第2話 失われた一族の娘
トラムとその仲間たちが、協同で経営しているというガンドルー専門の料理店は、なかなか立派な店構えだった。
看板には、店の名前とともに、大きな肉の絵が描かれている。
店は夕食には少し早すぎる時間帯ということもあって、満席ではなかったが、それでも、ちらほらと客の姿が見える。
「それなりに人気がある店のようですね?」
ベルンがアレクに、小さな声で言った。
店内は香ばしい肉の香りが漂っていて、まだ明るいというのに、酒を飲んでいる男たちもいた。
「どこでも、好きな所にどうぞ。今、話通してくるから」
トラムはそう言って、店の奥に入っていった。
ほどなくして、たくさんの料理が二人の目の前に並ぶ。トラムの話では、全てガンドルーの肉や卵を使った料理だという。
彼のお勧めは、大きな卵焼きだった。
それを口いっぱいにほおばると、あの凶悪な姿からは想像もつかないような、甘くて優しい味がした。
二人は他にも、トラムの勧めでたっぷりとごちそうになったが、それと同時に、この町でガンドルーの狩人をやらないかとしつこく誘われた。
ガンドルー狩りには、それなりの人数が必要なのだという。
アレクなら即戦力になると熱心に口説かれたが、アレクは丁重にお断りした。
食事を終えて店を出ると、あたりにはもう闇が迫ってきていた。
まだ薄明るい空には、星が瞬いて見える。
アレクは、おいしいガンドルー料理をたっぷり食べて、小さくふくらんだお腹をなでながら、言った。
「あれだけ銃の腕をほめられると悪い気はしないけど……。勧誘もかなりしつこくて、ちょっとうんざりだね」
そう言って、アレクは肩をすくめた。
すると、ベルンが眉をひょいとあげる。
「そんな風には見えませんでしたぞ? 平気な顔で、卵焼きを何度もおかわりしておられたではありませんか」
ベルンはあきれたように言ったが、そういうベルン自身も、ガンドルーの肉料理を、これでもかというほど食べていた。
「だって、本当においしかったんだもん。まさかあそこで、あの時のおばさんに会うとは思わなかったけど」
二人はトラムの店で、乗合馬車でさんざんしゃべり倒していた、あのおばさんに会った。
店の共同経営者の一人が、おばさんの息子なのだという。おばさんはあの店を手伝うのだと言っていた。
確かに、店は夕食時にはかなり混雑して、どうやら町でも人気の店らしかった。
「ガンドルー料理がおいしいのはいいけど、あのおばさんのおしゃべりにつかまるのはちょっとなあ……」
あのおばさんのおしゃべりを思い出して、アレクは身ぶるいをする。
その様子を見て、ベルンは、はっはっはっと笑った。
「さすがに、仕事中までずっと客としゃべっている、なんてことはないでしょう。店も忙しそうでしたし」
二人が歩いているうちに、あっという間に日は沈み、やがて夜風が吹き始めた。
「そっちじゃないよ、ベルン。町の入り口はこっちだ」
「そうでしたか? 失礼」
そんなことを言いながら、二人は宿へと向かう。
街道は昼間より人通りがへっていたが、それでも飲食店が並ぶ通りは、まだまだ大人たちが行き交っている。
歩きながら、ベルンがぼそっとつぶやく。
「銃について、つっこまれなくて良かったですな」
「なんで?」
「見せてくれと言われたら、どうしようかと」
背中に背負っているライフル銃の包みを指さしながら、ベルンが言った。
アレクの銃はどちらも古代技術によって改造されている上に、アレクが特別な魔法を施している。
知識のある者が見れば、それがかなり特殊なものだということがわかってしまう代物だ。
「気にしすぎだよ。そんなに古代技術や古代魔術に詳しいような人間が、その辺にゴロゴロいるもんか。それより――」
ドン!
