第二十八話
その日は夜まで地震の処理で大神殿は慌ただしかった。
えーっと、私、今日帰る場所ないんですけど……どうしましょう。
っていう前に、手伝いに駆り出されている。
当たり前に居ることに、もうちょっと疑問持ったら? 先生たち……。
「トゥヤ、護衛をつけるから市街を見てきてくれないか?」
ファン先生が書庫のような部屋から文献を山のように抱えている。
「カフド、学徒たちを呼べ。この書物の中から関連項目を探させよう」
どさりと音を立てて本を机の上に置く。崩れそうになった本の山を器用にそろえている。
本を読むことはできないから、お手伝いができない。
だから先生は私を外回り担当にしたんだろう。
私は若い学徒の一人を護衛につけられて、街に出ることになった。
この学徒さんは医療に長けているらしく、けが人が出た時に対応するためなんだそうだ。
それじゃ、護衛にならないじゃん……。
うら若き乙女を、夜の街に放り込むなんて。
学徒さんとパルムールに行くと、街は夜だというのにやたらと騒がしい。
どうやら市街のどこかでけが人が出ているようだった。
人の流れが特に多いところをたどっていくと、市街でも裏町の方へ出た。王宮の周りはまだ落ち着いている。落ち着かないのは、城壁に近づいていくスラム街の方だった。
「崩れたぞ!」
「しかし、徑民街だろ?」
「ああ。徑民たちが上から降ってきた石の下敷きになったらしい」
「なんだ、建物が崩れたのか? パルムールも石造りの街だからな」
やじ馬たちの会話を拾って考えると、やはりスラムは崩れたらしい。
「やだね。今回はスラムだったからいいけど、またこんなことになったらたまらないね」
「ああ。あれは一体なんだったんだろうか。大地が揺れたぞ。町全体が揺れていたんじゃないか?」
みんな地震を知らないから、不安そうな顔をしている。また起きたらどうするんだろうかと、口々に思案している。
未知の出来事……だろうね。たぶん。
それにしても……。人々の不安顔が怖い。
たかが地震ぐらいでこんなに慌てるものなんだ。
なんか、怖いな。
押さない、駆けない、しゃべらないの「おかし」じゃないけど、そういうことを知らなければ、大騒ぎになるんじゃないかな。
これ、みんなを安心させた方がいいんじゃないの?
学徒さんの方を見ると、学徒さんは崩れた街の様子に顔を青くしていた。
こりゃ、ダメだ。
ため息をつく。
とりあえず、スラム街を確認する。
下敷きになった人は救助されていたらしいが、お年寄りが一人下敷きになって亡くなったそうだ。
けがの様子を見ると、胸を押さえている。強打したらしい。
「ねえ、応急手当てできる?」
横にいる学徒さんに頼む。学徒さんは真っ青な顔のまま、勢い良く首を横に振った。
「え? できないの?」
それは困る。
他にも、腕を押さえた人や足をくじいている人など、5人くらいけがをしている。
幸い、ひどくても骨折程度で済みそうで、大けがの人がいなくてよかった。
「いや、これらは徑民ですから」
「は?」
この人が何を言っているのか意味が分からずに問い返す。
「徑民だから、何?」
「治るものは勝手に治りますし、治らなければそれまででしょう?」
おどおどと学徒が言う。
「あなたは治療しに来たのじゃないの?」
ぎろりと、睨んだ。
男は真っ青な顔のまま、一歩、また一歩と後ずさる。
「私は市街の市民を治療しに来たのですよ。徑民のことは言われてませんから」
眉が下がり、困り果てた顔をしている。
「何それ!? 目の前で人がけがしていて、あなた、放っておくの?
