三十人会
* * *
誰も通さないようにと使用人へ言い置き屋敷の奥へ向かい、女は窓のない小部屋へこもった。美しい両手が素早く動く。円と複雑な文様を描く赤い粉末がぼう、と光を放つ。
「こちらの陣に力を導く――」
素早く別の法術陣を描くと光は女の手に導かれ複雑な文様をなぞるように動きはじめた。
む……ん。
空間が震えながら遠くでなにかとつながる。黒い石碑のようなものが次々に現れ円卓を囲むように環状に並ぶ。ところどころ空きがある。
「定例会を始めよう」
石碑のひとつが声を発した。他の石碑から声が上がる。
「一」
「二」
「三」
「……五」
点呼の間隔が空いた。
「『四』はどうした」
「外せない用事でもあるんじゃないのか」
「定例会よりも大事な用などあるものか」
並んだ石碑から伝わるざわめきが空間に満ちる。石碑を通じ会議に参加する女は「四」と呼ばれる人物がどうなったか知っている。死んだのだ。
――大いなる目的のためだもの。
青みを帯びた肌に血の色がのぼる。女の唇が美しく弧を描いた。
「静粛に」
落ち着いた男の声が響いた。
「残念なことに『四』はこの世を去った」
「なんと。確か『四』はまだ後継者を育てていなかったはず」
「いかにも。当分の間、『四』は欠番となる。――さあ、点呼の続きだ」
「五」「六」……「十二」「十三」……「二十八」「二十九」
点呼が進む。
「三十」
女の唇から高く澄んだあどけない声がした。人のいない、石碑のようなものが並ぶだけの空間が刹那、凍りつく。女が三十人会に加わってずいぶん経つというのに毎度毎度同じ反応が返ってくる。月に一度の定例会、点呼のときにこの番号を口にするのが女、「三十」のささやかな楽しみだ。
三十人会。この秘密結社の存在を知る者は少ない。
結社の名の示す通り三十人で構成される。貴族、新興領主、商人、豪農――三十人の出自は様々だ。徹底して秘されるその会の目的は法教会の恵みと慈しみを世界の隅々まで知らしめること、そして三十人会が有する法術技術で法教会を支えることである。本来法教会の聖職者や騎士でなければ学ぶことすら許されない法術を密かに手中にする人々の会は表向き、敬虔で熱心な信徒の団体だ。法王の直筆署名の入った礼状目当てに高額な布施をしたり奉仕活動をしたりする信徒の団体は三十人会以外の他にいくらでもある。法教会開闢以来三十人会は奉仕団体を装って密かに活動を続けてきた。
――法術、ね。
ごく一部の人間しか知らないその不思議なわざを「法術」と呼ぶとき、「三十」の唇は皮肉に歪む。
――何が法術よ。邪法じゃないの。でも……。
「三十」は皮肉な思いを腹の底におさめ、あでやかに笑む。よこしまな術であろうがかまうものか。
法術とは神秘の力、またはその力によりなされる行為のことである。火や水を起こしたり、遠く離れた者と会話したり、命ないものを操ったり。
しかし「三十」からすれば法術は人知の及ばないとんでもない力によるものではない。荷車を引けば引いただけ進む、それと同じで法術もまた一定の法則に従って行使される。
――法術は宝玉で反応を促さなければ発動しないけど。
「三十」は指先でころころと赤くきらめく宝玉をもてあそんでいる。彼女がどんな格好をし、どんな表情を浮かべ何をしているかなど、声だけを共有する三十人会の面々に見えはしない。うつむき笑みを浮かべる「三十」の耳に低く沈んだ声が響いた。
「『十六』、『二十』に続き『四』まで欠番とは……」
石碑が並ぶだけの会合の場にざわめきが戻ってきた。皆興奮を抑えられない様子だ。
――無理もないわね。
