第四十二話
私は話が済んだ後、ウラヌス・ラーと一つだけ約束をして夜のうちにアジトの小屋に戻った。
翌日には神殿でウラヌス・ラーが、王が正統なる王だと宣言してくれるという言質を取ってきた事と、兵も貸してくれると伝えた。
ギル達は味方が増えたことを単純に喜んでくれた。これで大分希望が持てる。
その日の朝、とんとんと静かに叩かれた扉の音に、皆が声を静めた。そして、ギルともう一人の兵士が壁に張り付く。扉が開かれたときにのど元にナイフを突きつけられるように、咄嗟にナイフを構えている。
中から、ギルが扉を開ける。その隙に、もう一人の男がナイフを正面に掲げた。
「っと、済まぬ。今はやりあう気にはならん。中に入れてくれ」
聞き覚えのある声だった。皆が一斉に顔を見合わせる。
まさか……。
「……陛下」
ギルが間抜けな声を出す。
その場が一瞬静まった。
陛下……?
思わず、立ち上がった。
確かに、その声……。
入口の方へ足が自然に向かっていた。早く確かめたいと、気が焦る。焦れば焦るほど、足が震えて縺れてしまいそうになった。
「王様!!」
その姿を見て、視界が滲む。
私の声に、王様がこちらを見る。そして、ふっと微笑んだ。
「王様!!」
思わず駆け寄って、その胸にしがみついた。王様は受け止めると片手で私の頭を撫でた。
「……やっと会えた」
ずっとこらえていた何かが、心の中から溢れてくるように涙がこぼれる。
王様はぐっと抱きしめる腕に力を入れると、
「心配をかけたな」
と一言言った。
「よかった……。何ともなくてよかった」
「すまぬ。思わぬ不覚を取った」
「不覚……、不覚って!」
王様の胸にしがみつく。
「何、大したことない」
大したことないって、やっぱり何かあったんだ。
「何があったんですか!?」
「何でもないと言っている」
だんだんいらいらとしてきた王様は、遮るように人の唇を塞いだ。
突然、何するですか!!
かっとなって、王様の肩を掴むと、王様は一瞬体を固くして、うっと呻いた。
「……肩!?」
掴んだ方の左肩を見ると、マントが血に染まっている。
「なにこれ!?」
慌ててマントをめくると、そこには大量の血の跡があった。
「怪我!! 王様、怪我してる!」
「そうだ、だから、体力が回復するまで休んでいた。それだけだ」
そういうと、そっぽを向く。
「大丈夫なんですか?」
「もう治った」
王様が平然と言う。
そんな血を流すほどのけがが、すぐに治るわけがない。処置しないと、ばい菌が入るかもしれない。
「見せてください!」
そういうと、王様はしぶしぶ肩布をはいだ。むき出しになった左肩には、乾いた血と傷があった。ぼっこりと盛り上がった傷。
その傷を見て、首をかしげた。
何、これ?
剣――じゃない。突いたような傷でもないし、これ……やけどじゃないの?
盛り上がった皮膚が裂けて血が出ているみたいだけど、傷自体は、やけどみたいだった。
私の背中にもある、たばこを押し付けられた時の傷に似ていた。
「傷ついたが、一番隊を信頼していたでな、少し休んでいた。ということにしておけ」
王様はそれだけ言うと、すぐにギルに向き直った。
「今の状況はどうなっている!
戦況を報告せよ!!」
声を張り上げると、皆の生気が戻ってきた。
「は、陛下!」
すぐに王宮の地図が広げられる。ギルが兵士が詰めているところや、重要地点を説明していく。作戦がどんどんと立てられ、配備やその後の状況もあっという間に決まっていった。
すごい……。
さっきまで、兵力が足りないと嘆いていたギルの姿はそこになかった。王様にすべてを預けて、その作戦を心酔するように聞いている。そして、立てられた作戦を聞いて傾倒するように目を輝かせていた。
そしてその日の昼の三刻の時に、神殿は正統なる王位の持ち主をウラヌス・カーリだと宣言してくれた。それと同時に、王は龍騎隊一番隊を率いて、3番隊4番隊とともに王宮へ反乱軍の鎮圧に乗り出した。
もう、反乱軍には戦意はなかった。
ライ公爵もアッシェン殿下もあっという間に身柄を押さえらえれ、兵士たちは主だった将軍を除いて、投降する者には咎はなし、ということになり、一斉に兵たちが投降してきた。4番隊がその処理に当たり、一番隊は残兵の掃討に専念していた。
王様は私を伴って王宮入りをする。もちろん、危ないことは何もないというのをわかった上でだ。
王様は広間においてある玉座に座る。当たり前だけど、ここに座るのは国主だけだ。
「あのう、王様……」
えっと……。
このシチュエーション、これ如何に??
