第五十四話
その後、王様は翌日には星に残る者を説得し、パルムールを離れさせた。
パルムールの民を納得させるために、都を焼き払って。
あの白い美しい王都を焼き払うことで、後戻りできない道を作るためだ。
少しでも民を安全な場所に連れて行くためだ。パルムールは火砕流に呑まれてしまうけど、100キロ離れた場所ならば、即死することはない。
それでも、この星のほとんどが火山灰に覆われ、気温が下がり、ゆっくりと星の活動は終えていくだろうと、学問所は考えている。
不毛の大地で、ほんの少しだけ生きながらえるだけだ。
だけど星に殉死したいと思う人間がいるのも仕方のないことだと思う。
自分の生まれた場所なのだから。
王様は死ぬためにここに残るわけではない。
星からは離れられなくても、みすみす民を殺したいわけではない。一日でも長く、流浪の旅でも最後の一瞬まで生き長らえさせたい。
王様が指揮を執り、長い列が出来て王都を出発した。
その旅を、神殿は最大の礼をもって送り出した。
「不肖の子らよ――
星の見る夢を、この星に生きるすべてのものに……」
最後の、祈りの言葉だった。
この星に残る者を『私』は見捨てない……。その死せる瞬間こそが、幸せな夢となりますようにと、心の中で祈った。
そして、翌日、空に大きな星が降った。
その威力はすさまじく、計算上はるか彼方の海上に落下した隕石の衝撃は神殿まであった。
それを契機に、大地が割れた。
そして、竜門火山が轟音と共に火を噴いた。
私は写真でしか知らない不気味なきのこ雲が空一面を覆うように、火柱と共に吹き上がった。
船内でその様子を見ていた私たちは、絶句した。
火柱は距離を測れないぐらい大きな柱となって、辺りを割いた。
私たちはその瞬間のためだけに準備をしていた。
衝撃を吸収するロックウォールと呼ばれる耐衝撃吸収システムを稼働させる。
そしてその衝撃の振動を全ての動力に変えて、ブースターをかけ、船を飛び上がらせた。
操縦席にはカフド博士を始め、学問所の人達に任されている。
私は、祈り堂と呼ばれる広間に鎮座している聖座に座り、不安に震える民と共にいた。
神官たちが民に説法をし、私は聖座でその様子を眺めている。
竜騎兵団はそのまま警護の任に当たっている。聖座の後ろに、サイスさんが控えている。
皆、祈り堂のメインモニターを食い入るように見つめていた。
辺り一面に壁のように吹き出すマグマ。
真っ赤に燃えるその火柱を、この世のものではないような気持ちで見つめた。
そして、吹き出される大量の火山灰。
辺り一面、灰に包まれている中を割くように稲光が止むことなく空を走っている。
「ああ……我らのケペリが……」
落胆したような声があたりに広がる。悲鳴や泣き声、嗚咽が聞こえてきた。
それでも、ここにいれば命はある。
「星の定めは、変えられぬもの。
今は星を、民を悼み……祈りましょう」
それしかできない。
私たちは、無力だった……。
王様、どうか無事で。
あなたのゆく手は困難を極めるものであるから。どうか、一人でも生き残って……。
愛する人の死は、考えたくはありません――。
しばらくして、神官長が血相を変えてやってきた。
「……ウラヌス・ラーが、ウラヌス・ラーのお姿が……」
愕然とした神官長が駆けこんできた。
「どこにもありません……」
呆然と立ち尽くした神官長を見て、目を閉じた。
ウラヌス・ラーは死を覚悟して王様の元へ走ったんだ。
そうするのは、分かっていた。
今私はそれを、穏やかな気持ちで聞いている。
「――ウラヌス・ラーはケペリの花嫁になる方。
ケペリを選ぶことに、何の不思議がありましょうか。
あなた方は選んだのです。すでに、『神』を。何を嘆くことがありましょうか。
あなた方は、最良の選択をしました。そうでしょう?」
悠然と神官長に微笑んで見せた。
そう。もうすでに私たちはこうなることを選んでいた。いまさら何を嘆くことがあるのだろうか。
