第二十三話
一人でとぼとぼと自分の部屋に帰った。
今日は誰にもついて来てもらわなかったから、一人で歩いた。
イゾル達はどちらかが付くと言っていたんだけど、護衛兵がいるから大丈夫だって無理やり押し切ったんだっけ。
こんな顔を見られなくて済んでよかったと思いながら歩く。部屋の前で、涙をぬぐった。
よし。
気合を入れて、部屋に入る。
イゾルにも、シャナヤにも、イコにもばれないようにしないと。
「ただいまー」
扉を開けて中に入ると、みんないつも通り迎えてくれた。
それがあんまり幸せな光景で――鼻の奥がツンとした。
だって、この幸せな光景は王様がくれたもので。
私、王様に守られてずっと幸せに暮らしていた。
そりゃ、こんな妾妃なんて肩書きで居座ってるんだから、嫌がらせだってされるし、見世物みたいにじろじろ見られたりもした。バカにされたり、変な噂立てられたりもした――でも、こうやってこの部屋の中にいたら、何も感じられないくらい幸せだったのに。
イゾルとシャナヤとイコとモウモウと楽しく暮らしてた。
王様が訪れるのを待って、王様との掛け合いはいつも会話がかみ合わなくて。
でも、それでも楽しかったのに……。
「トゥヤ様、もう間もなく夕食ですので、お召替えを」
外から帰ってくると、重たい上着を脱いで、簡単なワンピース風の上着になる。外出着より素材の軽い、柔らかい生地のものだ。
「……ありがとう、イゾル」
「いかがいたしました?」
イゾルに突然聞かれて、はっと顔を上げる。
「えっと、なんかおかしかった?」
「いいえ。わたくしたちが何かをするといつもお礼をおっしゃるトゥヤ様ですから、いつも通りと言えばそうなのですけれど、なんだか、いつもよりもお声が沈んでらっしゃる気がして」
困ったような顔をして、イゾルが言う。
「え……?」
そ、そっか。
声が沈んでいたか……。
「あはは、気のせいだよ」
笑ってごまかして、急いで着替える。
着替えの途中、涙が出てしまって持っていたハンカチで拭いたのは秘密で。
何事もなく食事をして、食後のお茶を飲んで、イゾルとシャナヤと雑談をする。
シャナヤに促されて、お風呂に行くことにした。
ここのお風呂は共同のお風呂になっていて、お風呂と言ってもとっても広い。よくあるお風呂屋さんみたいに広い。白い石でできた大浴場のほかにも、それぞれの意匠を施した豪華なお風呂がいくつかあった。
シャナヤがあいているお風呂を案内してくれて、お湯にのんびり漬かった。こういう時、侍女は脱衣室のようなところで控えている。
とりあえず、一人になれてよかった。
さっきの出来事を思い出すと涙が出そうになるから。
泣いたら、絶対二人にどうしたのか聞かれる。
だから、泣いちゃだめだ。
……それでも、思い出すのは王様の顔ばっかり。
初めて会ったときは、ただ怖かった。
王宮のパーティでは、逆鱗に触れて鞭で打たれたりした。
――あり得ない……今考えると……。
いや、えーと、そうじゃなくて。
話が聞きたいと言って、夜毎やってきたこと。
あれから、怖くなくなったんだ。
お礼にモウモウを持ってきたこと。
初めての贈り物だった。
あとで聞いたら、からかうつもりで持ってきたのが、面と向かって喜ばれたので、驚いたそうだ。
後宮の外へ出ていいと言われたこと。
毎日の報告を興味深そうに聞いていた王様。
初めての外出ではおみやげにラッカを買った。王様のために初めて選んだおみやげ。
あの時は王様が喜んでくれて、嬉しかったっけ。
短い期間だと思ったけど、こうしてみるといろいろ思い出もあるんだな。
思い出してると涙がまた出てきたから、お湯で顔を洗ってごまかした。
「トゥヤ様、そろそろお戻りになりませんと」
シャナヤに声をかけられて、返事をした。
