第3話 悪党の代償
女の子との約束通り、アレクとベルンは街道の店が開く時間を待って、すぐに奴隷商の店に行った。
だが、そこには既に先客がいて、奴隷商のドミニクと思われる男と言い争っていた。
「何度も言わせるな! それがこの町の決まりだ。それが嫌なら店をたたんで出て行くんだな。お香ぐらい、お前にとっちゃ、そんなに高い物でもなかろう?」
昨夜店でごちそうしてくれた、狩人のトラムだった。
トラムはこの町のギルドの取りまとめをやっていると、昨日話していた。
昨日のガンドルー襲撃の際に、奴隷たちを外に置き去りにして、お香を焚かなかったことを、トラムは責めているのだろう。
ドミニクは何か言いかけて、ハッとこちらに気づいた。
「お前――! 昨日の男だな!? 覚えているぞ。商品を勝手に逃がしやがって!」
言うが早いか、ドミニクはベルンの胸ぐらをつかみにかかった。しかし、ベルンの身長が高いので、あまり効果的ではない。
「いいがかりですな。私が奴隷たちを逃がしていなければ、奴隷たちは店先でガンドルーにやられておったはず」
ベルンは冷やかな目つきでドミニクを見下ろし、そして、胸ぐらをつかんでいたドミニクの手を払いのけた。
「弁償してもらうぞ! 逃げた人数分、すべて弁償してもらうからなっ!」
真っ赤な顔をして憤慨するドミニクを、トラムが制した。
「その必要はない。お前はそもそも規約違反を犯したんだからな。お前がお香を焚き、店の中に奴隷たちを入れてやっていれば、彼もそんな行動はとらなかった。申し開きはできんぞ」
悔しげにドミニクは足を鳴らした。背後で鎖につながれた昨日の女の子が、心配そうにこちらを見ている。
アレクはタイミングを見計らって声をかけた。
「ねえ、おじさん」
「ああ?」
イラついた様子で、ドミニクがアレクをにらみつけてきた。
「あの子、いくら?」
「なんだあ? あの娘を、てめえが買おうってのか。残念ながら、てめえみたいなガキが買えるような金額じゃねえ。それとも……」
ドミニクはちらりとベルンを見る。
「あんたが払うのか?」
完全にドミニクは、ベルンをアレクの保護者か何かだと思っているようだ。
「いくらなのです?」
ベルンは低い声で、ゆっくりと念を押すように言うと、ドミニクはニヤリといやらしい笑みを浮かべた。
「白金貨二枚、だな」
「ばかな!」
トラムが即座にさえぎった。白金貨が二枚もあれば、この町では小さな家が買える。
「奴隷一人に、白金貨はないだろう!」
「いくらの値をつけようが、オレの勝手だろうが。今のオレには、あの娘しか収入源がないんだ。それぐらいは払ってもらわなくちゃ、やってられねえ。むしろ安いぐらいだ」
強欲な男というのは転んでもただでは起きないものだ。結局昨日の女の子の心配りは無駄だったというわけだ。アレクは自分の懐からきれいな布袋を取り出した。
「あいにく白金貨に持ち合わせがない。これでどう?」
袋から取り出した赤い宝石を、アレクは無造作にドミニクに投げて渡した。
あわてたそぶりで、ドミニクがそれを受取ろうとするが、大粒の赤い宝石が三粒、ぱらぱらと地面に落ちた。それを恐る恐る、ドミニクが拾い上げる。
「こりゃあ――」
トラムも目を丸くしてその様子を見守っている。
「本物か? なんだって、お前みたいなガキがこんなものを――」
それは本物の宝石だった。最低でも白金貨二枚以上の価値がある。むしろ、払いすぎなぐらいだ。
ドミニクはそれを光にかざしたり、指ではじいたり、目をこらしたりして見ている。
「売るの? 売らないの?」
「これは、本物……か」
ドミニクが、やや開き気味の口でつぶやく。
「じゃあ、いいんだね? あの子は、ぼくがもらい受けるよ」
アレクがそう言っても、ドミニクの目は宝石に釘付けだった。そのうち、よだれでもたらすんじゃないだろうか?