私、王様に腰を抱かれておりまして……王様は人の首筋に唇を当てている。玉座の肘掛の上にちょこんと座らされた私は、王様との羞恥プレイに励んでます……。
いや、私が励んでるわけじゃないんだけど!!
「なんだ?」
普通に言うので驚きものなんですが……。
「皆さんが働いているときは、止めたらいかがでしょうか……?」
ちょ~っと、恥ずかしいんですけど?
「駄目だ」
即答された。
はい?
「三日も離れていたのだ。抱かせろ」
そのセリフにぶほっと咽る。
「い、いきなり何言ってんすか……!?」
すると王様はにやりと笑う。
「そういう方ではないが――それでも構わんぞ」
意地悪そうに笑うと、首筋を舐められた。
ひょ、ひょえ―――!!
や、止めて~!
「ほんっと変わらないんですね……。とりあえず、保守派の皆さんはどうするんですか?」
「イダンナスは処刑。アッシェンは島流し。有力貴族のうち位の高いものは処刑。伯爵以下は刑期を付けて処分だな」
唇を吸う音を響かせて、王様は人の首筋を撫でる。
「……ん、で、後宮は……?」
ごらあ!! ちゃんと聞けや、こら!!
と怒鳴りたい気持ちを押さえて、王様に身を任せる。体を固くして、されるがままになっている私を見て、王様がまじまじと人の顔を見る。
「……素直だな」
「一応。王様見つかってよかったねキャンペーン中なんで、私の中で」
「何だ、それは?」
「なんとなくです」
まあ突っ込まないでください。説明するの面倒なんで。
「正妃候補、側妃と室妃の半分は間違いなく追放することになるな。残りの革新派の娘たちも、途中で反乱軍に寝返ったものは、追放する」
そっか。確かに、革新派がもっとしっかりしてればここまで泥沼化することなかっただろうしね。
「それに伴い、後宮を一新する。そなたも心せよ」
王様が微笑む。私もつられて笑った。
だけど、本当はそんな日が来ないのを知っていた。
だって、三日後……私は神様になるから……。
ギルに呼ばれて、王様は名残惜しそうに離れていく。人の頭を犬みたいにぐりッと一回撫でると、王様はふっと笑って歩いて行った。
「トゥヤ様!」
後宮に戻ると、イゾルとシャナヤが出迎えてくれた。
「イゾル! シャナヤ!」
二人に駆け寄って、胸の中に飛び込む。
「よかった、何ともなかったんだ」
実は心配していた。妾妃付きの二人がひどい目に合うんじゃないかと気が気じゃなかった。
「お帰りなさいませ、トゥヤ様」
イゾルとシャナヤが笑った。
二人の話によると、イコも無事らしい。三人はこの三日間、いつもと同じように過ごした。もちろん、あたりは慌ただしいし、軟禁状態ではあったらしいが逆らわなければ特に無体な事もされなかったという。とりあえず、よかった。
「トゥヤ様がご城下へ降りられて間もなくでしたので、本当に心配しました。ご無事で何よりです」
イゾルの目頭に涙が滲む。私はみんなを安心させるように、笑ってみせた。
「私の方は、護衛の人たちが何とかしてくれたから大丈夫だったの」
「左様ですか。本当によかった……」
イゾルが目頭を押さえる。それを見ていたら自分の目にもうっすら涙がにじんだ。
「それにしても、恐ろしい事件でした。間もなく即位の大祭だというのに……。それが済めば、陛下の戴冠式でございますね」
イゾルが私の身の回りの世話をしながら言う。考えてみたら、ずっと着たきり雀だったし、お風呂も入っていなかった。着替えの準備をしてもらい、お風呂に入れてもらって、今は部屋で落ち着いている。
――即位の大祭。
そっか、そのあと王様の戴冠式なのか。
「王様、きっと立派だろうね」
笑いながら言うと、イゾルが満足そうに答える。
