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神馬さまのしっぽ(三)

 騎士の礼を見ても顔色ひとつ変えない。動じないたちなのか、客に興味がないのか。屋台のおやじは注文もとらず、卓代わりの樽の上に大ぶりな酒盃と鉢を置いた。酒盃を掲げ中身を口に含んでコドーはわずかに眉を寄せた。火酒だ。


「口に合わねえか」

「いいえ、そんなことは。久しぶりですので効きます」


 火酒は庶民の、憂さを忘れるための酒だ。巡礼で宿泊する教会や家族の団らんの場で供される麦酒や葡萄酒とは強さがまるで違う。コドーの返答に庶民出身である自身との共通点を見出したか、元巡礼騎士は相好を崩した。ちなみにコドーが火酒を覚えたのは実家の金物屋にいたころではない。養父のソウ公爵は酒飲み教育と称してさんざっぱらコドーに呑ませ鍛えた。ソウ公爵は貴族にしては珍しく、火酒も揃えていた。元巡礼騎士の醜聞を理由にしていたが何だかんだいって息子と杯を交わすのが好きなのだろう。

 サスバ様は――、と口を開きかけたコドーを元巡礼騎士が制した。


「今はもう――、な。オレークと呼んでくれ」

「……」

「そんな顔すんな。――呑もうぜ」


 ゆっくりと酒盃を傾けた。

 巡礼騎士の任を解かれたのち、サスバ子爵家から放逐されたオレークは彼方此方を転々としていたらしい。


――もったいない。


 オレークは素晴らしい騎士で、特に武術に優れていた。金物屋からソウ公爵家に養子として召し上げられてすぐの頃に一度だけ、コドーはオレークの試合を観たことがある。軍馬を鮮やかに駆り、きらきらしい鎧にほとんど傷をつけることなく試合を制した。もとの出自を感じさせない騎士らしい――生まれながらの貴族のような槍さばきで、強いだけではなかった。華やかでもあった。

 本来ならば引退後、武術指南役になれただろう。あれだけの腕前だ、私的に騎士を雇っている貴族にも指南役の需要はありそうだ、とコドーは思う。しかしオレークのいでたちは貴族の子弟や家来衆に武術を指南する者のそれには見えなかった。


「店の構えはなんだが、ここは酒がいいんだ。――おやじ、おかわり」


 酒盃がすぐに空く。コドーは財布の中身に思いを馳せた。多少ぼったくられてもなんとかなるぐらいには残っていたはずだ。先代巡礼騎士にとことんつきあうつもりで


「こちらにも、もうひとついただこう」


 コドーも屋台のおやじに声をかけた。




「自分はあ、姫がおかわいそうだと――思うんですよ」


 コドーはぐでんぐでんに酔っ払っている。


「おう、そうかそうか」


 瓶ごと寄越せ、とごねて手中に収めた火酒を自分とコドー、それぞれの酒盃にごぼごぼと注いだ。


「神さまのね、気を惹きたかっただけじゃない――すか、姫、かわいい」

「おう、かわいい――な、馬だけど」

――馬っつうか、角が折れた一角獣って言い伝えられてるけどな。


 オレークは苦笑いした。隣に座る巡礼騎士の鉄黒の目が据わっている。

 「気を惹きたかっただけ」とコドーがいうのは春告げ馬のゆかりとして知られる神話のことだろう。神の寵愛を一身に受けた一角獣は、ほかの生きものを遠ざけて悋気で神の庭に荒廃をもたらしたとされる。神が広い心で(ゆる)されたからこそ、一角獣はのちに人々から神馬と崇められる。


――教会からすりゃ神馬ってのは神が地上にとどまれなくなった原因だわな。

「姫、おかわいそうですよお」


 巨漢が目を潤ませる。よしよし、と肩を叩いてやりながら隣の大男をオレークはじっくり眺めた。

 短く刈り込まれた墨色の髪に浅黒い肌、切れ長の目に鉄黒の瞳。聖都の貴族連中にしてみれば変わった外見だろうが、鋭く厳ついところも含め当代の巡礼騎士には独特の美しさがある。聖都では珍しい左大陸風の美丈夫に秋波を送る令嬢も多いと聞く。