私は立ち上がって、奥の祈りの間に入った。
ここは表向きは私しか入れない、神の祈りの間だった。
「今だけ、こうさせて……」
私は、サイスさんの胸に身を預けた。
まっすぐにサイスさんの顔を見る。
その中に、王様の顔を探して。
「ごめんね。少しだけ、少しだけ、あなたと同じ銀色の髪の、緑の瞳の王様を思わせて……」
あの火山の中、王様が無事であることだけを祈って。
「今だけだから。ここを出たら、また頑張るから……」
涙が溢れた。サイスさんが抱きしめてくれる。
「大丈夫ですよ。あの方は、強い……」
慰めてくれるサイスさんの腕も、震えていた。
しばらくして、イコが飛び込んできた。
「博士が、成層圏を抜けました!って」
その言葉に、涙を拭った。
私には王様との約束がある。彼らを必ず新天地に連れて行く。
だから、泣いてはいられない。
一生懸命、神様の顔を作った。
大丈夫、まだ頑張れる。
祈り堂では、人々の歓喜の声が上がっていた。
――こうして私たちはケペリ星を出て、新しい土地へ行くことになる。
この船に乗ったのは、パルムールの民の半分程度だった。それでもかなりの大所帯だった。
私は神殿の長として、色々この船の中の秩序を作ったりだとか、政治体制についての相談だとか、毎日忙しく過ごした。
今のところ神殿が中心となっているけれど、神殿の役割は政治に関わることではない。
そして一日の仕事を終えて自分の部屋に戻ると、部屋の壁に付いているスイッチを入れる。
メインコンピューターの交信スイッチだ。音声で自動に起動されるのは便利だったけど、予期せぬ時にいきなり始まったりするので、最近はメインスイッチを入れてからの起動に変更させた。
「お疲れ様です、トゥヤ」
コンピューターが実に人間臭いやり取りをすることを、このメインコンピューターのおかげで知った。きっとこのコンピューターを作り上げた人は、とても人間臭い人なのだろう。
「お疲れ様。ガニメデ、食糧の供給量が落ちているみたい。家畜の操作は難しいから、食物、特にイモ類や麦とかの供給量を増やしてね」
イスに座りながら声をかけると、ガニメデが返事をする。
「了解しました! ファームの方へ必要量の計算内容を転送します」
そういうと、ピッと短い電子音を上げた。
「今日も、大きな出来事はなかったね」
確認すると、ガニメデが「ありません」と返事をした。大きな出来事とは、凶悪犯罪やデモ、反乱を始めとして、船の存続にかかわるようなことだ。
「トゥヤ、フォンへ着く前に人事に関する案件の返答を下さいと神官長からの伝言が入っています。どうなさいますか?」
「どうって……」
「神殿の長としてトゥヤの名前をお入れしてよろしいでしょうか?」
「……まだ続けるの?」
「この船の責任者はトゥヤです。フォンでの責任者もトゥヤになるのではないでしょうか」
ガニメデに言われて、ため息交じりに頷いた。
「わかった。それでいいよ」
「分かりました。では、トゥヤのデータを更新します。
名前・トゥヤ-サトウ
職業・『神』でよろしいですか?」
ガニメデが杓子定規にそういうので、思わず笑ってしまう。
「神様って、職業なの?」
神様が職業っていうのは、ちょっと気が抜けていいなと思う。
職業なら、退職することもできるしね。
もしも適任者がいたら、その人に跡を譲って私は引退しようと笑う。
すると、ガニメデは私がなんで笑っているかわからずに沈黙した。
「責任者とか、艦長とかではないんだね」
「申し訳ありません。神官長より登録された人事登録表にそのように記載がありました」
確かに神官長じゃ、艦長とかは浮かばない単語だ。
笑っていると、モニターが切り替わる。
「すまん、更新記録があったので割り込ませてもらった。
トゥヤ、来い! フォンが見えたぞ!!」
興奮気味のカフド博士が画面の向こうで声を弾ませている。
