第3話 遺跡に住まう者
マルボル遺跡の危険地区。
そこの一角にある洞穴から中に入ったアレクたちは、ソフィアが召喚した炎の精霊の明かりと、フォルが持参したランタンの明かりを頼りに、奥へと進んで行った。
「嫌な感じがしますね」
ベルンがぽつりとつぶやく。
「おいらもなんだか、背中の毛がぞくぞくするよ」
ぶるっと体を震わせたテイルも、ベルンに同調した。
通路はそれほどせまくなく、人が通れるほどの空洞がずっと続いている。
だんだん奥に進むにつれ、ようやくアレクの耳にも、その"生き物"の呼吸する音が聞こえるようになった。
「――いるね」
「近いな」
ベルンが足を止めて、一同に待つよう手ぶりで示した。
足音を忍ばせ、ベルンは岩壁から奥をのぞく。
とたんに、ものすごい咆哮が辺りに響いて、思わずアレクは耳を両手で塞いだ。
「あれは――、なんですか?」
ふり返ったベルンが、フォルに問う。
「何って言われましても――」
「相手は鎖につながれています。ここからなら問題ありません。ちょっとのぞいて見てください」
フォルとアレクは、並ぶようにして岩壁から向こう側をのぞいてみた。
つんと嫌な臭いが鼻をついた。
そして、目に入ったのは――。
大きい狼のような体つき。
全身が不自然に黒く、目は赤く光っている。
体の一部が燃え残る炭のように鈍く光り、湯気のようなものが薄く立ち上っている。
それどころか、体の一部は燃えているようでもあった。
アレクは漂ってきた嫌な匂いに耐えきれず、鼻を押さえる。
そして、頭の中には、ひとつの名前が浮かんでいた。
(まるで、ヘルハウンド……。神話に出てきた、ヘルハウンドそのものだ)
神話に登場する、地獄の番犬。
しかしそれはあくまで神話の中の魔物であり、実在する生き物ではなかったはず。
「――ヘルハウンドだわ」
フォルが間近で呟くのが聞こえた。
「ヘルハンドとは、神話の中に登場する魔物だろう? 実在する生物じゃない」
リュートを抱えたまま、背後でエドが眉をひそめる。
アレクもそんなものが実在するとは思ってもいなかった。
(神話は実話だということなのか?)
だが、そのアレクの考えを否定するように、フォルが語り始めた。
「古い文献で読んだことがありますわ。かつて古代魔法王国が隆盛を誇っていた時代、神話に出てくる魔物を作り出そうとする動きがありましたの。実際にそれが成功したのかまでは、知りませんでしたけれど――。確かに、ヘルハウンドの記述もありましたし、ここはジクレステス。古代魔法王国の流れを組む場所。推測にしかすぎませんけれど、実際に生きているところを見ると、あれは恐らく、人の手で造られたヘルハウンドかと……」
これにはアレクも少なからず驚いた。
「人工の魔物とは、恐れ入ったね。ジクレステスはこんなものを隠し持っていたなんて。あのヘルハウンドの存在を、この国のトップは当然知っているだろうね?」
「恐らく。鎖につないだのはいつの時代なのかはわかりませんけれど、少なくとも政府高官か王族あたりは知っているのではないかしら? そうでなければ、ここをいつまでも危険地区に指定して、人から遠ざけたりしないはずですわ」
「で、あれを倒すのか? そもそも、あれは死ぬのか?」
同じようにのぞき見たのだろう。
鼻を押さえながら、ティナが聞く。
奥に通じているのであろう金属製の扉は、ヘルハウンドの真後ろにある。
鎖でつながれているところを見ると、文字通り、あの魔物には扉の番犬の役割があるはずだ。
道をあけるようにも見えない。
「先に進むには、あれを倒すしかないな。――いい腕試しになるだろう。このメンバーではまだ戦ったことがないしね」
そう言って全員の顔を見ると、エドが笑って肩をすくめた。
「豪気だね。で、作戦は?」
「神話のままのヘルハウンドなら、水が苦手なはずだ。特に流れのある水が」
フォルを見ると、フォルは何も言わずにうなずいたので、アレクはそのまま話を続けた。
