第三十五話
きっかり三日後、イゾルが迎えに来た。前回会った時の格好があんまりにも衝撃的すぎたらしく、ちゃんと新しい衣装一揃えを持ってきた。
その時、私はというと相変わらずキッタナイ格好で書庫に埋もれていた。ファン先生に字を読む特訓だと言われて渡されたメモを読んで、同じ題名の書物を探していたから。書庫はいつから置いてあるんですか、というほど古い本がたくさんあるから埃くさい。
ようやく探した本を両手いっぱいに抱えて姿を現した私を見て、イゾルは額に手を当てて呻いていた。
で、私はイゾルが持ってきてくれた衣装を身につけると、イゾルと二人で神殿を後にした。とりあえず、明日からも普通にこちらに来るので、とりあえず半日お休みをもらったようなものだった。
サイスさんには朝お礼を言ったし、今日帰ることも伝えてある。少しさびしそうな顔をしていたけど、私が決めたことならと言って、快く送り出してくれた。毎日の送り迎えをしてもらったり、生活の面倒を見てもらい、いろいろ良くしてもらった。サイスさんがいなかったら、神殿の生活はもっと厳しかっただろうと思うと、感謝の気持ちは尽きなかった。
私たち二人は、パルムールを歩いた時のように二人でのんびりと王宮へ向かった。
妾妃だからと言って、輿が用意されていたり牛車があったらどうしようかと思ったけど、イゾルは私がどうしたいのかをよく分かっていたみたい。
以前、大掛かりな飾りのついた牛が大きな箱のような車を引いていたから、あれは何かと尋ねたことがあった。イゾルは、貴人が乗る車で、あれでゆっくりと移動するんだと教えてくれた。あんな大げさなの、絶対に私は乗らないと宣言したのを覚えていてくれた。
――一時間ほどで、王宮には着いた。
たった一か月なのに、東の飾り門が懐かしく感じる。アーチの門にモザイクタイルの装飾の手の込んだ細工を見上げて、初めて見た時みたいに「ほえー」と声を上げて、イゾルに窘められた。
私の姿を見つけて、後宮監督官が姿を現わした。
「お帰りなさいませ、妾妃様」
左手を前に掲げてから頭を下げる、例の挨拶をしてから私を見る。
「長のお役目、お疲れ様でございました」
ねぎらうように恭しく言う監督官に、首を捻った。後ろにいたイゾルに視線を送ると、イゾルがひとつ咳払いをする。
「監督官殿、妾妃は疲れております。ご挨拶がすみましたら、早々にお戻りになります」
イゾルがいつもの侍女然とした態度で、監督官に告げると、監督官は返事をして一礼した。後ろにいた小姓に何事かを言いつけると、私たちを中に通してくれた。
イゾルが言うには、私が王様を尋ねるときも本来なら先触れを出さなきゃいけないらしい。先触れを出さないで王に面会できるのは、正妃だけだという。
王宮って、いろんな手続きが面倒なんだな。
後宮の私の部屋に入ると、いつも通りシャナヤが出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、トゥヤ様」
いつもと同じ挨拶だけど、顔を上げたシャナヤの唇が震えていた。見る見るうちに目頭に涙が盛り上がって、ぽろんと一つこぼれた。
「お戻りいただけて、シャナヤはほんとに嬉しゅうございます~~~」
泣きながら笑うシャナヤの顔を見て、たまらず抱きついた。
「ごめんなさいー、勝手に飛び出して……」
気が付いたら、私の目からも涙が溢れていた。
「ただ今、イコ」
シャナヤの後ろで平伏してたイコの姿を見て、同じ高さになるように座り込んだ。そして、頭をぽんぽんと撫でる。
「モウモウのお世話、ちゃんとしてくれたんだって?」
そういうと、イコがおずおずと頭を上げた。イコが涙をぬぐいながら、小さく頷いた。
「偉かったね。ありがとう」
そういうと、イコはまた小さく頷いた。
か、かわええ……。
泣いているイコをぎゅーっと抱きしめると、イコは驚いたように目を開いて私を見上げた。ぎゅっとされたのは初めてだったらしく、どうしていいかわからないようで、固まっていた。
「ごめんね。ずっと、不安だったんでしょう?」
奴隷の身分のイコは、私がいなかったら次どうなるかわからない。王宮に置いてもらえればまだマシだけど、外に捨てられれば、行く宛もないだろう。
イコは困ったように私を見上げている。
それでも、腕の中で小さく首を横に振ってみせた。
「トゥヤ様は、帰ってきてくださると思ってました……」
震える声で言うイコがとっても可愛らしくて、抱きしめる腕に思わず力が入ってしまった。
なんて可愛いことを言ってくれるんだろう……。次出ていくときは、イコも絶対一緒に連れて行くからね~!!