「それはもう。陛下はその御姿も、凛々しくいらっしゃいますから」
――そうだね。私にはもったいないほどいい王様だよ。
王様の戴冠式の姿を想像してみた。けど、戴冠式の時の格好が思い浮かばなくて苦笑する。
「トゥヤ様も新しい衣装をご用意いたしませねばなりませんね。即位の大祭と、戴冠式用の」
急にうきうきと弾んだ声になる。
「ええ! もったいないからいらないよ。そんなの」
「そうはいきません。今や、ご妾妃トゥヤ様といえば、国の大難を救った唯一の妃と言われているんですよ。それ相応のお支度をいたしませんと」
イゾルが気負っている。それを見ながら私は手持無沙汰で、仕舞ってあったアクセサリーの箱を開けたり閉めたりしていた。
中には一つ、紫水晶のブローチが入っていた。
これ、これだけ……持って行ってもいいかな。
初めてくれた、アクセサリーだったから。指輪とか、腕輪とか、髪飾りとか、そういうのじゃなくてブローチだったから。ずっと身につけていられる。
「即位の大祭もあと三日ですし、あとは何事もなく恙なく大祭を終えて、その後の戴冠式に備えるだけですね」
その光景を信じきっているイゾルの笑顔が眩しくて、まっすぐ見ていられなかった。
ごめんなさい――私、みんなに嘘をついています――。
その日の夜、今日の分の事後処理を終えた王様が部屋に入ってきた。王様は何も言わず、私をベッドへ誘導する。王様の視線がなまめかしくて、どきりとする。
王様が、無言だった。
何も言わずにただ、私を腕の中に閉じ込める。そのたくましい胸、白い肌、肩に流れる白銀の髪、そして私を見つめる緑色の瞳。その全てを、心の中で覚えておきたかった。
「王様、ダメです」
夜の闇の中、寝室の窓の玻璃から淡い小さな月が見える。月の明かりは弱く、星が瞬いている。昨日まで降り注いでいた不気味な流星は、今日はすっかり姿を消していた。
「何が、ダメだ?」
少し声を潜めた、くぐもった声が耳に心地いい。
「王様の姿を、もっと見ていたいから」
私の言葉に、王様が笑う。
「何だ、それは。抱かれながら、目を開けていればよかろう?」
王様が何気なく言う言葉に、きっと私は真っ赤になってる。
「初めてなので……できません。そんなこと」
むっと眉を顰めて言い返すと、王様は声を出して笑う。だけど直に笑いを引っ込めて、真顔になった。小さな月の明かりで、王様の顔がいつもよりも白く感じられる。
「誰もいない部屋の中で、そなたの肌を夢に見た。ここで果てるなら、最後に抱いておけばよかったと」
……なんてことを考えるのですか!?
でも、王様は健全な男の人で……。
私も一応はそういうことのできる女で……。とすると、まあそういうことになりますよね。
でも、ゆっくり首を横に振る。
「私、まだそういうことする覚悟ができていないし……」
それに、一度そういうことをしてしまったら、離れられなくなる。
――だから。
「もしも、私にその覚悟ができたら、どうか、その時は――抱いてください……」
ことんと頭を下げると、王様はゆっくりとほほ笑んだ。そして、私の頭に手を乗せる。
「無理強いはしない。本当なら抱いてしまっても構わないのだが、嫌われたくはない」
持ち札全部使っているという悔しそうな顔をして言う王様の横顔が何だかかわいく見えて、つい笑んでしまった。
「これだけは、許せ」
王様が私の両手首をつかみ、そっと口づけをする。
軽い、甘い、口づけだった。長く、お互いの唇が触れている。王様の少し冷たい唇が熱くなった頬を溶かしていくようで不思議な気分だった。
――こんなに誰かを好きになるなんて。
私に嫌われたくないと言ってくれる王様の気持ちが、嬉しい――
暖かい時間だったのに、涙が零れた。




