第四十六話
今日から礼拝を行うとのことで、真っ白い衣装を着せられている。
侍巫女達が麻のワンピースの上に、銀糸の刺繍が施されたこちらで言うと絹のような光沢のある布で作った上着を持ってきた。それを着るとさらにその上に銀糸の同じ刺繍のあるガウンを羽織らされた。
……重い……。
どうやらこれが、ケペリ・ラーの正装らしい。その上にマントも羽織るんだから、ほんとに重い。誰か石油でナイロンとかポリエステルとか作ってくれ~。
博士たちに期待……、無理だろうけど……ここ石油ないし。
午前中は神殿の礼拝所で、午後はパルムールを行幸して直接説法を施すらしい。
私の護衛はサイスさんがしてくれることになった。もともとサイスさんは神殿の警護の責任者だから当たり前らしい。今神殿で一番偉いのは、一応私――ってことらしいから。
象徴として――だけどね。
神殿の中のもろもろのことは分からないし。
私は客寄せパンダみたいなものだ。
礼拝所に姿を現すと、私の方が圧倒された。
礼拝所の中は椅子が設置されている屋根のある部分と、広場になっている後方部とあるんだけど、その広い空間一杯に人がひしめいていた。
なにこれ!?
しかも、私が姿を現すと、一斉に「ケペリ・ラー!」と声が上がった。
みんな跪いて祈るようにして手を合わせている。
「ケペリ・ラーのお出ましだ!!」
皆が口々に呼び、歓声が上がる。その浮かされたような熱に眩暈がしそうだった。
びっくりしていることを顔に出さずに、精一杯威厳があるように歩いてみる。
速足はいけない。なるべくゆっくり。
口角を上げて微笑み気味に。
声をかけられたらにっこり微笑んで、直接言葉をかけない。
これ全部、イゾルさんに教えられた妾妃の心得です。
今、ものっそい役に立ってます。
祭壇の前に進み、聖水をレリーフに人差し指でかけると、ひしめいてる人々の方を向いた。
精一杯の威厳というやつで、なるべく全員の顔を見回すように礼拝所の中を見据えた。
「――天の星は地上に落ちた。
地において、大地は嘆き震う。
これはまだまだ始まりにすぎぬ。
さらなる厄災が地に満ちるとき
空から巨大な星がやってきて、ケペリに大きな苦しみを与える。
人々はその苦しみから逃れる術はない。
しかし、私はそれを知る。
苦しみから逃れるために船に乗りなさい。
船はケペリの痛みから民を解放する。
船の行く道は困難を極めるが、新たな行く手となるだろう――」
私が言葉を発すると、その場が静まり返った。一言も逃すまいというように、皆が一斉に耳を傾ける。私は少しでも聞きやすいようにと声を張り上げる。発した声は、礼拝所の壁に反響するように響き渡った。
控えてる神官たちが、言葉の最後に錫杖を鳴らす。
真実を織り交ぜて予言する。
それを繰り返せば、人は信じる。
もしかしたら――そう思う心に火をつければいいのだから。
礼拝が終わると、人々が祭壇に手を伸ばす。
聖なる姿に一瞬でも触れたいという願いだ。私が祈りを捧げるようにひざを折ると、皆がため息交じりにその場に膝をついた。
「ここにいて、苦しみを逃れることはできないんですかい?」
必死な形相で、男が突然祭壇に向かって叫んだ。みんなの目が一斉にそちらを向く。それを確認して、ざわめきになるほんの少し前を捉えて、ゆっくりと目を開け、声のした方を見つめる。
「大地が嘆くときに、人々を憐れむだろうか。
星が降るときに、人々を憐れむだろうか。
人々を憐れむのは、私の役目――」
声を張り上げてから、そっと自分の胸に手を当てる。
すると、その男は口を開けて呆けたまま額の汗を拭って、頭を下げた。
「時が満ちれば、神殿が船へ導こう。
その時まで、身を清めなさい。
神殿はいつでも開かれましょう。
私の声が、皆に届くように――」
手を広げ空を仰ぐと、皆が手を伸ばした。
「ラー! ケペリ・ラー!!」と口々に叫ぶ。