部屋のモニターで見せてもらおうかと思ったけど、それも寂しいのでメインコントロールルームへ向かう。
部屋に入ると、みんな画面に食い入るように見ていた。
「見ろ! あれがフォンだ!」
全方向にモニターがあり、コックピットは浮いているような感じがする。その中に、計器類がたくさんついている。みんな普通にその中を歩いている。私はその景色に慣れなくて、宇宙空間が映し出されている中を歩くのは、未だにちょっとガラスの上を歩いているような気がして、怖い。
その正面のメインモニターには、三日月のような星が映っていた。
その星に寄り添うように、銀色の小さな衛星。
その星の姿を見て、私は驚いた。
あの青い星、あれは……。
「博士、フォンって色は灰褐色じゃないの?」
思わず、メインモニターに駆け寄った。
「ホログラムはずいぶん前の天体の様子だったからな。更新もされていないだろうし」
カフド博士に言われて、その可能性があったことを初めて思った。
遠く離れたキ・ラウ星系のズノ星人が太陽系の中の星を正確に把握出来ていなくても、不思議ではない。
「エンジンはメインエンジンに切り替え終了、この船は、およそ110日後にフォンにたどり着く。誤差は10日以内だ」
力強く博士が言う。
「あれは……」
暗闇の中、色とりどりの星が浮かぶ中に、青色の半月。白い渦模様の雲がおぼろげに見える。
私は、あの星を知っている。
あれは、もしかしたら……そんな気持ちを抑えた。
宇宙空間から眺めた青い星。近づくにつれて、その姿が明るみになるたびに胸が痛くなった。
だって、この青い星を知っている。
星の回りをめぐる銀色の月も、星の向こうから見える太陽も知っている。
近づくたびに焦燥感に駆られる。
この星は、この星は……地球だ。
「博士、あの星は地球っていうの。
多分、私の生まれ故郷だよ」
私の生まれた星、地球。太陽系にたった一つだけの生物を育む星。
青い空、青い海、そして悠久の緑の大地。
ここは、地球?
在りし日を過ごした地球に、帰ってきたの?
私、帰ることができたの?
じゃあここは二十一世紀の現代?
驚きが私の中に色々な疑問を呼び起こさせた。21世紀に彼らを連れて日本人の女子高生が帰ってきたなんて言ったら、地球の人はみんな驚く。それはそれで、面白いかもしれない。メインエンジンの動力である核融合パルスエンジンを見たら、現代科学者は喜び勇むだろうし、竜人の風貌を見たらそれこそ宇宙人の襲来だと思うだろう。
それはそれで、一介の女子高生が宇宙人を引き連れて宇宙船から降りてきたら、それはそれで滑稽かもしれない、と漠然と考える。
けど……。
博士が説明してくれた地球の様子は私の知っている地球の様子とは全然違った。
人が、いない。
それに地球上に大陸が一つしか存在しないらしい。一か所に大きな大陸が一つあるだけだという。周りはすべて海だそうだ。
そんな地球を、私は知らない。
大気の組成は、窒素と水素と酸素だと教えてもらった。
そして海がある。
それが人類が生存していける条件だと教えてもらった。
そして、110日後私たちはその星に降り立った。
ゲートが開く。
一歩その地に降り立った瞬間、胸の奥がざわざわとした。
その地は、私の知らない植物が生い茂っていた。そして、見たことのない動物たちが我が物顔で闊歩している。
文明の痕跡なんてない、まるで原始の世界。
だけど、この星の匂いを知っている。
この星の空気が肌にまとわりつく感じを知っている。
私の五感のすべてが、この星を地球だと言っていた。
――ここは、きっと地球だ。
だけど、年代が違う。
はるか古代の人類が生まれる前か、はたまたはるか未来の人類が滅び、生命が新たな進化を迎えた後か――
ああ、私は地球に帰ってきたんだ……。
懐かしいその空気を、胸いっぱいに吸い込んだ。
私たちはこれから、この星で生きていくんだ――。