身支度を整えてもらい、部屋に戻る。
後宮の中でも下の階の中央にあるお風呂から、最上階の一番端っこにある私の部屋に行くには結構時間がかかる。
なぜ、個室にお風呂つけてくれなかったのかな~。改善点だな、こりゃ。
改善点……そんなの、もう私には関係ないか――。
「なんだか今日のトゥヤ様は、思いつめていらっしゃるのですね」
シャナヤに言われて、顔を上げた。
「え? なにそれ」
務めていつも通り、平然と返してみたけど、シャナヤが眉を顰めている。
「やっぱり、ヘンです。何かありました? 今日」
「や! 何もない。うん、ほんとに何もないよ」
慌てて訂正してみるけど、しどろもどろだった。
「……何ともない様子ではございませんが、これ以上はお尋ねしない方がよさそうなので」
「……そうしてクダサイ」
するとシャナヤはふう、と深く息を吐いてから歩き出した。
階段を上ると、すぐ目の前にご正妃の部屋がある。今ここを使っているのは、フィナ姫。シャナヤと二人で階段を上がっていると、上がりきったところに人影が見えた。
「あら?」
シャナヤが声を上げる。
そこにいたのは、クアンさんだった。
それが意味していることは、たった一つ。
周囲には、フィナ姫の部屋に入っていったのを確認して噂する側妃や室妃の姿があった。
「ほら、やはり陛下はフィナ姫をお召しになるのですわ」
「そりゃ、そうよ。フィナ姫はご正妃になられるのですもの」
「フィナ姫に訪れがあったのなら、私たちもチャンスはあるんじゃなくて?」
姫たちが姦しく、これ見よがしに噂をする。
自分が、震えているのが分かった。
そっか……。
やっとわかったよ。
クアンさんが部屋に入り、フィナ姫の部屋の扉が占められる。
そこに、王様がいるんだ……。
王様は今日、フィナ姫と過ごすんだ……。
「トゥヤ様!」
シャナヤが叫んだ。
ぱたぱたぱたと、着替えたばかりの衣装に涙がこぼれてた。
「あ、あれ? ヤダ――ヤダな、こんなつもりないのに」
慌てて涙をぬぐう。
……私、痛い。
胸が痛い。
初めて、わかった。
――私、王様が好きだったんだ――
今更わかっても、もう遅い。
あの時、王様は私を振りほどいた。
私はもう、ここにはいられない……。
「トゥヤ様、お部屋へ戻りましょう」
シャナヤに促されて、部屋へ向かう。私の後ろ姿に、他の妃候補の姫君たちの言葉が飛んできたけれど、何を言っているのか、さっぱり耳には入らなかった。
部屋に戻ると、泣き顔の私を見て、イコが心配して駆け寄ってきた。
イコは声をかけてはいけないとイゾルから言われているので、どうすればいいのかわからず、おろおろと私の顔を覗き込んでいた。
その様子がかわいくて、少し心が和む。
「心配してくれるの? ありがとう、イコ」
頭をポンとなでると、イコが微笑む。
「いかがいたしましたか? トゥヤ様」
イゾルが真っ青になって駆け寄ってくる。
「……なんでもないよ。大丈夫」
笑顔を作ってイゾルを見る。イゾルは泣き顔の私に、そっとハンカチを渡した。ここにもハンカチは存在していて、胸元にしまっておくようになっている。
イゾルとシャナヤが話している。
私は聞かないように、リビングルームのソファに腰かけた。すぐにイゾルがお茶を運んでくる。
私、王様を好きになるってどういうことかわかっていなかった。
王様は複数の妻を持つ。
そんなの、こちらでも当たり前のことなんだ。
平等に、後宮にいる女の人を愛さなくてはいけない。
だから、こんなの当たり前のことだから。
泣いちゃいけない。
泣いても、どうにもならない。
だけど、それがここで生きることなら、私はここでは生きられない……。
他の人を愛する王様を見ているのは、やっぱり辛いから……。




