第二十七話
サイスさんのおかげで、なんだかほんわかした気分で学問所へ戻った。
サイスさんが学問所の扉の前まで送り届けてくれたから、迷わずに済んだ。帰り道、頭を抱えながら急に休暇をもらったから、同僚に怒られる、と頭を抱えていた。
扉の前で別れて、鼻歌交じりに部屋に入ると、やはり先生たち二人が待ち構えていた。
「サイス殿は、妾妃に手を出したのか? 王に殺されるな」
ファン先生が笑う。
「……そんなこと、あるわけないでしょう」
眉間に思いっきり力を入れる。
「そ・れ・よ・り」
おっさん(カフド博士)が弾んだ声を出して近づいてくる。
おい……。
「カフド博士、なんですか? いい年した大人がきゃっきゃしてもだめですよ」
冷めた目で見ると、カフド博士はにやりと笑う。
「君の世界での、医術はどれぐらいのレベルなのかね?」
そう言いながら、銀色のトレイに乗った注射器みたいなのを手にしていた。
朝、サンプル取らしてとかって言ってたっけ。この人。
注射器は平べったいプラスチックの容器みたいな本体に針が付いている。
消毒して、ちくっと刺された。
「おお、血が赤い」
カフド博士が大仰に驚いてみせる。容器に血が流れている。
採血したのか。
「当たり前でしょ。博士たちは緑色なんですか?」
すると、先生たちは答えない。
え、ええ!! もしかして……。
お約束の緑色ですか!?
「もしかして、本当に緑?」
恐る恐る聞くと、ファン博士は苦笑している。
「そんなわけがない。どうやら血液の成分は同じようだね」
カフド博士が採決の終わった注射器を腕から抜く。それを見て、ファン先生が言った。
そ、そうか。よかった……。
いくらなんでも緑じゃないよね。
「いろいろなことを調べさせてもらおう。君は貴重な実験体だからね」
カフド博士が笑う。
「……ちょっと待って。私、私を帰してくれるなら、協力するって言いましたよね。
帰れないとなった今、先生たちに協力するのももったいないかも……」
わざと意地悪くいうと、カフド博士がしょげる風を装う。
「あはは。それもそうだ」
ファン先生が豪快に笑う。
「では、こうしよう。私は君の知恵がどれほどのものか知りたい。
というのもだね、このケペルは……」
人差し指を立てて話していたファン先生は、ぴくりと動きを止めた。
ん?
と顔を上げると、足元が震えた。
え……
カタカタカタカ
建物が揺れて、小さな音を立てている。
顔を上げると、机の上の物が、棚に置いてある書類が、小さくカタカタと揺れていた。
「あ、地震」
周囲の物が落ちてこないか、あたりを見回す。
幸い、地震はすぐに納まった。
「たいしたことなくてよかったですね」
椅子に座って顔を上げると、二人の先生は真っ青になってこちらを凝視していた。
え?
なに?
「なんだ? なんだ、これは!?」
口を開いたのは、カフド博士だった。
額に手を当てて、あたりを一つづつ見回している。
「え? え?」
こんなの、地震でしょ。大した揺れじゃないし、そんなに驚くほどのことはないけど……。
二人の先生が驚いていると、左側の扉が開いた。
「先生! 何ですか、今の!?」
入ってきたのは、私と同じくらいの男の人だった。それから他にも駆け込んできた。
何ですか、今のって、地震のこと?
きょとんとしていると、ファン先生が慌てて部屋のすべての扉を開けた。
しばらく耳を澄ましていると、どうやらこの部屋の外は騒ぎになっているらしい。
「君は、今のを知っているのか?
大地が、震えたぞ」
ファン先生の顔が真っ青だった。
「え? はい。知ってますケド……」
……もしかして、この星って地震ないの?
だって、後ろに火山があるじゃないの。それなのに、地震がないの?