酔っぱらいの集団をよけようとしたベルンが、反対側から来た別の人間にぶつかった。
「あ、ごめんなさ……」
小さく謝りかけた女の子を見て、アレクはあっと思った。奴隷商のところにいた女の子だ。年の頃は、十五、六だろうか。アレクより頭一つ分くらい背が高い。
女の子の方も、ベルンの顔を見て、目をまるくしていた。彼女も気づいたのに違いない。
おどおどとした様子で目をそらした女の子の左腕を、ベルンがさりげなく支えた。
「あの時の子ですな。無事でなにより」
「あの……」
女の子はベルンの顔を見て、再び固まった。そして、小さくつぶやいたのだ。
「……むらさきの……目……」
ベルンはハッとしたように左手で目を覆った。アレクもおどろいて、女の子をにらむように見た。
彼女にはベルンの瞳が紫に見えた――。
紫色の瞳は、魔族の証。そんなことは誰でも知っている。
しかし、この世界にいる魔族と呼ばれる者たちは、世界から身を隠している。人々は言い伝えでしか、その存在を知らない。
つまり、魔族は、人間にとって伝説上の存在となりつつある。
アレクは、さっと女の子の目の前に手を振り上げた。
「きゃっ……」
叩かれると思ったのか、女の子は思わず目をつぶった。そのすきに、すばやくアレクは彼女に魔法をかける。
「おどろかせて、ごめん。大丈夫。目を開けて、もう一度よく見てごらん」
アレクの言葉に、女の子は恐る恐る目を開けて、ベルンの瞳を見た。
「あ……。茶色……?」
それを聞いてベルンは、詰めていた息をふっとはいた。なんとかごまかせたようだ。
しかし、アレクの心中は穏やかではなかった。
「きみ、これから行くあてがあるの?」
アレクは、なるべく親しげに、こわがられることがないよう注意を払いながら、女の子に話しかけた。
「……戻らなくてはいけません。契約が、ありますから。だけど、少しだけ、町を見て回りたくて……」
そう言って、女の子は視線を落とした。
ずっと鎖でつながれていたのだ。自由に歩けるのがうれしいに違いない。
でもなぜ、せっかく逃げてきたあの奴隷商の元に、また戻るというのだろう?
「このまま逃げてしまっては、ダメなのですか?」
ベルンが努めて優しげな声で、女の子の顔をのぞきこむように言った。
「……契約ですから。わたしが戻らないと、村の人に迷惑がかかるんです」
「きみのいた村?」
「はい」
アレクは、女の子を念入りに観察し、そして確信していた。
この女の子は、おそらく、人間じゃない。本人がそれに気づいているかどうかは、別にして。
「例えばだけど、きみを奴隷商から買えば、きみはぼくたちと一緒に来てくれるのかな?」
「え……?」
アレクの突然の問いに、女の子は戸惑った表情を見せた。しかし、その後で小さくうなずく。
「奴隷……ですから」
ベルンの方を見ると、おどろいた顔をしている。
「アレク様、本気なのですか?」
「ぼくが彼女を買えば、彼女は心おきなく、ぼくたちと話ができる。ちょっと確かめてみたいことがあるんだ」
ベルンはちょっと困ったような顔をして、声をひそめてアレクに言った。
「そのためだけに、彼女をお金で買うとおっしゃるのですか?」
「必要だからだよ。いいから。ベルンは話を合わせて」
ベルンの反論を受け付ける余地はない。
その様子を見た女の子が、遠慮がちに声をあげた。
「あの……」
「なに?」
「もし、わたしを買ってくださるのなら、お願いがあります。わたしとここで会ったことは内緒にしておいてください。そうしないと、あの人はわたしを、あなたたちにとても高く売りつけようとしますから」
「どうして、そう思うの?」
「そういう人なんです。何か少しでもきっかけさえあれば、高く売りつけるのが、あの人のやり方みたいだから……。きっと、わたしたちが顔見知りだと知ったら、あれこれ理由をつけ
て、値段を高くするのに決まっています」
彼女は奴隷商のドミニクという男が、客に商品を不当に高く売りつけているところを何度も見ているのだろう。
アレクはそれでも別にかまわないのだが、これは女の子の好意だ。こういうものは素直に受け取っておくべきだろう。
「わかったよ。じゃあ、きみは先に奴隷商のところに戻るといい。今日はもう遅いから。明日の朝いちばんで迎えに行くよ」
女の子は心なしか、少しほおをそめてうなずいた。
「はい」
それから二人は女の子を奴隷商の店の近くまで送っていき、店からは見えない場所で別れた。
ベルンがどうしても気になると言うので、二人は物陰から、女の子が店に入る様子を見守ることにした。
女の子は店の前まで行くと、店の戸を二度、ためらいがちに叩いた。
