第二十九話
深夜の街道を明かりも持たずに星の輝きだけを頼りに歩きました。
延々一時間。
確かに私が「帰っていいよ」って言ったけど、ほんとに帰りやがるとは!
見捨てた護衛男、絶対コロス!
あら、イゾルさんみたいなこと考えちゃった。
もう疲れて足は棒ですわ、寒いですわ……踏んだり蹴ったりですわ。
私、何やってんだろう。
つうかさ、おっさんたちもあんな奴、護衛によこさないで、もうちょっとまともな奴をよこしなさいよ。どうせまた文献漁ってて、なんも考えてないんでしょ。
ほんっとどうしようもねーなー、学者バカはよー。
なんてできる限りの悪態をついてないと、歩く気力がありません。
景気づけに歌ってみた。だって、誰もいないし、歌でも歌わないと寂しいからね。
はああ。ほんと疲れた。
神殿の前の白い大門の前に着いて足を止める。門番が二人立っている。
ふと考えたんだけど、私、中に入れてもらえるの??
だって、お客として来てて、地震のどさくさで外に出たけど、ここから来ましたって証明できるものはないんだけど。出てくるときだって、学徒の人と一緒に出てきて、手続きとか何もなかったし。
で、当然押し問答。
当たり前に押し問答。
門番さん、当たり前に通してくれませんけど~! やっぱりそうなるよね!!
おっさんどもめー(怒)話通しておけよ!!
今の私、額に怒りマークついてます。絶対。そこですったもんだしていると、中からカフド博士が現れた。
「おっさん! 中入れろ――!!」
とりあえず、叫んでみました。
「すまん、すまん。今、お前を置いてきたと報告を受けてな、迎えに行こうと思ったところだ。すまんな」
慌てた様子でカフド博士が門番に話をする。
「ってちょっと待て! お前、なんていう格好をしているんだ!?」
上から下まで私を見て、カフド博士が叫んだ。
やめてよ、往来で。
「あんたんところの護衛さん、怪我人の手当てもしないで帰ったんですけど!?」
怒り三倍増しで言うと、カフド博士ががりがりと頭を掻いた。
「徑民だったんだろう? それは仕方ない」
当たり前にカフド博士が返答する。
え!?
ええ!!!
かなり動揺しました。今。
そこ、普通にそう言っちゃうところ?
教育機関である学問所って、ここにしかないんでしょ。
そして、カフド博士はそこでもたぶん、偉い先生だ。さっきからのやり取りを見ていると、学問所の中でも、神殿の中でも普通に敬われていた。
そんな、偉い人でも普通に身分差別とかあるんだ。
教師とかってそういうことはだめだっていう立場の人なんじゃないの?
「徑民は、仕方ないの?」
「まあなあ、人として認められていないからな」
「どっからどう見ても『人』じゃない!
じゃあ、教えてよ。どこが? 何が違うの? 血液取ってみなさいよ。同じ血が流れてるはずでしょ!」
すると、カフド博士がため息をついた。こんな話、興味がないといった様子だ。
「あのなあ。ここには身分制度っちゅうもんがあるんだよ。
いいかい? では君は自分の知らない知識を持つ人物が言う事なら、今の社会制度に反していても言うことを聞くかい? むしろ、それが信用できない場合はおかしなことを言う人物だとレッテルを張ったりしないか? 自分が正しいと、何を持ってして言える? 自分がいた世界はそうだったから? そんなもの、それを証明できるのか? 出来ないのならば、ただの世迷いごとをいう人物としか映らないだろう?」
カフド博士は腕を組みながら、言った。
「!な、そんなこと!」
言いかけてやめた。
私が叫んでいることは、私の価値観でしかない。
カフド博士が言っていることはそういうことだ。
私は今まで生きてきた世界の中の話をしているけれど、こちらの人にはこちらの人の考え方があって、私の意見を押し付けても仕方ない。
「わかったかね?」
急に先生みたいな口調になったカフド博士の顔を見上げた。
打ちのめされたカエルみたいな顔になっていたんだと思う、私。
カフド博士は私の表情を読み取って、ふっと笑う。
「こちらには、こちらの考え方があるってことでしょ」
むっと口を結んで答えた。かわいげがないと自分でも思う。認めてしまったら、自分の価値観が崩れてしまうような気がして嫌だった。
