石牢
部屋に閉じ込められ、丸二日が経った。傷の疼きはどうにか納まり、ようやく肩を上げられるようになった。
――そろそろか。
首を回すと、骨が鳴った。
もう二日、ここに留まってやった。何か情報が得られるかと思ったが、そんなに甘くはなかった。体力が回復するまでは大人しく捕まっていてやろうかと思ったが、飽きてきたのでそろそろここを出る手はずを整えなければなるまい。
壁は石造りで頑丈だ。剣があれば石の継ぎ目を剣先で突き崩そうかと考えたのだが、もちろん腰の剣はなくなっていた。
ならば、蹴破るか。
錠の付けられた木戸を足蹴にしてみる。かなり固い材木を使っているようだ。錠も頑丈だった。
蹴破るには、容易くはないか? 音を立てれば見張りがやってくるだろうし、厄介だな。
考え込んでいると、木戸が開いた。
顔を上げると、目の前にいたサイスがクッと笑う。
「そんなに恐ろしい顔をされては……楽しい話ができなくなってしまいます」
サイスを睨みつけると、飄々と奴は一人で話を続けた。
「お待たせいたしました。陛下におかれましては、傷も治りまして、善きことでございます」
「こんなところに閉じ込めて、他にすることもなければ、傷は自然と治癒するな」
むっと顔を顰めて腕を組む。
「左様でございますね。何よりでございます」
きれいな笑顔を張り付けて、奴が両手を広げて笑う。
いやな奴だ――。
ため息を漏らす。するとそれを耳ざとく聞きつけて、奴は笑う。
サイスが一歩余に近づいてくる。こちらの攻撃範囲に入った隙を取り、サイスの首に右手をかけ、左手で奴の体を壁に押し付けた。首を絞めている右手に力を込める。サイスはクッと喉の奥を鳴らす。いかに軍人とはいえ、急所を鍛えることはできない。咽頭隆起を突けば、呼吸困難になる。
「なぜ、お前は私を匿った? 保守派の人間ならば、ライ家に引き渡せばいい。フィナとの約束を守るため? それがお前にとって何のメリットになる? お前の真の雇い主は誰だ!!」
腕を離すと、サイスは喉を押さえて咽た。ググッとくぐもった声を出す。
「言え」
静かに言うと、座り込んだサイスが頭を上げる。
「敵いませんね。私も軍人だというのに……。
ライ家の密偵でも、私は構わなかったのですが」
「まだまだ鍛え足らぬな。竜騎兵長ともあろうものが、無様な。龍騎隊ならば、鍛えなおしてやるところだが……」
「御免こうむります。陛下の武勇は承知しておりますから。命がいくつあっても足りませんよ」
サイスは喉を押さえながら苦笑してみせた。
「神殿が本日、正統なる王権はウラヌス・カーリにあると宣言いたします。それで、反乱は終わりです。陛下の身柄が正規軍に戻り、神殿が正統なる王を認めれば、どうあってもイダンナス公やアッシェン殿下には正当性がありませんから」
「正当性――? そんなもの、初めからあるまい」
「いえいえ、陛下は竜人と猿人が交わることを禁じた十戒に反しておられます。トゥヤ様は、どう見ても猿人でいらっしゃいます」
「猿人とは目の色は青、髪の色は金色ではなかったか? 余はそれ以外の色を持つ猿人を見たことはない。従って、あれは猿人ではない」
「それは詭弁でございましょう」
「もちろん。神殿の鼻を明かしてやりたかっただけだ。構わぬ」
するとサイスがため息を吐く。
「素直でございますね」
「嘘をつく必要はあるまい」
苦笑してみせると、サイスもつられたように笑ってみせた。
「――それにしても、なぜ余を匿った?」
「……雇い主の意向です」
食えない顔で奴はこちらを見ずに呟いた。のどの痛みは完全に引いていないようで、言葉を発するときにまた喉を押さえていた。
「神殿が宣言する前に余の首を落としていれば、イダンナスには有利だったぞ」
「確かに、そうですね。しかし、陛下の首を落とされると少し困ったことになりましてね」
サイスはぽんぽんと服の埃を払うと、立ち上がった。
「というわけで聖王陛下、御身を安全な場所までお送りいたします。どうぞ、こちらへ」
さっきとは打って変わって、サイスは竜騎兵長の顔立ちになった。扉を指すと、扉が開かれた。
「……フィナのところへ返すつもりなのか?」
静かに尋ねると、サイスは「いいえ」と返事をした。
「王宮はまだ、反乱軍が占拠しております。陛下が姿を現せば危険です。今、この状況の中で一番安全な場所は神殿です」
サイスが礼を取る。
神殿か……。
あの忌まわしい白い建物に用はないが……。
「ウラヌス・ラーもご心配されております」
サイスが痛ましいものを見るような目つきに代わる。
「アシュリアーナ――か……」
「はい。あのお方は陛下の行方が分からない間、ずっと神に祈っておりました。
陛下のご無事を」
「……そうか」
己のことなど、もう捨て置けばいいものを。苦笑せざるを得ない。
手を離したのは、お前の方ではなかったのか、アシュリアーナ……。
「ウラヌス・ラーとは即位の大祭まで会えぬことになっておる。規律を破っていいのか、竜騎兵長」
「今は、火急の事態ですから。神官団もお認めになりました」
そういう事か、とようやく分かった。
サイス・カラル・テズ、この男は保守派の連絡役だったはずだ。そのためにフィナのご機嫌伺いと称して、後宮に出入りしていた。
そのたくらみを知った神殿は、表だって政治に介入できないので、竜騎兵長を通して、ほとぼりが冷めるまで余を匿ったということか。
そして、どうしようもなくなったところで、神殿が王権の正当性を宣言し、神殿の威厳を取り戻すという筋書きだろう。
この竜騎兵長はウラヌス・ラーに忠誠を誓っているという。
あのアシュリアーナのことだ。このようなことになったら心を痛め、サイスに頼ったのだろう。
余を助けてほしい――と。
アシュリアーナと別れた日のことを思い出す。
あの日、余と行かないと言ったのは、アシュリアーナの方だ。
この国の禁忌を犯してはならないと。
それなのに、余のために神殿の規律を破るというのか……。
それが、即位の大祭を控えた最後の憐みだというのか……。
アシュリアーナ……。
「サイス、余は神殿へは行かぬ」
そうだ。神殿を巻き込むわけにはいかない。
アシュリアーナがそのつもりならば、なおさら巻き込むわけにはいかない。
「陛下!!」
咎めるような声を一つ上げる。
それでも余が従わないことを悟ると、サイスは一つため息を落とした。
「神殿へは行かぬ。余は龍騎隊に合流する。
それで、終いだ」
それだけ告げると、マントを翻した。布が空気を含む音が広がり、余は歩き出した。