「ソフィアは水の精霊を召喚して、あいつの動きを止めて。効果があるかどうか分からないけど、エドには催眠の呪歌を頼む。僕の魔法で仕留めるつもりだけど、詠唱には時間がかかる。ベルンは僕とソフィアの楯だ。ティナにはこれ」
自分が持っている特殊な銃弾を、アレクはティナに渡した。
「これは?」
「特別製の弾。これは普通の弾が効かないような魔法生物にも効果がある」
「そんな便利なものがあるのか」
嬉々としてティナはそれを受け取る。
「僕は詠唱に集中する。保護魔法はかけてあげるけど、詠唱中は銃を撃てない」
「任せろ。これがあれば十分だ」
こんな状況でも、銃に関することとなれば、ティナは嬉しそうだった。
「保護魔法が使えますのね?」
振り向くとフォルがアレクを見つめている。
「古い魔法だけどね」
フォルは大げさにため息をついた。
「なるほど? それで回復専門の術者が必要というわけですのね。――いいですわ。期間限定ですけれど、私が回復役を引き受けましょう」
そう言うと、フォルは小さな木製の杖を取り出した。
「きみは――」
「言っておきますけど。私は研究所での仕事がありますの。あなた方に協力するのはこれきりですわ」
「――わかった」
どこまでも頭が回る女だ。
杖をふるって、フォルは盛大に保護魔法を唱えた。
アレクのものと違って、一度に全員の保護が可能で、しかも詠唱時間も格段に短い。
探し求めていた術者がこんな目の前にいたとは。
しかも、勧誘する前に断られた。
「よし、じゃあ行こう」
その時、ヘルハウンドが再び咆哮を挙げる。
それはまるでアレクたちを挑発しているかのようだった。
ヘルハウンドに近づくごとに異臭が漂い、アレクは集中するのに根気が必要だった。
口を開ければ火の粉が散り、足を踏み出すごとに黒煙が地面からあがる。
「仕方ありませんね」
ベルンはそう呟いたかと思うと、解呪を唱え始めた。
みるみるうちにベルンの体が変形していく。
そして、ベルン本来の姿へと変わっていった。
人間ではありえない大きく、黒く光る体。
「――まるで黒い天使だな」
ティナが呟くのが聞こえた。
魔族本来の姿をあらわにしたベルンに、ヘルハウンドが襲いかかる。
ソフィアの水の精霊も同時に流水を放ち、ヘルハウンドの足へとまとわりついた。
ジュッ、ジュッという音があちこちであがり、水は瞬く間に蒸発していく。
それでも水の精霊は負けずに、また水の流れを生み出していく。
流水に体を捕えられながらも、ヘルハウンドはベルンに向かって大きく口を開け、噛みつこうとした。
開いた口からは大量の炎が漏れ、熱風が空を焼く。
常人ならば消し炭になっているところだ。
ベルンはうまく避けて、眉間に硬化した拳を勢いよく打ちつけた。
ボッと黒い煙があがり、ヘルハウンドがひるむ。
そのすきをついて、ティナが喉元めがけて銃弾を放った。
銃弾は煙とともにヘルハウンドの体にめり込んだが、効果があったのかどうかはわからない。
アレクはその様子を視界にとらえながらも、静かに魔法を詠唱し続けていた。
詠唱しながら、指輪で虚空に魔法陣をゆっくりと描いて行く。
ヘルハウンドが精霊の流水を蒸気に変えていくせいで、あたりは次第にむせかえるような湿気が充満するようになっていた。
さらにティナはタイミングを見計らって、ヘルハウンドに何発も弾丸を命中させている。
ヘルハウンドは足元が時折よろめくようになっていたが、それでも倒れることなく、果敢にベルンに攻撃をしかけていく。
厄介なのはヘルハウンドの口から放たれる熱風だった。
ヘルハウンドの攻撃は直接ベルンを傷つけてはいないが、ベルンの皮膚は不自然に赤くなっていた。
アレクの背後でフォルが詠唱し、ベルンの火傷のような症状を回復していく。
しかし、これだけの攻撃をうけながらも、ヘルハウンドはしぶとかった。
エドが効果の薄い催眠の呪歌から、鼓舞の呪歌へと歌を切り替えた。
自然とアレクも腹に力がたまるのを感じた。
(いける――!)