中から出てきたのは、小太りで丸顔の中年の男だった。男は、女の子の全身にすばやく目を走らせると、急に何か大声でどなって、女の子のほおを思いきり平手で叩いた。女の子はその勢いで後ろの地面に投げ出される。
「あの男っ……!」
ベルンが飛び出そうとしたところを、アレクは手で制した。
「約束しただろう? 明日の朝、いちばんで迎えに行くって」
「しかし……、しかし、アレク様。あのように本気で女性を叩くなど――!」
「あの子は頭がいい。こうなることが分かっていて、それでもひとりで戻ったんだ。ぼくたちに気を使ってね。その彼女の気持ちはくんであげなきゃ」
「うぬっ……。あのような人間のクズは、ぶっとばしてやればよろしいのですっ」
ベルンは我慢しきれないと言った様子で、こぶしをぐっとにぎりしめていた。
「それはまた、今度のお楽しみにとっとけばいいよ」
「どういう意味です!?」
「そのままの意味さ。さあ、行こう。あの男は金にうるさいというから、わざわざ戻ってきた商品をダメにするほど、愚かじゃないだろう。明日の朝、また彼女をここへ迎えに来ればいい」
奴隷商の男は、女の子を引きずるようにして、店の中へ連れて入った。
「本当に大丈夫なんでしょうね?」
ベルンは何度も振り返りながら、アレクに引きずられるようにして、その場をあとにした。
二人はようやく宿屋に着き、あてがわれた部屋に入った。もう夜はすっかり更けている。
部屋はさほど広くはなかったが、清潔だった。
宿の部屋に入るなり、ベルンはアレクに尋ねた。
「なぜ、彼女を?」
アレクは首をかしげる。
「本当にわからない? あの子は、ぼくの変化魔法を見破ったんだよ?」
ベルンは正真正銘の魔族だ。魔族は人から忌み嫌われ、かつて、この世界から姿を消した。人間に追われ、人のいない場所へと姿を隠したのだ。
ベルンのように、姿を変えて、人にまぎれて生活することは可能だが、問題は瞳の色だった。その瞳の色だけは、彼自身の力ではどうすることもできない。
そこで、アレクは誰から見ても、ベルンの瞳の色が茶色だと錯覚するように、魔法をかけた。
それを女の子は無意識のうちに見破ったのだ。だからアレクはベルンにではなく、女の子自身にも魔法をかけて、その場をごまかした。
「それはつまり、潜在的な魔力が高い証拠だ。そこらの人間とは違って、けた違いにね。……まあ、彼女は人間じゃないみたいだけど」
「人間では、ないと?」
アレクはあきれて、大きなため息をつく。
「ベルン、きみはエルフと面識があるだろう? 気がつかなかったの?」
「彼女がエルフだとおっしゃるのですか? しかし、エルフといえば、あれ……ほら、耳が」
エルフの特徴といえば、色素の薄い髪色に、色白の肌。そして、一番特徴的なのが、とがった耳だ。
魔族と同様、この世界では今や伝説の存在となった、エルフ。
「ぼくの記憶が間違っていなければ、あの子は"いにしえに失われたエルフ"の一族だ」
「――"いにしえに失われたエルフ"?」
「詳しく話すと長くなる」
そう言うと、アレクはベッドに寝転がった。ふかふか――とはいかないけれど、まあ、それなりの感触だ。今日はいろいろあったし、早く休みたい。
だが、ベルンは話の続きを待っていた。しかも、顔つきからすると、かなりの好奇心を持って。
「仕方ないなあ、もう。――ま、今日はベルンも頑張ったしね」
アレクは起き上がって、ベッドに座りなおした。
「今生き残っているエルフは、過去にいたエルフの一族全てじゃない。エルフにもいくつかの種族があるんだ。その中でも、ぼくが知る限り、最も古くから存在すると言われている一族を、"いにしえのエルフ"と呼んでいる。今いるエルフとの違いは、耳があまりとがっていなことぐらいかな。生真面目な民族でね。勤勉な上に、魔術に長けていて、その魔力はエルフの中で最強と言われていた」
「アレク様は実際に会ったことが、おありになるのですか?」
「千年ぐらい前に、一度だけね。それは、じいさんだったけど。いにしえのエルフは滅んだ――そう言われていた。もともと少数民族だったんだ」
「しかし、なぜ、滅びたはずのエルフが、人間の町に? しかも奴隷とは……」
「分からない。彼女がいた村というのが、そもそも人間の村なのか、エルフの村なのか――。それを確かめるために、彼女を買うんじゃないか」
彼女のことは分からないことだらけだ。でも、それも明日になれば、明らかになるだろう。
ベルンはまだ思案顔だったが、アレクは身支度を整えると、さっさと布団に入った。眠たくて仕方がない。なんといっても、今日はあのおばさんのおかげで、ちっとも気が休まらなかったのだから。