「地震でしょ? 大地が震えるってそのまんまだけど。
地下の地盤がずれて起こるんですけど……」
すると、先生たちは神妙な顔をした。
「これが、これが地震か!?」
ファン先生が棚をあさる。
「理論上は知っていたが、こんなふうになるとは。
我々は初めて地震というものを体験したぞ。なるほどな!」
カフド博士の目が輝いている。
「今の、大体震度2ぐらいだろうから、そんなに心配ないと思いますけど……」
「体感で、震度もわかるのか!?」
カフド博士が驚く。
「まあ、地震大国に住んでましたから。
震度2ぐらいなら心配ないとは思いますけど、その様子を見ると、建物は耐震設計じゃないですよね。石が崩れたりしてないか、見に行った方がいいかもしれません。行きましょうか?」
この神殿は断崖をくりぬいて作ってあるから壁が崩れたりはしないだろうけど、市街の方が心配かも。もしかしたら、石造りの建物が崩れているかもしれない。
「大丈夫だ。すぐに、人をやるから」
ファン先生は、そこにいた学生に、手分けして学問所内の様子を見てくることを命じた。
「カフドはそこに残って報告を聞いておいてくれ。私はトゥヤと神殿の様子を見に行く」
ファン先生は私を見ると軽く頷いて、ついてくるように促した。
外に出ると、やはり神殿内は大したことがなかったみたい。
それよりも、人々の方が驚き、騒いでいる。
けが人もいなかったようだ。
「先生! 何です、これ?」
制服を着た衛兵がファン先生に駆け寄ってくる。
「ああ。地震だ。心配ない。竜騎兵はとりあえず、神殿内の安全を確認してもらえないだろうか。私たちも様子を見に行ってみるが」
「じしん? 何ですか、それは」
衛兵も不思議そうに尋ね返した。
「地面が揺れることなのだ。この大地が生きている証拠だ。何ともないよ」
「大地が生きている??」
先生の言葉に、若い衛兵は聞き返してきた。
「そうだ。我々の先祖も地震を体験していた。心配することはない」
先生が衛兵に心配させまいとして、努めて明るく言う。
そっか。地震て、確か日本は頻発するけど、ヨーロッパあたりじゃ少ないんだっけ。
プレートが衝突したりしなきゃ、地震って起きないはず。
「……まずいな」
ファン先生が小声で呟いた。
「何が、ですか」
聞き返すと、ファン先生は片手を軽く振る。
「ああ、なんでもないよ。落ち着いたら、話そう」
そのまま歩き続ける。
だけど、ファン先生の口数は少なくて、顔が険しい。
着いたのは、神殿の中の祈りの間と言われる所だった。
白い服を着た人たちがたくさんいる。
「あれは、神官達だよ」
ファン先生が教えてくれた。
「神官方、何もありませんでしたか?」
ファン先生が片手を上げる。
「博士! あれは、あれはなんですかな?
悪魔の仕業でしょうか?」
ファン先生の姿を見て、白い衣をまとった人の中でも、頭に金色の冠をかぶった人がファン先生の前に歩み出た。
「これは、神官長。違います。大地の震動です。この星が生きている証拠ですので、何事もありませんよ」
丁寧に説明するファン先生に、神官たちは頷いている。
「ああ、では、とうとう……」
神官達の一人が呟く。
「ウラヌス・ラーの御即位式がもう間近だというのに!」
「いいえ、間近だからではございませんか?」
「ウラヌス・ラーの予言どおりですね。
大厄災の前触れというのでしょうか」
神官達がさざめく。
「それについては、後程説明させていただきます……」
ファン先生の声が、やけに暗かった。
「先生? どういうこと?」
ファン先生の袖を軽く引く。ファン先生は、右手で自分の顔を覆った。
「すまない、トゥヤ。
どうあっても、君を巻き込んでしまうようだよ。この星は……」
ファン先生の顔は、真っ青だった。
「とりあえず、大神官と神子はご無事ですか?」
ファン先生が確認すると、神官長が頷いた。
「大神官は、すでにお隠れあそばされていることになっている御身様ですから……。ウラヌス・ラーも聖なる間で神の声をお聞きです」
ファン先生は真っ青な顔をして、学問所へ戻った。
衛兵の報告によると、市街の方で崩れたのはほとんどがスラム地区だったそうで、市民にはけが人も出なかったそうだ。
徑民たちは無事なのか尋ねると、徑民のことまでは分からないらしい。
子ども達が無事だといいけど……。




