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「三十」

 美しいものであれば種類問わず何でも好みいろいろと集めているが、人間を売りつけられたのは初めてだ。三十人会の「十七」と呼ばれる貴族の男は目の前の子どもをまじまじと見つめた。


 砂漠のほとりの街で「十七」が奴隷商人に引き合わされたのは隊商の唯一の生き残りだという異教徒の子どもだった。左大陸の人々に共通の表情に乏しいあっさりした、しかし整った顔立ちをしている。

 名は――そう問われて子どもは首をかしげた。ことばが分からないのではない。名を呼ばれたことがないのだという。


「何と哀れな……」


 法教圏共通語をすぐに覚えたという賢く美しい子どもがぽつり、とつぶやいた。


「ケイセイ」

「ケイ……セ、イ?」

「はい。――母親と同じでわたしも『ケイセイ』だと隊商に入る前に言われたことがあります。これが名前なのでしょうか」

「珍しい響きであるな」


 ケイセイ。左大陸辺境のごく一部でのみ通用する言葉で本来は「傾城」、城を傾けるほど美しく城主が夢中になる色香を持つ女を指すことを「十七」は知らない。左大陸で多く生産される磁器のようになめらかで肌理(きめ)の細かい頬、同郷の者の多くが青みを帯び浅黒くくすんだ肌色をしているのに同じ色でもケイセイの場合は透明感があり内側から光を放っているようだった。切れ長な目、鉄黒の瞳は愁いを帯び、細い眉は優美な曲線を描く。ただ美しいだけの人形でかまわないと思っていた。しかし「十七」が試しに用を言いつけてみればそつなくこなす。教えればすぐに覚える。蒐集(しゅうしゅう)品としておいておくだけにとどめるのは惜しい。この美しい子どもを「十七」は身の回りの世話をさせながら養うことにした。


 ある日、三十人会の「十七」としての後継者を教育するために用意した宝玉と法術陣をケイセイに見られた。


「ケ、イセイ……。なんてことを」


 入ってはならないと禁じていたはずなのに言いつけを忘れたか、美しい子どもが箒を放り、「十七」の執務机で法術書を夢中になって読んでいた。三十人会が認める人間でなければ法術資料や宝玉に触れること、見ることすら許されない。「十七」はかわいがっていたケイセイを(ちゅう)するために法術陣紙と宝玉の粉末を取り出した。


「旦那様……」


 ケイセイは紙に描かれた文様を一瞥(いちべつ)して顔色を変えた。


「ケイセイは死ななければなりませんか」

「……」

「しかし旦那様、その陣紙の術を発動するには宝玉が不足しているようにケイセイには見えます」

「なんと……?」


 この術は触媒として使う宝玉を失活させる。そして複雑な術は多量の宝玉を必要とする。「十七」に代々割り当てられた結晶の残量が厳しくなるほどの量だ。用意した粉末は三十人会の定例会通信に用いる分量の数倍にあたる。


「不足していると……?」


 もしケイセイの言うとおりであれば法術が発動しないばかりか、無駄に宝玉を消費することになる。


「はい。この本に書いてあることが正しいとするならばその陣すべてに行き渡るだけの宝玉となると――あと三倍は必要かと」


 ケイセイが法術書と法術陣紙のあちらこちらを指し示しながら説明する。一部解釈が甘いところがあるがほとんどが正しい。「十七」は驚いた。


「ケイセイ、法術を知っているのか」

「いいえ、存じません。でもこの本で何となく理解できました」


 なんと言うことだ――。「十七」の後継者は口が堅いのはよいが頭も堅く法術を理解するのにずいぶん手間がかかっている。今は三十人会で重鎮と呼ばれる「十七」自身も簡単に法術を理解できたわけではない。


「ケイセイ、法術に興味があるか」

「ええ」


 表情に乏しい幼い美貌に今まで見せたことのない喜色が浮いている。



 こうして愛玩奴隷として買われた子どもは密かに法術を学ぶことになった。いずれ三十人会の下部組織にでも入れてやれば元異教徒の奴隷としては大出世であろう。――美しいだけでなく賢い召使いを手に入れるつもりだった「十七」のもくろみをはるかに超えてケイセイは育った。「十七」の後継者だけでなく「十七」自身の実力をも凌駕して法術を身につけたケイセイは三十人会入りし、法教会開闢以来ずっと欠番だった「三十」の称号を得た。



     *     *     *



 三十人会の定例会を終え「三十」は小部屋の扉をそっと開けた。廊下に出て振り返る。机の上には、かつてのあるじ「十七」の導きにより入信した折に与えられた聖書が一冊と、飾りのない燭台がひとつ。窓のない小部屋に取り付けられた調度はどれも屋敷のあるじに似合わず粗末だ。


――三十人会の連中があんなに欲しがっている宝玉がここにざくざくあるとは誰も思うまい。

「奥様」


 使用人の控えめな声がかかった。「三十」はするりと仮面を付け替えるように憂い顔をつくり振り向いた。


「旦那様が亡くなられたこと、残念に思いますがどうぞお心強く……」

「お祈りをしなければ心が折れてしまいそうで――ごめんなさい、いつまでも頼りなくて。――ところで表で何かあったかしら」

「はい、船が到着しました」

「そう。すぐに行かねば」


 憂いを払うように「三十」は微笑み返した。今は亡い前当主の後妻として商館に嫁いできて十年以上になるがあどけなく儚げな美貌は変わらない。もともと青みを帯びた肌だが襟の詰まった喪服のせいで普段より蒼白い。頼りなげな風情がこの使用人の庇護欲を刺激すると知っていて「三十」は控えめでいつまでも亡夫を慕う健気な女主人を演じて見せた。


――潮のにおい。


 楚々とした足取りで奥から表へ向かう。アタリーエの港から風に乗って運ばれてきた潮の香りに「三十」はうつむいていた顔を上げ


――海。


 その向こうにある新大陸へ思いをめぐらせた。



     *     *     *


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