神官の一人が「そろそろ」と耳打ちする。それを合図に、立ち上がった。神官たちの先導に従って祭壇を下りた時、礼拝所の向こうから悲鳴が聞こえた。
「何事!?」
神官達を見る。祭壇の横に控えていたサイスさんを見ると、彼はすぐに私の横に来た。
叫び声やざわめきが、遠くから波のようにこちらに近づいてくる。
礼拝所にいた民たちがその騒音に気が気でないように入口を気にしている。
「神官たち、民を先導しなさい」
何が起きたのかは分からないが、万一に備え、大扉ではない、脇の扉を解放した。戸惑いながら先導に従ってみな扉から外に出る。
ざわつきと何が起きたのかという好奇心とがないまぜになった空気が礼拝所の中を支配する。
それを打ち破るように入ってきたのは、兵士だった。
赤い制服を着ているのは、龍騎隊だ。しかも、王直属の証である一番隊だった。
「ギル!」
驚いた声を上げる。
だけど、それよりもっと驚いたのは、龍騎隊に続いて入ってきたその人だった。
「――!」
剣を手にして、大股で中に足を踏み入れる。
「王、お留まり下さい! 礼拝所には民が礼拝にやってきております!」
神官達が王の後ろで何とか引き留めようと右往左往していた。
サイスさんが私の横で、剣を抜こうとしている。カチンと鍔が当たる音がした。
「サイス、陛下の御前です。剣を抜いてはなりません」
片手で制すと、サイスさんは跪いて「は」と短く返事をした。
龍騎隊と一緒に礼拝所に入ってきたのは、武装した王様だった。
龍騎隊の正装赤い制服を着こんでいる。
違うのは、制服の刺繍だ。皆襟の縁取りは黒なのに、王様の縁取りは金色だった。
そして、司令官を現す竜の紋章が入っている。
――王様だ。
あの時、分かれてから初めて会う。
言葉も交わさないまま、別れてしまった。
あの時、必死で手を伸ばしていたのにそれを取りもしなかった。
つい、王様を見つめてしまう。
王様は後ろにいた神官達を軽くあしらうと、こちらを睨みつけた。
――!!
一瞬、殺されるかと思いました。殺気ってこういうことを言うんでしょうか。
あまりの鬼の形相で睨むので、のけ反りそうになりましたよ。
こー、こわっ!!
この人――
眼力で人、殺します――ってくらい怖いです……。
な、なんか、絶対怒ってますよ――これ……。
いや、怒ってるのは知ってるんだけど……尋常じゃないっす……。
ひ、冷や汗ものです……。
こんなに怖いのは、出会った当初ぶりぐらいです。
何ですかー、これ……。
冷や汗をかきながら、一生懸命呼吸を整えた。
「何事ですか!?」
せいぜい頑張って、イゾル(先生)の教えを守って、威厳のある風を作ってみた。
けど――。
ぎろっと睨まれて、えーっと、後ずさりたくなりました……。
怖いよー!!
「陛下、ケペリ・ラーに何用でしょうか?」
恐ろしくて固まっている私に助け船を出してくれたのは、サイスさんだった。陛下はサイスさんも睨みつけると、持っていた剣を両手で床に突き刺す。
がんっと大きな音を立てると、白い床に亀裂が入り、剣が突き刺さった。
ぎょえ――!!
こんなところで剣抜かないでよ――!
「用? 用だと!?」
低い、押し殺したような声だった。
「神殿が、この国の民を扇動して国の体制を乱そうとしている。
それを正しに来て、何が悪い?」
王様が吐き捨てるように言った。サイスさんを見据えて。
「わが妃をたぶらかし、神殿へ攫い、あまつさえ占いのようなことをさせている!」
王様の背後に、炎が見えるようでした。
怖いでーす。
「陛下、それは違います!」
駆けてきたのは、神官長だった。
「この方は神です。
この地に降りた神をとどめたいと思うのは、現世の王の当然の欲求かもしれません。
しかし、この方は我々民にとって救いをもたらす唯一のお方なのです。
現世での恋情は持ち得ないのです――」
王様の前に平伏しながら、神官長が言う。
え、ええ―――!!