魔法陣は完成した。
魔力も満ちた。
アレクは静かに最後の言葉を口にする。
「深き海に眠りし神との古き盟約を果たさん。始まりの恵みにて地を満たし、天を満たし、その全てを以て代償と成す。深海流洞!」
描いていた魔方陣がついに青い光を放ち、ヘルハウンドを捕えた。
ベルンが素早く後ろにさがる。
地面が波打ち、深い色の水が魔法陣に一気に流れ込む。
それはまるで透明の箱にでも覆われたかのように、魔法陣の中にだけ広がってゆき、消えることのないヘルハウンドの全身が、水に触れて激しい気泡を吹きだした。
気泡と激しい濁流にのまれたその姿は、もはや泡でしかなく、ヘルハウンドはブクブクと大きな音を立てながら、そのまま魔方陣の底へと吸い込まれていった。
最後の一滴がポチャンと音を立ててると、地面はまるで何もなかったように静まり返った。
「やった、な……」
ティナの声が洞窟に響いた。
魔法陣のあった場所には、ヘルハウンドが首につけていた大きな鎖だけが残されていた。
「古代魔法……、ね。初めて見たわ」
そう言って口をゆがめたフォルも、疲れた顔でその場に座り込んだ。
あたりを包んでいた異臭もなくなっている。
「なんとか倒せたようだね」
エドがポロロンと軽やかなリュートの音色を響かせた。
そしてそのまま癒しの音色は洞窟内に響き渡っていた。
しばらくエドの奏でる音色に聞き入っていたアレクは、再び立ちあがった。
フォルもそれに気づいて、扉へと近づく。
「頑丈そうな扉だな」
立ちふさがる扉を見て、アレクは言った。
「遺跡にはとても不釣り合いですわね。おそらく、古代魔法王国時代のものではないと思いますわ」
フォルが扉の取っ手に手を伸ばした時、ソフィアが大きな声をあげた。
「待って! ちょっと待ってください!」
「何ですの?」
「その扉、少しおかしいんです。何か……ふつうの扉とは違います。うまく言えないのですけど……。さわらないほうがいいと思います」
「さわらない方が……って、さわらないと開けられませんわ」
フォルが憮然とした表情でソフィアをにらむ。
「すみません。でも……」
扉の取っ手は、何の変哲もないように見えた。
アレクは扉をくまなく調べ始めた。
「な、なんですの……?」
「ちょっと待って」
いち、に、さん、し――、全部で十二。
「魔法陣が組まれてる。古代魔法に似てるけど、ちょっと違うな……」
「魔法陣? どこですの? よく分かりませんけれど……。さわるとどうにかなるものですの?」
「――多分ね。魔法が発動する。雷系の。恐らくはヘルハウンドを倒すものは、水系の魔法を使うものだろうという想定だろうね。安直だけど、悪くはない。雷系の魔法は強力だ。よっ……と」
原始的だが、魔法陣は陣を崩してしまうのが一番手っ取り早い。
知識のない者が下手に手出しをすれば魔法が発動してしまうが、その魔法陣に対する知識があれば、それを崩してしまうことは不可能ではない。
魔法陣はとても見つかりにくいように細工してあった。
「よほどここを開けられたくないんだな。こんな魔法陣まで組むとはね。普通の人間なら即死だよ」
「即死って……。そんな強力なものが?」
「まあ、ヘルハウンドをここに置いている時点で、侵入者を抹殺する意図があることに変わりない」
話ながらも、アレクは慎重に魔法陣を解除していった。
解除の順番を一つ間違えても、その場でアウトだ。
一つずつ魔法陣の布石を外していき、ようやく最後の布陣を解除すると、アレクは一人でにんまりした。