「ああ、ああ……」
この宝石は、本物と偽物の区別がつきやすい特徴がある。金にうるさい男のことだから、それぐらいは知っているだろう。
アレクに催促されて、ドミニクはようやく女の子の鎖を外し、彼女がかつて書いたという契約書を渡した。
これで晴れて、彼女は自由の身というわけだ。
「さあ、行こう」
アレクは女の子に手をさしのべた。女の子はためらいがちに、その手をとる。女の子の細い手を、アレクはしっかりにぎった。
「そうだ。名前をまだ聞いていなかったね? ぼくはアレクだよ。あっちのヒゲは、ベルンだ」
「あっちのヒゲって……。それはないですよ、アレク様。ベルンでございます。どうぞよろしく」
ベルンは微笑んで、紳士らしく頭を下げた。
「あの……、わたし、ソフィアです。あのときは、助けていただいて、ありがとうございました。今回も」
「どういたしまして」
女の子はよく見ると整った顔立ちをしていたが、髪も顔も服も、どれをとっても薄汚れていた。
さっぱりさせてやりたいけれど――。
「良かったら、うちの店にくるか?」
トラムが声をかけてきた。
「店に?」
「店にはモリーが住み込みで働いている。シャワーや風呂もあるし、うまい飯もあるしな。彼女は世話好きだから、頼めばその子の世話を焼いてくれるだろう。これからどこかに行くにしても、身支度が必要だろう? こういうのは、女同士の方が良いだろうから」
年配のトラムらしい気遣いだった。
それは願ってもない申し出だったが、アレクは首をかしげた。
「モリーって?」
「昨日会っただろう? 新しく手伝いに来てくれた、あのおばさんさ。彼女は面倒見がいい」
「ああ……」
あのおばさん、モリーという名前なのか。……それより、あのおばさんにまた会わなくちゃいけないのか。
アレクは思わず、空を仰いだ。
「確かに。私たちでは、何かと気付かないところもあるでしょうからな。いい話じゃないですか? アレク様」
「――そうだね。ソフィア、それでいいかな?」
「はい。もちろん。わたしは、良くしていただけるだけで十分です」
それを聞いて、トラムが笑みを浮かべてうなずいた。
「よし、じゃあ決まった。まだ店が開くまで時間がある。今なら時間が作れるだろう。彼女が起きていればだが」
もちろん、モリーは起きていた。
そのおしゃべりも健在で、誰も聞いてもいないのに、彼女は誰よりも早く起きて、店の支度をしていたと嬉しげに話した。
ソフィアの身支度を整えるのを手伝ってほしいと伝えると、モリーは、二つ返事で引き受けてくれた。
古い服をそのまま着せるわけにはいかないので、モリーには身支度を整えるためのお金を渡し、アレクとベルンは一度、店を出た。
「女の子の身支度って、どれぐらいかかるのかなあ?」
「服を一から買いに行くとなると、結構時間がかかるかもしれませんな。モリーはああいう女性ですし、あの浮かれ具合からすると、かなり嬉しげに服を吟味するでしょうな。とりあえず、夕刻にまたここで食事をしに戻るというので、いかがでしょう?」
「そうだね。それまで何をしてようかな」
「私は買い出しの続きを。昨日あんな騒ぎになって、まだ途中なのです。宿に行って、ソフィアさんの分の部屋もとらなくては」
「一緒でいいじゃない」
軽い調子のアレクに、ベルンは大きく首を横に振った。
「そんなわけにはまいりません。年ごろの女の子ですぞ? ――そういえば、これからどうなさるおつもりです? 彼女に話を聞いて、彼女がエルフではなかったら」
「彼女は"いにしえのエルフ"に間違いないってば。まあ、百歩譲って、そうじゃなかったときは、彼女が行きたいところまで送って行けばいい。そのあとは、彼女の自由だ」
そう言ってから、アレクは少し首をかしげて思案した。