私、恋情持っちゃだめなの?
っていうか、今まで恋愛脳で動いてましたけど……。
――あの日までは。
気持ちを落ち着けるように、一回深呼吸をした。そして、精一杯の威厳とやらを取り戻すようにまっすぐに顔を上げる。
王様に睨まれても負けないように。
こ、こ、こ怖いんですけどね。
「お鎮まりなさい」
そっと神官達に目くばせをする。
「現世の王の御前で、膝を折らぬのは何事ですか?」
静かに神官に語りかけると、神官たちは一瞬動きを止めて、こちらを見た。それから王様を見るとおずおずと膝を折り始めた。
皆が平伏する。
「ウラヌス・カーリよ、ここは聖なる神殿です。御無体はおやめください。
陛下、神殿は王に恭順いたします。王のお召があれば、すぐにでも参上して言を頂きましょうに、なぜこのようなことを」
神官達の前に、彼らをかばうようにして前に歩み出る。そして、王の前に片膝をついてみた。
だって、怖いんだもん。真正面に見るの――。
礼拝所の後ろでは、逃げ遅れた民たちがちょっと興味深そうにこちらを見ている。横に控えているサイスに、民はすべて出すように指示する。小さく頷いたサイスが、側にいた竜騎兵の一人に耳打ちした。
「恭順? 恭順だと!?」
王様の声が、怒りを含んで吐き捨てる様だった。床に刺さった剣を抜く。抜身の剣を片手で持ち、ふり払った。
ちょっと待った。絶対、それ使う気だよね?
腰に納めるつもりないよね??
ちょ、剣反対!
暴力はんたーい!!
剣をちらちらと横目で見ながら、王様の方を仰ぎ見る。心の中で、絶対それ使わないでよ……と思いながら。
「笑止なことを」
王様が人をぶしつけにじろじろ見る。
「神殿が余に恭順したことがあったか? なあ、神官長よ」
私の後ろを覗き込むように、王様が神官長をねめつける。その怒りの眼差しに神官長は顔を伏せたままだった。
「神殿が好き勝手をやるというのなら、こちらもそうさせていただこう。
金輪際、神殿は封鎖する。王命だ!」
王様の言葉に、神官たちが息を飲む音が聞こえる。
「王様!!」
思わず声を上げた。
えっと、こういう時は、どうすれば丸め込める?
ぎろりと再び睨まれて、蛇ににらまれた蛙のようにその場で動けなくなった。
怖いよー。もうほんとヤダ。
「現世の王を定めたのは誰だと心得ましょうか?
神の存在をその「王権」を甘受したあなたが疑うのですか?」
えーい、もうこれよ。
伝家の宝刀を抜いてやる!
「余がいつ、神殿の神託に頼ったことがあろうか?
武力でもぎ取れというのなら、甘んじて受けようが?
それとも神殿は、王に負けぬ武力を持つというか?
その細腕では、余の体一つ傷はつけられぬぞ?」
王様が剣先をこちらに向けて、傲岸不遜に笑ってみせる。
そりゃそうだ。
この人ほんと、実力主義だよね。知ってる。
えーん、もうほんとこの人コワくてヤダ。
って、みんな黙って顔伏せてないで、助けてよ――!
神官達はひたすら頭を下げている。そりゃ、礼を取りなさいとは言ったけど……。
いたいけな女の子に、こんな獰猛な獣を差し向けないでください……。
「――神殿は武力を持ちません。
力に頼らずとも、人々の心は神殿にありましょうぞ?」
「剣を使わずに、人を掌握すると?