すると、カフド博士は破顔した。
「君はなかなかいい学徒だね。
そんなのは違う! 私の方が正しい! と言ってしまう方がよほど簡単だし、人というのはそういうところがある生き物だよ。
それを、自分と違う意見を取り入れようとするのは、素晴らしいことだ」
カフド博士は本当に楽しそうに、私の肩を叩いた。
なんだか納得できなくて、私は口を結んだまま。
すると、その心の中を読み取ったようにカフド博士が続けた。
「納得しなくてもいいんだ。自分と違う考え方があるということを、覚えているだけで人は成長できる」
カフド博士が屈んで、私の顔を覗き込んだ。
私の目を見ているカフド博士に視線を合わせて、ため息を一つ吐く。
私の欠点、それはつい自分の考え方で行動してしまうということだ。カフド博士にそれを指摘された。
「私、今初めてカフド博士が本当に教師なんだって実感したよ」
ため息交じりに腕を組んで言った。
カフド博士は一瞬目を大きく見開いた。それからすぐに、破顔すると、
「それはすごい褒め言葉だ」
と私にウインクする。全く嫌みのない笑顔で、カフド博士は心から嬉しそうだった。
敵わないな、このおっさん……。
で、カフド博士に中に入れてもらって、とりあえず学問所には女性がいないから、侍巫女の服を借りた。侍巫女というのは、神殿の下働きの女性たちのことだそうだ。
神官は全て男性。一見関係のなさそうな学問所の学徒も最下位の神官位を授かるらしい。
神子を除く女性は、すべて神官の身の回りのお世話をするための人々。神官に侍る人たちなので、侍巫女というらしい。
「侍巫女の衣装もなかなか似合うな」
部屋に入るなり、開口一番ファン先生に言われた。
カフド博士に聞いていたらしく、ファン先生は「すまなかったね」と困ったように一言言った。
「で、ところでだ。時間もないことだし、トゥヤが帰ってきたのでさっさと進めてしまおう」
いくつかしおりが挟まっている文献を開きながら、カフド博士が言う。
「トゥヤ、君は地震の仕組みを知っていたね」
「知っているというほどじゃないけど。あくまでも基本的なことだけ」
私の知識じゃ、地震の波の速度の計算とかできない。P波とか、S波とか震源の深さを求めるとか、やったけど詳しい式は思い出せない。何せ、テストが終わると消去されてしまうもので。
「いや、仕組みだけで構わない。そこに当てはめるのは、こちらの仕事だからね」
カフド博士が言う。
「地震というのが岩盤のずれと言っていたね?」
机の前に座って、両手を組んでいたファン先生に尋ねられた。
「はい。私たちがいる大地はいくつかのプレートに分かれてて、そのプレートはぶつかり合うところで、重なっているんです。その重なりがその下にあるマントルの動きによるプレートの押し合いによって生じる圧力でプレートが変形して、それを解消する運動が地震になるんです」
近くにあった平べったい本を手に持つ。
「これが地面。これが下のマントルに引っ張られて中に入り込む。それがボンと元の状態に戻ると……」
本を水平に持って、片側をぎゅっと内側へ押す。押していた手をぱっと離す。
押さえられていた一辺が勢いよく飛び出してから、元の状態に戻った。
「これが、地震です。ただ、このあたりにプレートがないのなら、火山性地震でしょうか。竜紋火山の地下のマグマが移動を始めたことで起きた。マグマの移動は直接噴火に関係なくても起こることですし、震度自体が大きくなかったから、こっちかなって気もします」
「ふむ。そうだ。その通りだ。我々は理論上大地が動くことは知っていた。しかし、体験したことはこの2000年の歴史の中で全くなかったのだ」
「じゃあ、このあたりはプレートの境界がないってことなのかな。竜紋火山はかなり大きいから、火山活動が万年単位だと、有感地震を感じたことがないっていうのも、わかる気がするし」
二人は腕を組んだり、何かを考えたりしながらふーむと唸った。
カフド博士は突然長い巻物のような紙を机の上にパーッと広げてみせた。
