第三十話
一泊させてもらった私は、翌日、サイスさんが神殿に行くときに一緒に神殿へ向かった。私の貸せる力は微々たるものだけど、何らかの役に立てるなら、その方がいい。
それに、ちょっとだけ二人の先生たちに興味があった。
あんな先生達に教わったら、私ももう少し勉強に興味があったんじゃないかなと思う。
いろんなことを知りたかった。
それに、もう二度と私がいた世界に帰れないのなら、私はこちらで身を立てていく方法を考えなきゃいけない。
王宮に帰れない以上、ここでどうにかするか、街に降りて働き口を探さなければいけない。
でも、今の私はそんなことができるほどこの国のことを知っているわけじゃない。だから、この星についていろいろ知りたかった。
そのためには、あの二人の先生に教えてもらえれば、ちょうどいいと思うんだけど……。
んで、当たり前のように学問所に顔を出すと、今日はカフド博士はいなかった。
「おや? サイス殿には君を王宮へ帰すように頼んでおいたのだが……聞いていないかい?」
……おやや? 初耳ですわ。
昨日は普通に部屋を用意してくれて、アンナムさんにサイスさんと神殿に行きます、と言っておいたので、普通に朝起こしてもらって、サイスさんと一緒にここまでやってきた。
その間、普通に世間話をしたり、王宮での出来事を話したりしていた。
特に、王宮へ送るとは言われてなかったけどな……。
「えーと、初耳です」
首をかしげると、ファン先生も首をかしげた。
「では王宮から迎えがあるかもしれんな」
ファン先生が机の上の本を分類している。
「……あの、王宮からの迎えはないと思います……。
で、実は、お願いがあるんですけど……」
おずおずと話を切り出した。
とりあえず、寵姫っていうのは名ばかりで、王様を怒らせて捨てられて行くところがないので神殿に置いてもらいたいこと。
自分の力を貸すのは構わないけど、勉強をさせてもらいたいこと。
もっと世の中を知りたいこと。
かいつまんで先生にわかってもらえるように今までの経緯を話した。
話を聞いたファン先生は驚いて目がまん丸くなっていた。
ファン先生は目を丸くしたまま額に手を当てる。
「……あの王に刃向って首を切られなかった人物がいるとは……」
人のことを凝視しながら、信じられない、といったふうに首を横に振った。
え、ええ?
引っかかるとこ、そこ?
しかも、な、何さらっと怖いこと言っちゃってんすか?
それから、気を取り直したようにひとつ咳払いをすると、ファン先生は唸る。
「ここに置く……、昨日も言ったようにここは女人禁制なんだ。
置いてください、はい分かりました。と簡単にはいかないのだよ」
腕組みをして、ファン先生が唸っている。
そうですよね、わかります……。
自分、ちょっと図々しいかな~って思ったりも、ちゃんとしてます……。
「事情が事情だから、神殿が保護をするという名目で置いておくことは構わないと思うんだが……。昨日も言ったように、ウラヌス・ラーがここのヌシだからね。こうなるとどうしてもお耳に入れなければならなくなる……」
言い終わってからファン先生は困ったような顔をしながら何か考え込んだ。
「……そうなると、君にとって不本意なことになるかもしれない」
ファン先生は、私がウラヌス・ラーに言われたことを知っているようだ。
黒い瞳、黒い髪の神の化身。
大いなる厄災から人々を救う。
そんな予言があるという。
昨日先生は、私を巻き込んでしまうかも、と言っていた。
ここにいれば、私は身動きが取れなくなって、その役に追い詰められていくかもしれない。
それは私にとって、いいことではない。
「とりあえず」
先生が膝を叩いた。
「カフドは喜ぶな。君のことを筋がいいとほめていた。
君が学徒になれば、あいつは喜ぶ」
ファン先生は豪快に笑った。
「それでだ。実は今日、神殿のお偉方を集めてあるんだ。ここではなく、神官たちの会議の間になんだがね。そこで、これから起こるであろう厄災について報告する。その場に、君もいてほしい」
ファン先生の申し出は、大いなる厄災の前に、予兆というのが必ず起こるはずだという。この間の地震、あれはケペル国の人たちが初めて遭遇する地震だった。体感震度で大体震度2くらいじゃないかというのが、私の感覚だが、それでも石造りの古い建物が崩れた。
これから地震の頻度、震度は上がっていくだろう。その時に、私の国ではどういう対策をしていたのか、教えてほしいということだった。
知っていると知らないでは、天地ほどの差がある。
ファン先生はそういう。
私の知っている防災知識なんて、ほんとに避難訓練みたいなもので実用性があるのかわからないけど、先生の言うことは納得できたから、了承した。
カフド博士が講義から戻ってきて、私がいるのを見て驚いた。
「な、トゥヤ、君は何をしているんだ?」
「そんなに驚かなくても……」
言い返すと、カフド博士は人の背中をバンバン叩いてきた。
「王宮に帰ったのではないのか?