――巡礼騎士殿も木石じゃあるまいにまんざらでもなかろうが、どうだろうなあ。


 何千年以上昔の神と一角獣の友情物語にこれだけ入れあげるのも姫大事ゆえか、それともやはり色恋との区別がつかないほど木石なのか。


「だってだって、ほかの友などいらない! ――っていうぐらい一途だったんですよね」

「そうだってなあ」

「それって」


 巡礼騎士の鉄黒の瞳がいっそう暗く(かげ)った。


「何度も生き返らなきゃいけないほどの罪なんでしょうか」

「ああ、」


 骨を法術の触媒である宝玉に変えられ、再生の術で延々と生きながらえる。神馬にしてみれば、教会の信徒からちやほやされるぐらいでは見合わないだろう。呪いのようなものだ。


「――どうなんだろうな」


 オレークは巡礼騎士就任当初の若かりし頃に思いを馳せた。誇らしかった。修練を積み、勉学に励んだ日々の苦労、身分さえ高ければと歯噛みした悔しさなど吹き飛んだ。生まれ変わったばかりの神馬はいとけなく、愛らしかった。首を撫でてやると機嫌よく顔をすり寄せてきたものだ。


――そういえばそんなとき、神馬さまはどんな顔をしていたっけか。


 記憶が朧だ。


――無理もない。


 オレークは長々と続く巡礼騎士の務めに()み、サスバ子爵家がつけてくれた従者に巡礼の旅を押しつけた。だから神馬の表情や仕草を覚えていない。儀式のときだけ転移法術で巡礼の一行に合流し、あとは呑んで遊んでばかりいた。


「――ふ」


 思わず知らず漏れた自嘲の笑みに、コドーが顔を上げた。


「どう、なさいました」

「いや、な」


 当代の巡礼騎士の端正な顔から目を背けオレークは酒盃を口に運んだ。火酒が苦い。


「神馬さまは――俺のことなんぞ覚えていらっしゃらないだろうと思ってな」

「そんなことはありません」


 コドーは背筋を伸ばした。


「覚えていらっしゃいます。儀式で訪れたことのある街で姫が――」


 巡礼騎士は宙へ視線をさまよわせ笑みを浮かべ、神馬が生まれ変わる前のことをよく覚えているらしいことを熱心に語る。


――こいつは心底好きなんだなあ、神馬さまが。


 コドーの熱の入った弁舌はオレークの記憶の奥底を攪拌した。淀みから浮き上がってくる。希少な金属のように輝く月毛。額の赤い宝玉。思い出さないようぎゅうぎゅうと心の奥に閉じ込めていた神馬の姿。


――そうだった。


 儀式のときだけやってくる巡礼騎士のことをちゃんと覚えていてくれた。ぴょこぴょこと跳ねるようなあどけない足取りで駆け寄ってくる美しい子馬。


「オレーク殿。姫はあなたのことを覚えていらっしゃいます」


 よろり、と立ち上がりコドーは懐から薄い紙包みを取り出した。


「幸運に恵まれますように」

「これは……」


 掌に載せられた紙包みには法教会の紋章も、ソウ公爵家の紋も入っていない。


「姫の尻尾です」

「しかし俺にはそんな――」

「あなたに差し上げれば姫もきっと喜ばれます」

「そんなの、分かんないだろ」


 相手は馬だぞ、という言葉をすんでのところでオレークは呑みこんだ。


「自分には、分かる――んすよ。――どうぞお元気で」


 おぼつかない手つきで勘定を払い、コドーはよろよろと酔客が行き交う路地へと向かった。




 掌の薄い紙包みに視線を落としたままのオレークに屋台のおやじがぼそり、と声をかけた。


「いいんですかい、サスバの旦那」

「その名前で呼ぶなっていってるだろう」

「なんにも情報とれてなかったみたいに見えましたがね」

「一度で引き出せとも言われてないんでな」


 懐に紙包みをしまいオレークは顔を上げた。若かりし頃の華やかな美貌に少なからぬ年月でこびりついた錆が浮かぶ。しかしやわらかく細められた目は感情を読ませない。


「長期戦で行こうや。――呑み直そうぜ」

「へい」


 ふたりは酒盃を掲げ合った。

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