ちょっとしたパズルを解いたような気分だ。
「これでいい。これで魔法陣は解除された。ソフィア、どう? 何か見える?」
「は……はい。もう何も。普通の扉にしか見えません」
「よし。――フォル、入っていいよ」
フォルに声をかけると、彼女は思いきり眉をひそめた。
「解除されたのは結構ですけれど――、私から入りますの? ここはあなたから入るのが筋でしょう?」
せっかく先を譲ってあげたのに。
「仕方無いな。じゃあ、僕が行くよ」
アレクはぐっと金属製の扉を押しあけた。
するとすぐその先にも木製の扉があった。
どうやら今度こそ、昔に作られた扉らしい。
こちらは魔法陣こそ仕掛けられていなかったが、扉自体に封印が施してあった。
「――これは古代魔法だ」
アレクが開錠の魔法を唱えると、扉はすんなりと開いた。
中は意外にもレンガ敷きの古びた部屋だった。
「すごい……! こんなところが残っていたなんて」
フォルが感嘆の声をあげた。
一見すると古びたただの部屋だ。
木で組まれた書棚には資料のようなものが整然と詰め込まれている。
「ここは、どなたかの研究室だったのでしょうか?」
あとから入ってきたソフィアが呟く。
「どうだろうね? ただの倉庫だったのかもしれないし」
しかし、部屋には木製の机と椅子まであったので、ソフィアがそう考えるのも無理はなかった。
「どんな人がいたんでしょうね……」
ソフィアは椅子と机をなでる。
その時、書棚に向かっていたフォルが突然、声を上げた。
「これ、これじゃないかしら……!」
それはいくつもの図面と絵が載っていた。
「見せて」
アレクはフォルからその資料を受け取る。
資料は古代文字で書かれていた。
「きれいな古代文書だ。懐かしいな――」
いくつかの記述を走り読みするが、どうやら、それはフォルの言うとおり、魔法と武器を融合させたものの製作方法のようだった。
そこに書かれていたのは、魔法の剣。
通常、人間が作る武器では硬い神竜を傷つけることはできないが、その魔法の剣は「神竜の鱗をも貫く」とある。
(こんなものが本当に実在していたのか……)
製造は今でも可能だろう。
しかし、問題はその材料だ。
材料は幻獣や竜の骨や爪、牙、鱗などだとある。
先程戦ったヘルハウンドも、そのひとつ。
(あれは番犬ではなくて、材料として生み出されたというわけか)
金属を調合して新たな金属を作るように、魔法と古代生物を掛け合わせて、この世にはない素材を生み出した――。
どこまでも抜け目がない。
だが、今はどこにもそんな技術は継承されていない。
フォルがひっぱりだしてきたものの中には、かつて魔法武具の製造所だった場所が示された地図もあった。
武器の材料調達の場所も記載されている。
しかし、それが今もそこにあるのかどうか――。
「今もその場所にあるのかどうかは分かりませんけれど、こうしてここに資料が隠されているのだから、当たってみる価値はあると思いますわよ」
「確かに。ここに書かれていることが真実なら、絶対に手に入れたい」
アレクはフォルとともに、必要な資料をまとめた。
「ありがとう。これは役に立つ」
素直な気持ちで、アレクはフォルに言った。
だが、フォルはそういうものが苦手だったらしい。
すっと視線をそらして、応える。
「ここまで来たかいがありましたわね」
「うん、フォルのお陰だ」
そんな二人の様子を、ソフィアがそばからじっと見つめていた。




