神子の想い
中央に置かれている円卓は白い大理石で出来ていた。その傍らに置かれているのはやはり白い大理石の椅子。 そこに座っているのは、真っ白い衣装を着た女性だった。
まっすぐに伸びた金色の髪と、象牙のような滑らかな肌に、伏せられたまつ毛から見える青い宝玉のような瞳だけで、十分に神々しく美しかった。
「とうとう、神子に……」
部屋の片隅に控えていた年長の侍女がこらえられずに涙を一つ白い床に落とす。
この真白な部屋の中に、何よりも美しいものとして部屋に鎮座している。
先王が死んだのは、つい十日ほど前。
先王が死ぬと、翌日には新しい王が即位する。そして新王が即位すると、先代王家の直系が神子となる。
「建国以来のしきたりとはいえ、なんとむごいことでしょう。あたら美しい、わが姫様がいずれ神々の花嫁になられるとは……」
一言発すれば、神への恨み言が口をついてくる。
年長の侍女は、その女性が生まれた時から身の回りの世話をしているのだ。まるで自分の子どものように思うこともあった。
「ばあや、嘆くのはおやめ。猿王家に生まれたからには、この日が来るのは分かっていたのですから」
自分の出自を嘆いたことはない。それが、王家に生まれたものの宿命だからだ。何代もの先祖がそれを繰り返していた。自分だけが嫌だとわがままを言っても、詮無いことだ。
どんと鈍い音が響き、大きな扉が開かれた。白い部屋の静寂を破り、大きな足音を立てて性急に部屋に入ってきたのは、銀色の髪の男だった。
中央の椅子に座っている女の姿を捉えると、その片腕を無造作に掴んだ。
少女の簪が、しゃらしゃらと流れるような大きな不協和音を立てる。
「アシュラム!!」
女が男の名前を叱咤するように短く叫ぶ。
「アシュリアーナ、お前が望むなら、俺がここからお前を連れだしてやる!」
その言葉に、アシュリアーナは一瞬目を見開き、すぐに床に視線を落とす。
そして、小さく首を横に振った。
「王が死んだその日に、私たちの運命は決まっていたでしょう……」
小さく呟くその言葉に、アシュラムが固く目を閉じた。
男は王に。女は神子に。
ともに王家に生まれた者同士だ。その結末は、生まれた時からわかっていた。
どんなに愛情があっても受け入れられないのは、お互い百も承知だ。だから、封印していたのだ。
お互いの、想いに……。
「私はお前が好きだ! それでも受け入れてはくれないのか……!」
アシュラムの叫びに、アシュリアーナは首を横に振ることしかできない。
この星ケペリ・ラーの最大国ケペル王国には二つの王家がある。
一つは龍族の長である竜王家。
もう一つは猿族の長である猿王家。
二つの王家は交互に王を選出する。
先日亡くなった王は猿王家の当主であり、アシュリアーナの父だった。
そして、次に立った王が竜王家の当主であるアシュラムである。
このように、二つの王家から交互に王を選出するのである。
そして、王が交代すると、同時に大神官も退位する。そして、それまで王を戴いていた種族から大神官を出すのである。
したがって、猿王家の当主が王の時は竜王家から大神官を出し、竜王家が王を輩出したときには、猿王家から大神官を出すことになるのである。
大神官になるには、九十日間の禊を終えなければならない。
禊が終わり、即位の大祭が終わるまでは大神官になる王女は神子と呼ばれる。
大神官が女性であるのは、神の花嫁だからである。禊が神との婚姻の誓いに当たり、それが過ぎると神の花嫁となって、神の力を得るのである。
したがって神子となるのは、大抵が独身の王女だった。
猿王の融和策で、猿王家と竜王家は交流があった。同じ王宮に暮らし、年も近いことから一緒に遊ぶようになった。そうして一緒にいるうちにいつしか幼い恋心を抱き合っていたのだ。
その気持ちをお互い、言葉にすることはなかったが……。
しかし、それはかなわぬ恋。
アシュラムがどんなにアシュリアーナを愛しても、アシュリアーナがどんなにアシュラムに好意を寄せていても、二つの種族が交わることは国の最大の禁忌だ。
アシュラムとて、それをわかっている。だからこそ、今まで言葉に出さなかったのだ。
アシュリアーナは見つめていたアシュラムの顔から、また視線を外した。
この世界から連れ出してくれたら、どんなに嬉しいだろうか。
アシュリアーナは猿王家の当主の第一王女として産まれ、その高貴な身の上だけに普段は王宮から出ることを禁じられていた。そんな王宮だけの狭い世界の中から連れ出してくれるアシュラムに好意を抱くのは、何ら不思議なことではなかった。
「アシュラム、それだけは、なりません……」
自分に言い聞かせるように、言う。わかっていることなのに、声が震える。
アシュリアーナは今日、神の花嫁になるための宝冠を王の手によって戴く。
だから……。
「嫌だ! 神女になったら、今までのように言葉を交わすこともない! お前はただ、神殿の中に囲われるだけではないか!」
大神官は神に祈りをささげる存在である。めったなことでは人前に姿を現すことはない。国事の折に祈りを捧げるときのみである。生きながらにして、神のような存在になるのだ。それが、大神官である。
アシュリアーナは涙をこぼす。
その涙をこぼすアシュリアーナの姿が美しく、アシュラムは息を飲んだ。
そして、アシュリアーナを無茶苦茶に抱きしめてしまいたくなった。そのままこの王宮を逃げ出し、この国を逃げ出し、二人だけで生きていけたら、それだけでアシュラムは十分だ。
それだけで、十分だったのに……。
「それが、私の運命です……」
アシュリアーナがまっすぐに王を見つめた。
その力強い瞳に、アシュラムはどうすることもできなかった。
偉大なる猿王が亡くなり、一年間の喪の期間に入る。
新竜王アシュラムは先王が亡くなったと同時に王として即位した。
そして、翌日猿王の一人娘、アシュリアーナは神女として禊を行う。
九十日間、神殿の奥深くにある「神々の間」で過ごすのである。
二人が再会をするのは、一年後。
先王の喪が明け、神女が大神官として即位する即位の大祭を行う。神と同じ「ケペリ・ラー」の称号を得ることが、神の花嫁としての証であった。
そしてその数日後、王の戴冠式が行われる。
これは建国以来、二千年年変わらぬ儀式であった。
――神子は今でも思う。あの時、ともに手を取って二人で逃げればよかったのだろうか。禁忌を破り、二人だけで。
そうしたら私たちは、幸せになれたのだろうか……。