なんのためにここに来たのよ!!」
つい、叫んでた。
だって、ひどい。目の前でけが人がいて、痛みに呻いているのに治療できる人が治療しない。
それが、当たり前みたいな顔をしている。
「ですから、市街が無事だった時点で神殿に戻ればよかったんですよ。
私はあなたについてきたんですからね」
その言い草に、むかっ腹が立つ。
「お姉ちゃん!」
おーい、と声をかけられて、怒りをいったん抑えた。
声のする方を見ると、子どもたちが走ってきた。
「姉ちゃんの声がすると思ったんだ」
男の子が二人、私の目の前に立った。
時々お肉や野菜を差し入れてあげた子たちだ。
「お姉ちゃん、怪我しなかった?」
強い竜人の子にいつもくっついている猿人の子の方が聞いてきた。
「大丈夫だよ。君たちは?」
「僕たち、おうち壊れちゃった。
でも、お隣のおじちゃんが助けてくれたんだよ」
「そっか……。大変だったね」
「うん。でも、大丈夫だよ。またテント張ればいいんだもん」
彼らは家を持たない。粗末な布を屋根代わりに張っているだけだ。彼の言うおうちとは、布を括り付けている石造りの家のことだろう。
「おい! そのような子どもたちに関わるなら、私は神殿に戻ります」
一緒にいた学徒が、忌々しげに声を上げる。
「あなた、私の護衛に来たんじゃないの!? なにそれ!!」
またさっきの怒りがこみ上げる。
すると男の子たちがなんでもないようににかっと笑った。
「仕方ないよ。俺たち徑民だもん。誰も関わりたがらないよ」
当たり前のことのように、彼らはさらっと言った。
「姉ちゃんだけだよ。俺らのこと心配してきてくれたの。
後の人たちはみーんな野次馬。
助けてくれる気はないんだよ」
竜人の子があきれたような声を出す。それでも、別段怒るふうでもなく、軽い口調だった。
……これだけ人がいて?
見回すと、人だかりができている。私たちだって、その人混みを縫ってここまで来たんだから。
みんなひそひそと小声で何かを話しているだけで、手を出そうとも、声をかけようともしない。
なんで?
同じ『人』じゃないの?
この子たち、この人たちは、徑民というだけで何もしてもらえない。むしろ蔑まれる。
ここは、それが当たり前。
当たり前の治療が受けられない。当たり前の生活ができない。
それも全部徑民だから。
どうして?
結局、すべて弱い人たちがかぶるんだ。
王とか貴族とか、市民とか、そうした身分の人たちの身勝手な失政のツケを、人為的に作った弱者に全部をおっかぶせて、当たり前のように生きている。それがごくごく普通のこと。
……。
今、自分の顔は見たくない。きっと、ひどい顔をしている。
眉をしかめて、目を吊り上げて、口はむっとしているだろうね。
「あなた、帰っていいわよ」
後ろで突っ立っている学徒に言った言葉は、自分でも驚くほど冷たかった。
学徒はどうしようか一瞬躊躇していた。ここの学問所のシステムで考えるなら、徒弟が親方の命令に背くようなものだ。
しかし、それよりも何よりもここにいることの方が嫌だったようで、私をちらりと二度ほど見ると、「では」と恥ずかしげもなく踵を返し、走っていった。
ため息をついて空を見上げると、夜空の星がきれいだった。
その星を見ていると、自分が怒っていることもバカみたいに思えてくる。
怒っても現状はよくならない。
「しょうがないか」
ため息交じりの言葉を聞いて、男の子たちが心配そうに顔を覗き込んでくる。
安心させるように子どもたちに向かって笑顔を作ると、さて、と呟いて両手で自分の頬を叩いた。
子どもたちがぎょっとして、私の顔を伺うように見ている。
気合を入れますか。
私、単なる高校生なので、簡単な応急手当しかできません。
それでも、やるしかありません!