再会の挨拶をしていると、イゾルが苦笑していた。
「お懐かしいのは分かりますが、まずは陛下にご帰還のご挨拶を」
突然言われて、びくっと肩が震えた。その拍子にイコを離すと、イゾルの方を見る。
ずっと忘れてたけど……。
「……王様、怒ってる?」
さっきのイコのように、首をすくめながらおずおずと尋ねてみた。
「さあ。私には存じかねます。陛下にお会いして、お尋ねするのが一番かと思われますが」
イゾルに言われて、頷くしかなかった。シャナヤとイゾルが衣裳部屋から着替えを何着か持ってきてくれた。
二、三着合わせると、そのうちの一枚を差し出してきて、着替えるように言われた。王様に面会するのにはこのままじゃダメだった。
着替えて、ブローチを付ける。あの紫水晶の凝った細工のブローチだった。
王様のくれたブローチをぎゅっと握りしめる。
どんなに怒ってても、嫌われてても、帰ってこようと思ったのは私だ。
だから、王様にはきちんと話さなきゃだめだ。
そう思っても、やっぱり胸が痛かった。
拒否されたら、無視されたらと思うと辛い。
あの日みたいに、差し出した腕を振り払われるのは、もう嫌だ……。
イゾルと一緒に王宮へ渡る。
一歩一歩進むごとに、足取りが重くなる。
「……」
「……」
イゾルも私も、無言になった。
その原因は、こちら。
部屋を出た私を待ち構えていたのは、部屋の前にまかれたごみ(古典的)や、テラスで談笑する姫君方の鋭いお言葉(おもに悪口)だったり、扇で口元を隠したひそひそ話だったりする。
そして、極めつけは、
「今更妾妃にお戻りいただかなくても、ねえ。陛下のお召は後宮の妃みなさまにございますもの。野のお方は野に下られた方が何かとお幸せなのではないですか?」
という、意地悪なご忠告だった。
ご側妃のお姉さまだった。もちろん後宮に上がるくらいだから、皆々様本当におきれいなのですよ。だけど、こういうところで人って醜いんだな……と感じてしまう。
でも、私も一緒なのかもしれない。
だって、やっぱり王様が他の人と過ごしたって聞いたら、辛いもん。
なんで自分じゃないの? って思ってしまう。
嫉妬するのは、王様が好きだから。
ここの人たちはみんな、こんなに近くで好きな人とその相手を見ていなくちゃいけないんだ。
今更だけど、やっぱり後宮って過酷だな……。
「トゥヤ様、お気になさらずに参りましょう」
イゾルが小さく言う。私は頷いて、また歩き出した。
後宮監督官が王様へ取り次ぎをしてくれたおかげで、執務室の扉を叩くとすぐにクアンさんが出てきて中に通された。
「トゥヤ様、ご無事でのご帰還、何よりでした。陛下もお待ちです。どうぞ、中へ」
出迎えてくれたクアンさんはいつもと同じ優しい笑顔を崩さずに、一礼する。この人、いつも笑顔だから、これがいつもと同じなのか違うのかわからない。うーん、この笑顔を崩してみたい……。
執務室の中は応接セットが置いてある控室のようなところを通って、その奥に王が実際に執務をしている部屋がある。その奥の部屋の扉が開かれた。
中では王様が中央の大きな机に座って、書類に目を通していた。
「陛下、ご妾妃様のお越しでございます」
クアンさんが短く言うと、王様は書類から目を離さずに頷いた。イゾルとクアンさんは控室で待っている。私が入室して、クアンさんが王様に声をかけるとすぐに、扉が閉じられた。
目の前には、王様が座っている。
この前逢った時と当たり前だけど、おんなじ王様だった。
扉の近くで立ち尽くしている私に、王様は書類から目を離さないで言う。
「何をしている?」
そういわれて、なんのことだかわからずに、あたりを見回した。
「お前の国の礼儀では、王に挨拶に来て立ち尽くすのか?」
淡々と言う王様に、首を横に振った。
……相変わらず、変わらねえ!!
