第四十一話
状況は、正規軍にあまりにも不利だった。
その中で、とうとう市外にも戦火が広がる。
反乱軍は、自分たちを非難する市民たちを粛清し始めた。
特に的になったのは、避難小屋だった。
「ギル! もう私、ここで待ってはいられない。何もできなくても、行くよ」
避難小屋は、地震で行く宛のない人たちの収容所なのに。
それを、燃やすなんて……。
「なりません! トゥヤ様!!」
ギルに制止される。
「あなた様は、その瞳と髪の色で何者かがすぐにわかってしまいます。
今あなた様にいなくなられては、国が乗っ取られてしまうのです!!」
必死に木戸の前に立ちふさがるギルの姿に、悔しさを押さえられなくて、胸を叩いた。
「私は、ここで毎日誰かが死んだとか、怪我したとか、聞きたくない!!」
ギルに叫んだ。
「私は昨日も今日も、あなた達を死ぬかもしれない場所にやって、自分一人でのうのうとしているんだよ! そんなの嫌だ!!
私だって、王様が心配だし、みんなが心配だし……」
ギルの胸を叩き続ける。
ギルは困ったように口を曲げると、黙って目を閉じた。
私は駄々をこねる子どものように首を振って胸を叩いた。ギルは押しとどめるようにその腕を掴むと、頭を下げた。
「申し訳ありません。
ですが、ですが、どうかお留まりを。
私たちは、上に担ぐ方がおられなければ簡単に瓦解してしまうのです。
今回の反乱も、たった一人、聖王という存在が居られないだけで、こんなにも国がもろく崩れるのです!
どうか、どうかお留まりを!!」
ギルの吐き出すような叫びに私は動きを止めた。
人は、国は、こんなにも脆い……。
王という存在がどんなにこの国の要となっていたのだろうか。
権威という存在は、人に忠誠を誓わせる。
それを体現する主のためならば、人はどんなことでもやってのける。
それが権威というものだ。
王様は、ずっと一人でこの国の要を支え続けていたんだ。
その存在ただ一つで……。
王様――!!
「……私は、権威にはなれない。
王様が大事にしたこの国を、人々を殺したくない。
私の命令ひとつで、人を死なせる覚悟なんて、ない!!」
吐き出すように、叫んだ……。
誰も、目の前で辛い思いをしてほしくない。
死んでなんてほしくない。
痛い思いをするのは、嫌なことだから。
私はそれを知っているのに――人に死ねと送り出している――!
すべてが闇の中に沈んだような気分だった。
私は誰かに救い出してほしかった。
「人が死んでは、いけない。助かる命なら、すべて助けたい……」
呟くように言うと、膝が崩れた。
「……神殿へ」
床に座り込んだまま、ぽつりと呟いた。
「王権を授けたのが、神なら、それを神子に信託してもらえばいいんじゃないの?
正当な王はウラヌス・カーリの方ですって。アッシェン殿下ではないって。
そうすれば、人々はそれに従う……」
「なりません! 先日申し上げました。神殿は、世俗のことに口を出してはならないという規律があるのです。それを破ることは、決していたしますまい!!」
「だって!!」
ギルの声を遮る。
「王様の行方が分からないのよ……?
そして、私たちの兵力も足りない」
膝を崩したまま、床を見つめる。
「そうよ。兵が足りないなら、神殿から兵を借りればいい」
神殿が認める正統な王のために、兵を貸す。大義名分があれば神殿は動いてくれるんじゃないの?
ウラヌス・ラーの肝いりならば、反乱軍も矛を収めなければならない。
だったら……。
やってみる価値はある。
私は反対するギル達に頭を下げて、なるべく身なりのわからない服を用意してもらった。ぼろいマントを目深にかぶり、髪の毛も瞳も見えずらいようにした。
そして、反乱から二日目の闇夜に乗じて、そっと小屋を後にした。
城下は相変わらず兵士たちが行き来していたけれど、この彗星に驚いてあまり派手なことをしなくなっていた。王宮の横を抜ける街道を目立たないように歩いていく。幸い露店の一家が避難小屋に帰るところだというから一緒に付いていった。
避難小屋を見て、愕然とした。
燃やされたとは聞いていたけど……すぐに建てられるようにと木で作った小屋は全焼して焼け崩れていた。その横で、屋根もないところでみんな布を敷いて座ったり、横になっていた。
人は、誰かに従えばこんなに残酷になれる……。
人を人とも思わない……そんなふうに振る舞うことも簡単にできる。
身分とか、権威とか、そういうものを振りかざして人を従わせる。
そういう生き物だから……。
神殿に付くと、門番にサイスさんを呼んでもらうように頼んだ。本当なら、顔パスで入ることはできる。だけど、呼んでもらったのには訳がある。
「トゥヤ!」
神殿の中から、サイスさんが駆けてきた。私の顔を見ると、ほっとしたように笑顔になり、私の前に立った。
「心配していたんだ……王宮で――」
言い淀んだサイスさんは私を見下ろす。
「私は大丈夫……だけど、王様が……」
知った顔を見て、涙腺が緩んだ。言葉に出したら、涙が溢れて止まらなくなった。
「……そうか」
サイスさんは声を落とし、顔を歪めた。
「陛下の行方が知れないと、伺った。心配だな……」
サイスさんも辛い顔をして、慰めるように私の頭を左腕で包むようにすると、自分の胸に押し付けた。
「ずっと心配していたんだろう。
一人で抱えなくていい。泣いていいんだ……。私が受け止める」
サイスさんが優しく言うから、思わず甘えて泣き出してしまった。
一通り泣き終わった私は、布で涙をぬぐいながら、サイスさんを見つめた。