「最近の観測値によると、この大地の下の流動する『大地の素』だが、対流の上昇流が認められる。つまり、この竜紋火山の活動が活発になるという結論だ」
紙面に書かれている波形の上をとんとんと指で叩きながらファン先生が言う。
「この『大地の素』の対流をプルームと我々は呼んでいるのだが……」
カフド博士が言う。
プルーム? 聞き覚えのある言葉に記憶をたどる。
地学の時間に、大陸移動説でプルームテクトニクス論をやったはずだ。
覚えたプルームテクトニクス論を思い出す。
暗記した教科書の記述を丸々思い出すために、口に出してみた。
「地球内部のマントルは対流していて、内部マントルと外部マントルの境目670キロ付近の層で下に沈み込むマントルと上昇するマントルが対流している。上昇するプルームをホットプルームと呼ぶ。逆に下降するものをコールドプルームという。またこの670キロ付近を超えて大きく上昇するものをスーパーホットプルーム、下降するものをスーパーコールドプルームという……。スーパーホットプルームが直接地表に達すると、非常に激しい火山活動が発生すると考えられる……」
一通り唱え終わると、二人の先生が興味深そうに頷いていた。
「君は、ただの学生だったと言っていたね。しかも、誰もが学校に通うと言っていた。
となれば、君の世界では、誰もがその知識を持ち得るということだね。
それは、やはり素晴らしい。こちらでは、そこまでわかるのは学問所に通っている連中でも、かなり上の者たちばかりだからな。
では、ここで君に尋ねたいことが一つある」
ぴっと人差し指を一本、カフド博士が上げた。
「その君の言うホットプルームが何らかの外圧によって地上に噴出した場合、もしくは隕石がこの星に衝突した場合、この星の生命に与える被害は、どのようなものになると考えられるかい?」
カフド博士の質問に、「それはどういうこと?」と問い返したが、二人とも答えてはくれなかった。
これは、私が考えなければならなくて、ヒントはないってことだ。
「あくまでも、私の星を基準にして考えるのなら、私たち人類が生まれる前から、そういうことはたびたびあって、生命が危機に瀕していました。
ジャイアントインパクトとか、トバ・カタストロフとか、呼び名はいっぱいあったけど、地球には、隕石が衝突したせいで恐竜が絶滅したり、火山が噴火したせいで、火山灰が地上を覆って寒冷化をもたらしたり……。生命にとって、それは絶滅を伴う危機になると思います、けど……」
あくまでも、地球の話だから……と言いかけた。
ファン博士は目を閉じて何かを考え込んでいる。カフド博士は、こちらを見て頷いていた。
「ご名答。我々も同じ結論なんだよ」
カフド博士が立ち上がる。
「つまり、未曽有の大災害が目の前に迫っているということ」
静かに、ファン先生が告げた。こちらを見つめる顔は真顔で、少し怒ったように口をへの字にしている。
「大いなる厄災……?」
恐る恐る、尋ねる。そんな言葉を、以前聞いた。
大災害が起こるから助けてくれって。
あのウラヌス・ラーが言っていた。
学者や預言者も近いうちに起こると言っているって話していた……。
それは、このことだったんだ。
「そうだ。君が現れた。
大いなる厄災が起こる。
これは、単なる偶然かい?」
カフド博士は立ち上がったまま、私の顔をまっすぐに見つめてきた。
「とまあ、その話は置いておこう。今考えるべきなのは、我々は、人々に何も知らずに死ねというか、この厄災を乗り越える術を与えるのか、選ばなければならないのだよ。後者を選んだ場合、それがどんなに困難な事かを覚悟しなければならない……」
カフド博士が息を飲む。
「それを神殿で話し合わなければならないのだよ。君のように簡単にそれを理解できる人ばかりではない。知識を伝えたとしても、そこに実感は伴わないのだよ。そこで、君の力を借りたいんだ」
ファン先生が私の肩を叩く。
「経験に勝る知識はない……ということだね」
ため息交じりにカフド博士が言った。
「いきなりこんな話を聞かせて、すまなかったね」
ファン先生に言われて、私は顔を上げる。
「今日はもう遅い。朝早くから付き合わせてしまって、今日は疲れただろう?