それが扇動以外のなんとする?」
片腹痛いと付け加えて、背を向けた。
「ではあなたは民に、死ねとおっしゃるのですか!?
あなたの臣民が、地割れに呑まれ、火に呑まれ、一人残らず死んでいくのを、指を咥えて見ていろというのですか!?」
なんか、だんだん腹立ってきました。
こうなったらもう、やけです。
すると王様が振り返った。
「何だと!?」
そう言うが早いか、のど元にひんやりするものが当たった。
王様が持っていた剣を振りかぶって寸止めした。
ごくん、と一つ息を飲む。息を飲むときに、動いたのどが切っ先に軽く擦れた。
ちょ、ほんっとーに殺されますよ……これ。
やけっぱちになるのは、ちょっとやめとこうかな~、反省……。
ぞっと背筋を寒いものが走る。体中に鳥肌が立ったのは、初めてだった。
王様は燃えるような目をして、怒りをこちらにぶつけている。
「お前らは何を企んでいる!!」
その怒鳴り声に、あたりの空気が震える様だった。びりびりとした空気が、剣の切っ先に乗ってこちらにやってくる。
「企みなど、ありません。
われらは真実を紡ぐだけ。
過去も――現在も、そして――未来も――」
努めて冷静に答えた。心臓がバクバク鳴っているのも、心の中でコワーと思ってるのも悟られないようにしないといけない。
王はまだ知らない。大いなる災厄がなんなのか。
企んでいると思われても仕方ない。
「近々、神殿がご説明に上がります。それまではどうぞ――剣をお引きください」
頭を下げようと思ったけど、のどに当たる剣がそれを許さないことを悟った。
「――気に入らんな」
首を横に振りながら、王様が唸るように言う。
ちょ! バカバカ!! 何考えてるのよ! 首振ったら、剣がぶれる!! 刺さる、刺さる!!
一生懸命目で訴えると、王様は冷たい笑顔で私を見た。
「何が『神』だ。大そう着飾っても、中身は生身の女ではないか」
……ええ。まあ……、中身はこれですから……。
「着飾ったっていいじゃないですか!
これも威厳ってものです」
力強く言うと、王様が笑い出した。
「威厳!? その姿のどこに威厳がある?」
バカにするように、いや、バカにされてるんだけど……笑われている。
わざと大きな声を上げて、一通り笑うと、鼻を鳴らした。
そんなに笑うことないじゃない。
私だって、一生懸命やってるのに……。
そりゃ、王様みたいに堂々とはできないけど。
本当の神様にはなれないけど、だけど、私だって何かしようと思ってるのに。
「どうして、どうしてそうやっていつもバカにするんですか!?
私が頑張っちゃいけないんですか!?
もしも死ぬことが決まっている未来だったら、助けたいじゃないですか!
だから、私だって一生懸命やってるんです!!」
思わず、叫びだしていた。
叫んだら堪えていた涙が一気に溢れてきた。
あのね、たかだか十六歳の女の子がのど元に剣突きつけられたら、ほんと怖いんですよ。
今まで泣かなかったのを自分で褒めてあげたいくらいです。
「――なのに、笑うことないじゃないですか……」
嗚咽交じりで、聞き取れないくらい小さな声だったと思う。
「泣くな!」
凄味のある声で怒鳴られて、飛び上がりそうになった。
なんちゅう、無体なことを言う……。
「そなたが神だというのなら、涙などに頼るな!」
王様が、剣を下した。そして、両手を剣に乗せて体重を預ける。
威風堂々としたその姿に、気のようなものを見た。
これが、王である人の覇気なんだ。
この人にとって、私のやっていることなんてままごとみたいなものにしか映らないだろう。
だけど……。
悔しい。ここまで言われて何も言い返せない自分が悔しい。
真一文字に口を結び、こぶしで涙をぬぐった。
泣かない。
絶対に――
泣いてやるものか。
それが、私のプライド。
――一瞬だけ、王様の目元緩んだ気がした――。




