表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/12

神馬さまのしっぽ(二)

 フローレは法教国聖都から右大陸各地へ向かう街道の分岐点にある。今回のように巡礼目的でなく旅の中継点として訪れたことが何度かある。フローレの教会はこうしたおしのびの訪問にも慣れていて大袈裟なもてなしをしない。ミネラ侯爵家も心得ていて会談の申し出はなかった。


「それではお食事は外で?」

「ええ。よろしいでしょうか」

「もちろんかまいませんよ。――あっ、そうだ、ご実家からお預かりしているものがございますのでお部屋にお届けしますね」


 若い司祭が案内に立った。聖堂裏手の居住棟の一角に用意された部屋は内装も調度も古びているがきれいに清められ整えられている。

 静かで穏やかだ。しかしフローレの、そしてミネラ侯爵国だけでなく右大陸の最盛期が古き良き時代として過ぎ去りつつあるのを感じる。コドーは知らず知らずのうちに時間をさかのぼって旅をしているような心もとない気持ちになった。

 三大陸の複雑な情勢は商品の流通を圧迫している。街道の整備や安全確保の多大な要脚は領民たちの負担だけでなく商人へ課せられる通行料や税に、さらに商品の価格に反映される。商品の値段は年々上がってゆく。土木や輸送の技術が向上するにつれ木材や鉱産物の需要が高まっているが、ここミネラ侯爵国の鉱産物は年々産出量が減っている。新大陸で発見された鉱山は質のいい鉱産物を豊富に有しているらしい。ミネラ侯爵国の隆盛が簡単に衰えるとも思えないが、いつまでも今までと同じというわけにはいかないだろう。


――ことはミネラ侯爵国一国にとどまらない。


 法教会も変わるに違いない。変化の大波の中でどこへ流されていくのだろう。


――姫はどうなるのだろう。


 荷ほどきもそこそこにコドーは厩へ向かった。神馬がにゅっと顔を近づけるのにこたえてから洗い場へ導く。蹄や足を洗い、毛を梳る。水に潜らせ絞った布巾で身体を拭きながら


「お疲れでしょう。よく歩きましたから」


 声をかける。ぶっふふ、と神馬は短く鼻を鳴らした。神馬の身体を拭き清めながらコドーは変調の兆しがないか探る。旅程は長かったものの今日はあまり足場が悪くなかった。疲れもそれほどたまっていないようだ。


「明日もよろしくお願いします」


 神馬がコドーに顔をすり寄せた。


 部屋に届けられた荷物はソウ公爵家からのものだった。


――実家……そうだった。


 コドーは箱を開け中身を確かめながら微笑んだ。ヤンと会って十代半ばまで過ごした生家に心が傾いていたようだ。案内の司祭に「ご実家」と言われてそれがソウ公爵家のことだと腑に落ちるまで数秒を要したのだ。




 ヤンの親方宅で心尽くしのもてなしをうけた。広大な領地の豊かな実りを贅沢につかう公爵家の食卓とも、神や信徒と分かち合うために飽食をきらいことさらささやかにこしらえる法教会での食事とも違う。明日の活力を養うために大勢で囲む食卓はヤンとともに過ごした聖都の金物屋を思い出させた。食材や調理の仕方が違っていても家庭料理はどこか似た趣がある。


「親方だけでなくご家族も兄弟子のみなさんも、よい方ばかりだな」


 うん、と大きくうなずくヤンの巻き毛が大きく揺れた。兄だと名乗って現れた大男がヤンとまるで似ていなくても親方たちは気にかけた様子を見せなかった。

 コドーはヤンだけでなくもともとの実家の両親である金物屋夫婦とも血がつながっていない。コドーは赤ん坊の頃、家の前に捨てられていたのだという。夫婦は手を尽くして探したが赤子の縁者は見つからなかった。長く子のできなかった夫婦はそのまま赤子を息子として育てた。手の込んだ縫い取りのほどこされたおくるみや「コドー」とのみ記された札がまだ実家で大切に保管されている。


「うちの親方はすっごく腕がいいんだよ」


 とても厳しいけど、とヤンは表情を引き締めた。真面目な表情だがどうしてもヤンの頬に残るあどけなさに幼い頃の面影を重ねてしまう。コドーは微笑みながら懐から薄い紙包みを取り出し、ヤンに握らせた。


「姫に分けていただいた。――尻尾だ」

「うわあ」


 ヤンの表情が喜びに輝く。聖都で育っただけにヤンもまた敬虔な法教会信徒だ。神馬の毛を熱狂的に求めるとまではいかないがそれでもこうしたものが人によっては大きな価値を持つことを知っている。


「兄ちゃん、ありがとう」

「ああ」

「神馬さまにもありがとうございますって、お伝えしてね」

「伝える」

「嬉しいなあ」


 ヤンが頬を赤らめ紙包みをそっと胸にあてた。


「大事にする」


 ヤンのくるんくるん跳ねる巻き毛をコドーはくしゃくしゃと撫でてやった。つやつやとした手触りに弟の幼さを感じる。いずれヤンも大人になり父親のようにごわごわとした髪になるのだろう。


「またな」


 工房の前で弟と別れる。巡礼の随行は名誉あるつとめだが長い長い旅だ。次に会うとき弟はきっとおとなになっているだろう。楽しみであるような、さびしいような、コドーはひとつに定まらない気持ちを持て余した。




 フローレの街を教会へ向かってゆったり歩く。コドーは目の端でとらえた色のほうへ顔を向けた。


――紅灯か。


 前任が身を持ち崩したこともあってその手の界隈にはあまり近寄らない。しかし禁じられているわけでなし、堅物と評される当代の巡礼騎士も酔いに身を任せたい夜もある。


――一杯いっとくか。


 あらかじめ司祭に告げてあった時刻に少々早いことを言い訳にコドーは泡立つような賑わいへ足を向けた。


「ごめんね、また来てねえ、にいさん」


 聖都ほどではないがフローレの盛り場もそこそこに大きい。それなのに覗く店、どこも満席だった。人の少ない方、少ない方へと流れてコドーは一軒の屋台に目をとめた。

 いや、とめたくなかった。見なかったことにしたかった。


「おいおいおい、知らんぷりってえのはあんまりじゃねえか」

「――お久しぶりです」


 ぴしりと騎士の礼をとるコドーの前で、樽を椅子代わりに腰かけた元巡礼騎士サスバがにやりと笑んだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