくぽくと歩く。黄色。赤。橙。ユムリルのあたりはまだ紅葉がはじまったばかりだったが冷える日が続くにつれ彩りが鮮やかになってきている。
「そろそろ次の宿ですね」
話しかけると神馬の尾が揺れる。街道を嫌う神馬を気遣い森を選び歩いていたがさすがに関所や宿場街を避けるわけにいかない。巡礼は法教会の聖なる務めだ。関所を通過せずに歩いていては「まるで盗賊のようだ」などいわれない誹りを受けかねない。
「どうです姫、きつくありませんか」
コドーは神馬にかぶせた頭巾に手を差し伸べた。頭巾は耳と額を覆うもので、頭絡でずれないよう押さえるつくりになっている。頭巾をかぶると神馬の額で赤くきらきら光る宝玉が隠れる。月色の雅やかな被毛は隠しようがないが、佐目毛や河原毛、白馬など明るい色をした馬は少なくない。額の宝玉が見えなければ意外に神馬だと気づかれないものだ。
頭を騎士に寄せ神馬は耳をくるりくるりと動かして見せた。
「大丈夫ですか、よかった」
神馬の頸を撫でるコドーも法教会の光芒の多い紋章や装身具を外し地味な装いをしている。ユムリルの司祭長が言ったとおり、コドーは貴族に見えない。長身は目立つものの、法教会印の装身具を隠してしまえば街道を行き来する旅人に溶け込むことができる。
なぜ微行めいた装いをするのか。
信徒の中には神馬の尾や鬣を欲しがるものがいる。「神馬さまのしっぽの毛を分けていただくと幸福になる」「子宝に恵まれる」「豊作になる」「良縁に恵まれる」と信徒の間でまことしやかに囁かれているのだ。巡礼の折に求められればしっぽをくしけずるついでに、鬣を梳くついでにほんの少し分けることがある。神の友であった伝説の一角獣だ。誼を結ぶ機会などそうそうない。信徒の中には切り分けられて短くなった毛の端を親や祖父母から大切に受け継ぐ者もある。これは神馬信仰のかたちのひとつで、法教会も神馬の毛の所持を禁じていない。それがよくなかったのだろうか。数十年前に神馬一行が旅の途上で襲われるという事件が起きた。熱狂的な神馬信仰者たちが多数殺到し、恐慌を来たした結果、神馬とその代の巡礼騎士は命を落とした。もともと気安い性質ではなかったが神馬は生まれ変わったのちもこの事件を覚えていて、人見知りをする。
「今回の頭巾は急ごしらえで――あの盗賊どもに頭巾を捨てられてしまいましたからね」
先日、神馬とコドーはユムリルに向かう途中で盗賊に襲われた。すれ違いと油断とで神馬と荷物を奪われたのだが、取り戻したとき、荷物がめちゃくちゃにされていた。おしのび用装束、頭巾や馬着が捨てられていたのである。
「義母上に作っていただいた頭巾、かわいかったのに……」
コドーの養母であるソウ公爵夫人は針仕事や編み物などの手芸を好む。養子も含め子どもがすべて男子で腕の見せ所が少なかったのだが、神馬用の小物をつくる許可がおりて公爵夫人はたいそう喜んだ。おしのび用の頭巾は目的が目的だけに地味な色合いだが神馬の耳の動きを阻まないよう工夫され、愛らしく縁編みがあしらわれている。ぱっと見には分からないがよくよく見れば神馬の頭巾とそろいだと分かるコドーのおしのび用装束も公爵夫人は作ってくれた。そんな力作の数々が捨てられてしまったのである。
コドーも少々裁縫をする。騎士を志すものであれば当然の嗜みだ。見習い時代には師の装束の手入れや帷子のつくろいなど針を使う機会が多かった。コドーの場合、ソウ公爵夫人の影響を受けて騎士の嗜みから少々逸脱気味に裁縫や手芸に親しんできた。今回、神馬お気に入りの頭巾をなくしたのでうろ覚えで義母の作を再現してみたのである。
「少しはそれっぽくなったかな」
公爵夫人の作のようにはなかなかいかない。しかしコドーは自分で作った頭巾が気に入った。縁編みはところどころぎこちなく歪んでいるけれど布や糸を自分で選び一から作りあげたという達成感がある。
「まいりましょうか」
神馬とコドーは森から街道へ出た。ミネラ侯爵国の都フローレに夕刻には着くだろう。
「――兄ちゃん」
後ろから若い男が駆け寄ってきた。反射的に法術剣に手をかけたコドーの肩に神馬が鼻を寄せる。コドーは構えた身体をゆるりとほどいた。
「ああ、やっぱり。コドー兄ちゃんだ!」
「ヤン! ヤンなのか」
小柄な男が栗色の巻き毛を弾ませながら笑った。
ヤンはコドーの生家の三男である。家業は金物の販売だが本人は金属製の日用品を作ったり修理したりするほうが性に合うらしい。三年前にフローレの鋳物師のもとに弟子入りした。――ソウ公爵家から巡礼先に届いた手紙に書いてあった。
「大きくなったなあ」
「兄ちゃんは相変わらずでかいね」
眩しくコドーを見上げたヤンがはっと気づきかたちを改めた。
「神馬さま。――ご挨拶が遅れまして」
「ぶふ」
ヤンは上着の隠しやら背嚢やらをごそごそしはじめた。神馬は昔ヤンからおやつをもらったことを覚えているらしい。目を輝かせている。
「ああっ、生憎出先なのでおやつの持ち合わせがなくって――おやつおやつ、何か代わりになるものないかな」
「いいんだ、いいんだ。気を遣うな、ヤン」
「ぶっふうう」
おやつをもらえなくて神馬は少々がっかりしたようだ。
「――フローレで修業してるんだって?」
「兄ちゃん、知ってたの?」
ヤンの表情がぱあっと輝いた。
納品からの帰りみちだというヤンと並んでフローレへ向かう。時折馬車が追い抜いていくほかは点々と旅人が歩くのみで紅葉に彩られた街道は静かで穏やかだ。ミネラ侯爵国は法教国を囲む有力貴族の領地のひとつで鉄鉱石や銀など鉱山がいくつかある。豊富な鉱産物を利用した金属加工品の製造も盛んだ。フローレにはヤンの修業先のような工房が数多軒を連ねている。