「――そうだな。でも、一度国に帰ろうかな。話を聞くだけじゃなくて、きちんと確かめた方が早いかも」
ベルンは目を丸くした。
「本国に帰るのですか? この旅に出てから、初めてですな」
「そうだね」
国に帰ると、何かと面倒なことが多いので、足が遠ざかりがちなのだが、少し寄るぐらいならかまわないだろう。
「まあ、いいや。とりあえず必要な物、買っといてよ。ぼくもちょっと行くところがあるから」
「さっきは、何をしてようかなどとおっしゃっていたではありませんか」
「ちょっと思い出したんだ。――この町の焼き菓子って、ホント、おいしいんだよねえ……」
うっとりとした様子でアレクが言うと、ベルンはため息をついた。
「またお菓子ですか……。甘いものばかり、よく飽きませんな」
「ぼくの脳と体は、常に甘い食べ物を必要としているんだよ。じゃあね。買い出し、頼んだよ」
アレクはひょいと街道に飛び出した。そして、瞬く間に人の波にまぎれ込んだのだった。
昨日の菓子屋をそのまま通り過ぎ、アレクはするすると人の間をすり抜けていく。
アレクがたどりついたのは、奴隷商の店の前だった。
ドアを叩くと奴隷商のドミニクが出てくる。
「やあやあ、昨日の……。まあ、どうぞ。お入りください」
ドミニクに誘われるまま、アレクは奴隷商の店に入った。
奴隷たちはもう一人も、店にはいないようだった。代わりに見慣れない強面の男が二人、小さめの椅子に座っている。
アレクも椅子をすすめられ、そこに座った。
「私の方でも、あなたを探しに行こうと思っていたところなんですよ。今日は一体、どういったご用件で?」
ドミニクは昨日とは打って変わって、気持ちが悪いほど愛想が良かった。
「ソフィアはどういう経緯でこの店に来たのか、知りたいんだけど」
アレクはそう切り出した。ドミニクは表情も変えず、ただひたすら愛想笑いを浮かべている。
「なるほど。昨日の娘ですか。――病気のじいさんがいて、その薬代が必要だとかでね。借金の形ですよ。だけど、結局そのじいさんは死んじまった。わしらにとっちゃあ、後腐れなく商品が手に入って、ありがたかったがね」
笑いかけたドミニクをアレクが冷ややかな目でにらんだせいで、ドミニクは開きかけた口を、そのまま閉じた。
「ソフィアには身内がいたんだね?」
「さあ、育ての親だとか言っていたな。そんなじじいに義理立てするなんざ、バカもいいところだが――」
再び開きかけた口を、アレクの視線を感じて、またドミニクは閉じる。
「聞きたいことは、それだけですかい?」
「彼女がいた村は、どこにある」
「ああ、もう、燃えちまってないですよ」
「燃えた?」
「小さな村でしたからね。盗賊だか何だかが来て、あらいざらいかっぱらったあと、燃やしちまったんで。それは、わしの預かり知ったことじゃねえですが」
「彼女にそれは伝えたのか?」
ドミニクは肩をすくめて、そしてニヤリと笑った。
「どうしてそれを知らせる必要があります? あいつは商品だ。そんなことは関係ねえ」
「――なるほど。聞きたいことはそれだけだ」
アレクは椅子から立ち上がった。店内にいた男たち二人が、こちらを見ている。
「そうですかい。じゃあ、わしからもひとつ」
ドミニクが合図すると、男たちが立ち上がって、アレクの両腕をとらえた。
「何のつもり?」
「あんたを探しに行こうと思ってたところに、ちょうど折よく来てくれた。――金目の物、全部、あるだけ出しな」
ドミニクの瞳には凶悪な光が宿っている。
なるほど。予想外というほどのことではないけれど、いやに愛想がいいと思ったら、こういうことか。
「こんなことをしたら、ここで商売ができなくなるよ。わかってやっているんだろうね?」