私は、自分の腕(ないけどな!)だけを信じて、怪我をして蹲っている人たちのところへ向かった。
幸い、自分の見立て通り、とりあえず足をかばっていた人は骨折だった。
骨折なら何とか応急手当てできるから、あえてその人を先にした。
それでも重症だ。骨折した人は幸い足だったから、添え木を当てる。
清潔な布を使いたかったけど、ここで一番清潔そうな布が、私の上着しかなかったからどうしようもない。
ここでマントを外して、羽織っていた上着を脱いだ。
王宮謹製だからね、かなりの上物ですわ。
いや、さすがに王宮では作ってないか。
王宮御用達! ってとこですな。
麻でできた下着に、と言ってもかなりたっぷりしたワンピースなんだけど、それにマントを羽織った姿で上着を歯で裂いて、細いひも状にすると、添え木をぎゅっと縛ると固定した。
「ちょっと、見た目よろしくないけど、ごめんね」
骨折した男性は、顔を少しだけ赤くして照れたように頭を掻いた。
あとは胸を強打した人。この人が一番重症だと思う。胸を触るとひどく呻いたから、肋骨が折れているのでなければいいけど……。残念ながら、肋骨骨折や内臓の損傷だったら、私にはどうもできない。
高校生の保健じゃ、残念ながらそこまで習わない。骨折と心肺停止時の応急手当は、保健の授業で習ったものだ。
仕方ないので、痛む場所を冷やし布で固定した。今の自分にはそれしかできない。あとは、誰か手当してくれる人を探すしかない。
他の人は腕の裂傷や、足の捻挫のようで大したことはなさそうだった。傷口を洗って、布で押さえて止血してそのまま布を巻いて固定する。捻挫は水を浸した布で冷やしてあげた。
本当に何もできずに自分でも情けなくなった。
それでも徑民の人たちは、口々にお礼を言ってくれた。
「姉ちゃん、すっげ~!」
竜人の男の子が笑う。
「すっげ~って、ろくなこと出来なくてごめん。医者だったら、もっとテキパキできたのに……」
「医者なんて診てくれないよ~。姉ちゃん、徑民には見えないんだけど、何者?」
男の子はいたずらっぽく片目をつぶって聞いてくる。
「何者……ねえ。しいて言うなら、迷子?」
妾妃です! なんて自分で名乗るのはおこがましいし。
神殿から来ました! なんて言ったら、期待させちゃうし。
異星人です! ……却下。
「街には、民間の医者っていないの?」
「民間? 医者ってのは、神殿の学問所にいるんだよ。病気の人やけがの人は、みんな神殿が診てくれるんだ。お医者ってのは、学問所に行かなきゃなれないんだよ」
男の子が説明してくれた。
……じゃあさっきの学徒は、正真正銘医者ってことじゃないか! そいつが職務放棄していいのかよ!?
「……ファン先生も、カフド博士も、教育がなってないんじゃないの!?」
あのおっさんたちが元凶かよ。
ちっと舌打ちをする。
……教育?
そうだ。この国は勉強は学問所でしか出来ない。しかも貴族じゃないとダメ。だったら貴族が、自分の所有物だったのに逃げ出したかもしれない銭泥棒である奴隷を、助けたがるわけがない。
身分制度の弊害だ。だってここの人たちは、自由や平等という概念自体知らないんだもん。
もし、そういった概念があるということを教えたら、人々の意識の中に自由と平等は根付くんだろうか……。
私は近くで遊ぶ徑民の子どもたちを見た。
今すぐには無理でも、この子たちの世代なら……。
私は胸元のマントを掻き抱いた。
それからしばらくは、崩れたスラムの前にいた。徑民たちが崩れた石をどかしたりするのを手伝いながら、胸を怪我した男の人の様子を見た。
怪我をしても粗末な布に寝かせるしかない。本当だったら、体を半分起こして何かに靠れかけさせてあげるのが楽なんだけど、そんなふうにできるものもなかった。
すると、表通りがにわかに騒がしくなった。
どか、どかっという規則正しい音が、通りを隔てた向こうのあたりから聞こえる。それからすぐに音は止んだ。
「ウラヌス・カーリが市街へご視察にいらしているらしいぞ!」
男の人がこちらへ向かってそう大きな声を出した。どうやら、この地震で市街が崩れたと聞いてウラヌス・カーリ自らが視察に現れたらしい。
やば、こんなとこ見られたら、また何言われるか……。
しかも、こんな姿じゃん。
自分の格好を見ると、下着姿にマントという、「おまわりさーん、変質者いますー!」って言われる格好だ。
ひえ~~!
見つかる前に退散しないと。
というわけで、私は急いで帰路に就いた。
にしてもさー、うら若き乙女が(今日二回目)下着で一時間かけて帰宅(家じゃないけど)って、どういう羞恥プレイなんだか……。
ああヤダ、泣けてきました……。