何だ? 追い返されたのか? それともあの王から逃げてでも来たのか?
王は血気盛んな――というよりも、大そう感情の起伏が激しいらしいしな。
ありゃ、切れ者だが、その分何を考えているのか底が読めん」
それをわがままと、人は言う――なんてね。
底が読めないというか、単なる気まぐれなんじゃないですかね?
と、口から出かかりそうになって危うく押しとどめた。
余計なこと言うと、全部知ってそうで怖いからな、あの王様。
すると、ファン先生がカフド博士にジェスチャーで「やめろ」という意味だろう。片手を一生懸命振っている。
……気を使われています。
カフド博士がファン先生を見て、ん?と動きを止める。それからこちらをじっと見つめた。
そのまま動きを止める。
そして、5秒ぐらいしてから途端に吹き出した。
「図星か!!
逃げてきたのか!? 捨てられたか!?」
ひゃっひゃっひゃ……という笑い声が、憎い。
思いっきり眉をしかめると、カフド博士が笑い声を何とか引っ込めようと頑張っている。
……もういいっすよ。散々笑った後で。
「ああ、すまんな。笑わせてもらった。
――で、そんなら話は早い。
君は、もう少しこちらのことを勉強した方がいい。
君がこれからどう生きるか、それは君次第だ。
ただね、今のままでは君は外に放り出されたら生きていけないだろう。この国のシステムそのものを知らないのだから。
君が王の操り人形でいいというのなら、今のままでも構わない。
ウラヌス・ラーの言うとおりにするというのでも、また然りだ。
しかし、それは君が選んだ道なのか?
違うだろう?
そこに君の意思は全く感じられない。
君が自分の人生を選び取りたいと思うのなら、ここで学ぶことを許そう。
……ただ、大いなる厄災を、皆が生き延びることができたら、の話だがね」
カフド博士の言葉が真剣みを帯びていた。
私は、今、自分がどんな顔をして立っているのかわからなかった。
だって、そんなこと言う人は今まで私の前にはいなかった。
私の生き方……。
そんなこと、考えたことない。
――私の毎日は、お母さんに嫌われないようにすること。
誰かに、嫌われないようにすること。
私は、誰?
私はお兄ちゃんの名前を借りて、お兄ちゃんの人生を借りてるの。
だから、私は「わたし」として生きちゃダメなんだよ……。
頭の中で、お母さんの声が聞こえる。
――お兄ちゃんは、もっと出来が良かった。
――お兄ちゃんはもっと優しかった。
――お兄ちゃんはもっとしっかりしていた。
それは私の心に棘みたいに突き刺さる。
刺さっているのに、抜けないまま。
湧きあがったのは、黒い感情。
誰にも関わりたくないのに、誰にも知られたくないのに。
私が――いらない子だってこと。
「……や、やめて!」
耳を塞いだ。
――お前なんていらない――
――桐耶が生きていれば、お前なんていらなかったのに――
お母さんの声が耳にこびりつく。
膝が震えた。立っているのがつらくて、耳を塞いだままその場にしゃがみ込んだ。
指先から体が冷たくなる。自分が凍ってしまうようで、震えた。
――桐耶はいい子だったのよ。
私の自慢の息子だったの。優しくってねぇ。お母さん、お母さん、って私のことをいつも気にかけて。とってもいい子だったのよ。かわいい顔をしていてね、親の言うことをよく聞いてね、挨拶なんかも自分からちゃんとして、勉強もできる、ほんとに自慢の息子だったの。
お母さんは懐かしそうに昔を振り返って、毎日微笑む。
――ねえ、おかあさん――
とうやも、いいこ?
「おい! おい! どうした!!」
肩を抱かれて、頬を叩かれて、はっと我に返った。
目の前にはカフド博士が真剣な顔をして私の頬を叩いていた。
「……あ」
目の焦点が合った私を見て、博士はほっと一息吐く。
「わ、わた、私……」
手足が震えていた。
「大丈夫か? 神経の混乱か?」
カフド博士が私の指先を握る。指を握られているのに、感覚がなかった。
「大丈夫だ。心配することはない」
安心させるように背中をさすってくれる。少ししてから、背中から博士のぬくもりが感じられた。
「大丈夫だ」
博士が繰り返す。私は黙ってうなずく。
だいじょうぶ。わたしはだいじょうぶ。――わたしは、だいじょうぶ
カフド博士が私の顔を見る。まっすぐに、真剣に目を見つめている。
「大丈夫だ。トゥヤ、自分の名前が分かるか?」
博士の言葉に、目を開いた。
そうだ。私は桐耶じゃない。
桐耶はお兄ちゃんの名前だから。
写真でしか知らない、お兄ちゃんの。
私の名前は、トゥヤだ――
――わたしは、生きている――
目の前に、風が吹いたようだった。
乾いた大地の、石畳の街を吹き抜ける、金色の風。
このケペリの風――。
「私、生きたい――」
心の奥から絞り出した。
生きたい……。今まで生きてきて、初めて思った。