「ああ、分かっているとも。商売なんざ、この街じゃなくても、どこでもできる。奴隷もいなくなっちまったしな。この町を去る前に、お前からあるだけ、いただいていく」
「奴隷商が追いはぎとはね。ソフィアの村だって、本当はお前が燃やしたんじゃないのか?」
「そりゃあ違う。あんな村、燃やしたところで、たかが知れてる。わしは、そんな無駄なことに労力は使わん主義なもんでね。さあ、有り金全部出してもらおう。お前が出さないのなら、今ここで死んでもらう」
「なるほど。子どもを殺してまで、金が欲しいのか」
「何とでも言うがいい。お前が出さないのなら、わしが……」
ドミニクは、そう言ってアレクに手を伸ばした。
「その汚い手でぼくにさわるな! ぼくに手をかけたことを後悔させてあげるよ。二度とソフィアにも、誰にも近づけないように」
アレクは小さく呪文を唱え始めた。
次第に部屋の中が暗くなりはじめ、そして、アレクとその周辺の床に黒い大きな影が現れる。
「な、なんだ!?」
床に現れた影はどんどん広がり、やがて床一面が真っ黒に染まった。
どこからともなく、背筋がぞくりとするような冷気が部屋に流れ込み、霧のようなものがうっすらとアレクを中心にして渦を描き始めた。
部屋全体がますます暗くなり、重い空気に包まれていく。
これにはアレクの腕をおさえていた強面の二人も、うろたえ、思わずその手を離した。
それにも構わず、アレクは無表情のまま、呪文を呟き続ける。
すると不意に、床がぼうっと光りはじめ、魔法陣のようなものが浮かび上がった。
「闇は闇に。光は光に。永久なるその世界の扉を開き、新たなる住人を迎え入れよ。開門」
アレクがそう唱え終わると、まるで床が呼吸するように揺れ、そして、ドミニクの足元に霧のようなものが、急速に集まり始めた。
「お前、何をした!? 一体どうなって……。なんだ、これは!?」
そこにまるで底なしの砂地でもあるかのように、ドミニクの足元の床に霧が吸い込まれていく。そして、ドミニクの足も。
「ひいいっ。待て、待ってくれ! おい、お前たち、助けろ!」
ドミニクは二人の男に助けを求めたが、彼らは恐怖のあまり、その場から動けずにいた。
いや、動けば自分たちも巻き込まれると直感的に分かったのかもしれない。
もがき、必死に何かにつかまろうとするドミニクは、近くにあった小さな木の椅子をようやく手につかんだ。
しかし、椅子は音を立てて倒れ、彼のもとへスルスルと流れてきて、霧と共にすとんと床の中に消え去った。
「ああ、頼む! 待ってくれ。誤解なんだ。とにかくおれの話を! 話を聞いて――」
ドミニクが最後まで言い終わるより早く、ドミニクの口が、頭が、闇に飲まれた。
最後に残された右腕が、しばらく抗うように空を探っていたが、それもやがて霧と共に床に飲み込まれた。
「言い訳ならいくらでもすればいい。永遠に誰に会うこともない灰色の世界でね。――さあ、そこの君たちはどうされたい? あの男と同じ世界に行きたいのかな?」
アレクが振り返ると、強面の二人はおびえた様子で、首を横に振った。
「なら、ここから立ち去るがいい。ここで見たことは忘れてね」
カクカクと不自然にうなずきながら、二人の男たちは転げるように店を出て行った。
すると、店の床にさっきまで広がっていた大きな黒い闇は、戸口から入った風に吹かれるように、すうっと消えていく。
アレクは、ぱんぱんと衣服についたほこりを払う。
ドミニクではないが、これこそ無駄な労力を使ってしまった。
でも、これでソフィアがもし一人になったとしても、ドミニクにまた付け回されることもない。彼はもう、この世界にはいないのだから。
「さて。お菓子買って、帰ろうっと」
アレクは小さくつぶやくと、軽い足取りで店を後にした。