もう休むといい。……というか、君はこれから王宮へ帰るのか!?」
ファン先生の顔が、途端に真っ青になる。
机に置かれている時計を見ると、もう、次の日になっていた。
「王宮の門限は、夜の五の刻って言われたから、たぶんこんな真夜中じゃ入れないんだけど……」
「それはすまないことをした! ――では、と言っても、学問所には男性しかいないじゃないか! そんなところに君を休ませるわけにはいかない……かといって、神殿でももう侍巫女たちも休んでいる時間だろうし……」
……というか、私、後宮出てきちゃったんだけどな。
ほんとは、泣きついて神殿に転がりこませてもらおうと当てにしてたのに!
私が真っ青になっていると、ファン先生が焦っていた。一生懸命、すまないね、もっと早く帰すつもりだったのに、とか、つい話に夢中になってしまって、とか言っていた。
「明日、神殿の者に頼んで後宮へ送らせよう。とりあえず今日は……」
どうしようかとファン先生もカフド博士も考えあぐねている。
「私、ここらへん貸してもらえれば寝れますけど……?」
むしろ、その方が助かります。
しかし、それはだめだと二人とも顔を見合わせて首を横に振った。
「学徒どもが朝から徘徊するのに、君を寝かせておくわけにはいかない」
二人の一致した意見だった。
先生たちの部屋の片隅でも構わないと告げると、学問所は基本女人禁制だという。私が入れるのはこの部屋まで。先生たちを含めた学問所の人たちの宿舎があるこれ以上奥には、入れられないらしい。
ち、面倒なシステムだな。
すると、ピピピと電子音が聞こえてきた。
おや、とファン先生が扉の横に付いていたモニターに顔を向けた。モニターの下のボタンを押すと、ぱっと人の顔が映った。
そこに映し出されたのはサイスさんだった。
「先生方、お話は終わりましたか? トゥヤが後宮へ帰った様子がないので、様子を見に来たのですが」
サイスさんの言葉に、二人は顔を見合わせた。
「おお、助かった! 今、扉を開けるから待っていてくれ」
先生がプレートに手を当てると、赤く光っていた扉の上のランプが青色に代わる。
すぐに扉が開かれた。
そして、しばらくしてからサイスさんが顔を出した。
「地震の処理が終わってから、こちらへ様子を伺いに来たのですが、立ち入り禁止になっておりましたから、しばらく待っていたのです。なかなか解除されませんでしたので、呼び出しボタンを押してしまったのですが、お話の邪魔をしてしまいましたか?」
サイスさんが扉の前で、ファン先生に向かって言う。
「いや、大丈夫ですよ。ちょうど話が終わったところだ。それにね、少々困ったことになりましてね。顔を出していただいて、助かりました」
ファン先生がサイスさんに中に入るように促す。
椅子をすすめられて、サイスさんはそれに座った。
ファン先生が私の宿がないことをかいつまんで話すと、サイスさんが笑った。
「そういう事ではないかと危惧していたんです……。私は今日は自宅に帰るので、彼女も連れて行きますよ」
サイスさんはどうやら、ここに泊まり込んでいるわけではないらしい。
ウラヌス・ラーの護衛と聞いたんだけど、クアンさんみたいにずっとくっついているわけじゃないのかな?
そんなことを考えていると、それが分かったようでサイスさんは私の顔を見て、説明してくれた。
「24時間詰めているわけではないのだ。もちろん、竜騎兵は24時間配備されているがね。私は指揮を執るのが主な仕事なので、宿直以外は自宅に帰る」
ということで、先生たちの勧めもあって、私はサイスさんにすっかり甘えてしまうことになった。
とりあえず、寝る場所ゲット!
心の中でガッツポーズをした。