この嫌味な口調。人が来ているのに、書類から目を離さないのも、この国仕様なんですかねぇと言ってやりたくなるくらいだ。
殊勝に謝ろうとか思っていた気持ちが吹っ飛びそうになる。こういう物言いがいけないんだと思うんだけどな~、この人。でも、そんなこと言ったら、首根っこ掴まれて部屋から追い出されそうだし……。
「……ただ今、帰りました」
そっぽを向いたまま呟くと、王様は片眉を上げる。それでも書類から目を離さないのは、素晴らしい嫌味だと思います。
「……」
無言のままの王様。これは、聞こえんな~という意思表示でしょうか?
「あの~、ただいま……です」
「……」
「ずっと留守にしていてごめんなさい……」
「……」
「おーい、帰りましたよ――!!」
さんざん声をかけるが、無反応だった。
……。
「王様……帰ってきちゃいました……」
声を張り上げるのもつかれたので、いつもと同じ声で、呟いてみた。
変わらないな~。この傍若無人な態度。
ほんっとに、嫌味なくらいすがすがしく変わらない……。
私がいてもいなくても、この人の日常は変わらなくて。それなのに、わたしばっかりが振り回されて……。
バカみたい。
バカみたいだ……。
「王様、全然変わらない……」
声に出したら、ぽたぽたと涙が流れた。
少しくらい声かけてくれるかもとか、待っていたとか、言ってくれるのかもって少し期待していたところもある。
でも、全然そんな態度じゃなくて……。
それでもやっぱり、顔が見られて嬉しかった。
「や、泣くはずじゃなかったんだけど。
顔見たら、ちょっと涙腺ゆるんじゃったかも」
へへと強気に笑ってみせるけど、涙が止まらなくて手の甲で涙をぬぐう。
……王様の前で泣くなんて、恥ずかしい。
こんな顔見られたくなくて、恥ずかしくて、今顔が真っ赤になっていると思う。そう思ったら、余計顔が上げられなくなった。
すると、ガタンと家具が音を立てた。
と、と、と、と毛足の長い絨毯に吸い込まれていく規則正しい足音が聞こえた。
目の前に人の気配がする。
顔を上げると、目の前には王様が立っていた。
顔色一つ変えずに、書類を見ているかと同じように、私を見下ろしている。
すると、すっと王様の指が私の顔の前に伸びてきた。
ぶたれる!!
とっさに目を閉じた。顎を引いたその途端、顎を掴まれて引っ張られた。
痛い! と眉をしかめて声をあげそうになった時に、信じられないものが近づいてきた。
王様の顔がゆっくり近づいてくる。
私の肩に王様の髪の毛が流れてきて、息遣いが分かるほど、近い。
と思った瞬間、王様が私の口に、自分の唇を重ねていた。
……。
驚いて目を開いたまま、固まった。
は、はい~~~!?
とりあえず、何が起きているのかは全く謎のまま、息ができずに違う意味で顔が真っ赤になる。
王様は目を閉じて、器用に鼻で息している。
さすがに、慣れていらっしゃる……。
って悠長に考えている場合じゃなくて……。
ギブ! ギブ!!
いつまで続くんですか……これ!
思わず王様の腕にタップする。
すると、王様は唇を離した。離した途端、王様はすっと一歩後ろに下がった。
ほえ!!
あまりの出来事に膝が崩れて、その場に座り込んでしまった。
膝をぺたんと絨毯にくっつけて、お姉さん座りをして両手を床についてしまった私の頭上に、いつもの王様の、冷たい声が響く。
「神殿への調査業務の遂行、ご苦労だった。
今後とも、この後宮で妾妃として恙なく過ごせ」
それだけ言うと、踵を返して机に戻る。
そして、何事もなかったように椅子に座ると、置いてあった書類にサインをしていた。
……先生、腰が抜けて動けません……。
とりあえず、私の後宮出奔の件は、あくまでも王様からの業務命令ですという建前ですね。
わかりましたけど……。
王様は、やっぱり鬼畜です……。
気がない人に、そういうことしたら期待しちゃうでしょ!?
お説教してやりたいです……(出来ないけど!)。