三十人会の会員は引退前に後継者を育て自身の持つ法術技術や宝玉などの資源を譲る。泥人形で政敵の屋敷を破壊したり、湖から移動させた水を降らせる奇跡を見せたり――定例会の通信の他に代々にわたり数え切れないくらい法術をつかってきたため、会員三十名、厳密には二十九名に千年以上前に割り当てられた宝玉は残り少ない。欠番になった会員分の宝玉を、誰もが欲しがっている。
――宝玉が残り少なくなったからと言ってまた神様においでいただいておからだを頂戴します、なんてわけにもいかないでしょうし。
宝玉は法術の反応を促進する触媒だ。触媒そのものは法術の反応で減りはしない。しかし術の種類によっては触媒が失活してしまい再利用できない場合がある。宝玉は少しずつ削り出され粉末状に加工されて使用される。三十人会だけではない。表向き法術を管理している法教会でも宝玉の残りが少なくなっている。
「後継者はともかく――『四』の遺した宝玉はどうなるのか」
「そ、そうだ。『二十』の宝玉も誰の預かりになるか決まっていない。うやむやのままではないか」
「預かり手が決まっていないのなら是非われに」
「いやいや、わたしに」
「実は『四』の遺した宝玉を『三十』に預けてはどうかと考えているのだが」
穏やかな声が言い合いを阻んだ。ざわめきがぴたり、とやむ。
「ななな、なんですと、『十七』、なにゆえ新参者、しかも異教徒などに……あっ」
周囲の息を呑む音で我に返ったのは「十八」か。「三十」はころりころりと指先で宝玉をもてあそびながら微笑んだ。
「――気にしていませんわ。子どものころ、異教徒だったのは事実ですもの。それに――」
小さな赤い結晶がころんころん、と「三十」の指から逃れ机の隅へ転がった。
「わたくしの務めは法術の使い手たるみなさまのお手伝い。――そのために千年間欠番だった『三十』を一代限りのお約束で使わせていただいているのですし」
机から転がり落ちる寸前で宝玉の粒を「三十」はぴたり、と指で押さえた。「んふ」と小さく笑みが漏れる。
「苟も法術使いたるもの、宝玉は喉から手が出るほど欲しゅうございます。でも――法術陣構築や法術行使環境整備のご相談にのるのに宝玉は必要ありませんわ」
だからこそ「十三」が欠番会員所有の宝玉を自分に預けようと言い出したのを分かっていながら「三十」はそれを拒絶した。含み笑いが漏れないよう抑えながら指の腹で結晶をころころと転がす。
「法術陣の解析に時間を取られていますが、わたくしに本来与えられた務めは宝玉精製技術の開発でございます。どうぞ欠番になった方々の宝玉の管理は他の方に」
忙しい自分にお前らの相手をしている暇はないのだ、と言わんばかりであるがあどけなく愛らしい「三十」の声にそうした含みを見出す者はなかった。定例会の話題が法教会への献金減少へと移った。「三十」は転がしていた宝玉の粒をつまみ上げ燭台の灯りに透かした。あたたかい色合いのろうそくの灯りをうけ結晶が赤く輝く。
この宝玉は「四」を暗殺するための法術陣構築の対価として受け取ったものだ。「三十」は戸棚の引き出しの錠前に鍵を差し込んだ。かちり、と錠前の外れる音がする。引き出しから黒い革袋を取り出すと「三十」は中身を机の上に空けた。
ざらり。
大きいもの、小さいもの、小瓶に詰められた粉末状のもの、たくさんの宝玉が燭台の灯りを反射し赤く輝く。一代限りの臨時増員で三十人会に加えられ宝玉を割り当てられていないはずの「三十」の手もとになぜこれだけの宝玉があるか。表立って研究開発できない、後ろ暗い法術陣構築の対価である。「三十」の卓越した法術研究の技量を頼りにする三十人会員は意外に多い。蔑まれる出自と口の堅さが技術の確かさと相まって「三十」の評判を高めている。
定例会の熱心な議論は耳に入らない。後ろ暗い依頼の対価をひとつひとつつまみ上げて革袋へ戻しながら「三十」は自身の来し方へ思いを馳せ、あでやかに微笑んだ。