「ごめんなさい。つい、甘えちゃって……」
泣きすぎてまだ鼻の奥がツンとしている。
「いいんだ。それより、何かあったのか?」
サイスさんの言葉に、頷く。
それから顔を見上げると、真剣に見つめた。
「今日は、妾妃トゥヤとして神殿へ伺いました。
正式な面会を申し込みます。ウラヌス・ラーにお取次ぎを」
こんな時に、何ていうかも知らなくて……イゾルに怒られるな、と苦笑する。
三人とも、無事でいればいいけど……。
私が真顔だったから、サイスさんも真顔になって頷く。
左手の手のひらを前に掲げ、一礼してから私に向き直った。
「畏まりました。ただいまお取次ぎいたします。
どうぞ、こちらへ」
正式な礼を取り、サイスさんが中へ促す。
ここで待っているようにと応接間みたいなところに通されて、その長椅子に座った。
しばらくしてから現れたのは、ウラヌス・ラーだった。
「トゥヤ様! ご無事でしたか!?」
ウラヌス・ラーが足早にこちらに駆けてくる。カツン、カツンと言う錫杖を石の床に衝く音が周囲に響く。
ウラヌス・ラーは私の正面に立つと、私の姿を見てほっとしたように微笑んで見せた。
「恐ろしい思いをいたしましたでしょう? ご無事で何よりです……」
ウラヌス・ラーの声が優しくて、さっき散々泣いたのにまた鼻の奥が痛くなって、涙が出ないように一生懸命こらえた。
「私は大丈夫です。――それより!!」
ウラヌス・ラーの幼馴染が王様なら、心配していることだろう。
「お聞き及びだとは思うのですが、ウラヌス・カーリが行方不明です……」
口に出したら、震えてきた。
ウラヌス・ラーは眉を顰め、視線を落とす。
「聞いております。ウラヌス・カーリのことは。トゥヤ様も、さぞご心配でしょう……」
「はい。心配なんです。だから、ウラヌス・ラーにお願いがあってきました」
私は顔を上げた。
威厳だとか、妾妃らしい振舞いとか、そんなのわからない。
だけど、私は私の生き方で培ってきた一番大事な礼を取る。
まっすぐウラヌス・ラーを見据えて。
「お願いします。神託を下さい。
陛下の王位はケペリに認められた正式な王位だと神殿が宣言してくだされば、ウラヌス・カーリの王位の優位性は揺るぎません。
一言、神殿からの言葉があれば、保守派の勢いをくじくことができるんです。
だから――お願いします」
言い終わって、ばっと頭を下げる。
「お願いします!!」
なりふりなんて構っていられない。土下座したって構わない。
ここで神殿の言質があれば、保守派のやっていることは何の正当性を持たなくなる。
一生懸命頭を下げた。
すると、頭上からウラヌス・ラーのため息が一つ、聞こえてきた。
「トゥヤ様、頭を上げてください」
静かにウラヌス・ラーに言われる。
「トゥヤ様……」
それでも頭を上げない私に、ウラヌス・ラーはもう一声かけた。
しぶしぶ頭を上げると、ウラヌス・ラーは困ったように唇に指を当てて考えるような仕草をする。
「トゥヤ様……神託と言うのは、辻占とは違うのです。
自分の見たい未来を神託として与えられるわけではございません」
きっぱりとウラヌス・ラーが言い切る。
「だって、王様がいなかったらこの国は瓦解していく……!!」
ウラヌス・ラーが首を横に振る。
「神託を行って、もしもアッシェン殿下の方が是と出たら、
トゥヤ様はいかがいたしますか?」
静かなウラヌス・ラーの声だった。
アッシェン殿下の方が、是……?
何を言っているの?
ウラヌス・ラーの言っていることが分からない。
そんな未来、いらない……。
「――神殿は、王様を切るというの?
国の命運がかかっているときに、神託ができないの……?
だったら、こんな大事な時に神託ができない神様なんて、
自国の王を簡単に切り捨てるような神様なんて、いらない!!」
思わず、叫んでいた。
しん――と部屋の中が静まり返る。
一歩、ウラヌス・ラーが近づいた。ウラヌス・ラーの青い瞳が、滲んで見える。
「……だから、あなたが神となればよいのです。
そうすれば、神殿は全てあなたに従いましょう」
ウラヌス・ラーの言葉は周りの白石に反響して、何倍も大きく聞こえた。
ウラヌス・ラーが、まっすぐに私を見つめる。真剣な眼差しだった。
その言葉に、視界が一斉にクリアになるような気がした。かすかに揺れるウラヌス・ラーのまつ毛の先に、覚悟を見た気がした。
私が、神に……?
神は誰も救わない。
目に見える救いなど、誰の上にも落ちてこない。
だったら――。
「あなたが神となり、王に王権を授ければよいのです。そうすれば、民は皆従いましょう」
ウラヌス・ラーが続ける。
私が……。
みんなに信じさせるの? 私が神だって?
そんなの、茶番だ。
そんなこと分かってる。
だけど。
――ああ、王様! 助けて!!
手を伸ばして助けを求めたくても、掴むのは空ばかりで何もない。
それでも、一生懸命に手を伸ばしてくる人たちに、私は、私を信じろと言うの……?
人を信じさせる――それは犯してはならない罪ではないの――
私に、そんなことができるの?
「……ひとつ教えて。
私がはいと言えば、王様を助けるために手を貸してくれるの?」
すると、ウラヌス・ラーは表情を変えずに頷いた。
「もちろんでございます。
神殿の存在は、ひとえに神のためだけに存在いたします」
ウラヌス・ラーが床に跪いた。
唇を噛み締める。
王様を助けるためにはこれしか、道がない。
だから……。
――私は、神になる。
跪くウラヌス・ラーの手を、そっと取った。




