第十八話
「王都パルムールって思ったよりも大きな都なんだね」
イゾルと話しながら、白い大門の前に立った。こっちは王宮の正面入り口。こっからパルムールへ広がる大通りがある。そこから環状に通りが繋がっていて、後宮に入るには、左に曲がり、東の飾り門から 入らなければいけないらしい。
王様から許可をもらった初めての外出。いろんなことがあったから結構疲れたな。
それにしても、あのおじさんは誰だったんだろう。名前聞くの忘れちゃった。
ラッカ代にお金をもらって、貨幣のことももっとちゃんと聞いておけばよかったかも……。王様に聞いて、教えてくれるかな? なんか、金貨以下のことには頓着しなそう。
なんてことをぐるぐると考えながら、通りを歩いていく。
東のアーチ状になって、石を削って細かい装飾がなされている後宮門をくぐる。ここで、後宮監督官に入門の記録を取ってもらわなければいけない。門番に声をかけると、すぐに後宮監督官が姿を現した。
あれ?
監督官って何人もいたっけ??
今朝まで、私前に姿を現していた後宮監督官は、おなじみの竜人の監督官だったけど――。
姿を現した後宮監督官は、今まで見たこともない猿人だった。
「これは、妾妃トゥヤ様ですね」
私の目の前に立った人が、にっこりと目を細める。
「わたくし、本日より後宮付き監督官となりました。以後、お見知りおきを」
手のひらをこちらに向け、丁寧にご挨拶をしてくれる。
えーっと……。
そんな急な配置替えって、この国では普通?
ぱっとイゾルの方を見ると、イゾルも腑に落ちない顔をしていた。
ま、まさかね――。
王様が後宮監督官の(あ、もう前監督官か)、「妾妃、ショタ好き」発言を知っていたわけがあるまいし……。
思わずイゾルと顔を見合わせてしまった。
二人の顔が、「ま、まさかね……」と言っているように思われるのは、気のせい――じゃないかもしれない……。
新しい後宮監督官に「よろしくお願いします」と声をかけて、部屋に戻った。
部屋の扉を開けると、すぐにシャナヤがリビングルームから姿を現した。脱いだローブをシャナヤが受け取ってくれる。
「お帰りなさいませ、トゥヤ様。あの、先ほど後宮監督官が挨拶に見えられましたが……」
シャナヤに声をかけられる。
「入口で会ったよ」
「左様ですか。な、ならよろしいんです。シャナヤはちょっと驚きましたケド」
あはは――
私も大変驚いたケド……。
「それよりも、えーと、陛下がお見えになられております」
ぱっと顔を上げたシャナヤが、目をそらした。
おおい、なぜそこで視線を泳がす!?
良くない予感がいたしますよ……。
「……大変、ご立腹です」
静かなシャナヤの声が、部屋に響いた。
ええー、帰ってきた早々、なんで?
ここはリビングルームの前の廊下。隣にシャナヤとイゾルのための侍女の部屋と、その反対側に物置兼、イコの部屋になっている。あと二つほど部屋がある。いろいろ使っていいらしいけど、私の荷物はほとんどないから、今は閉じられている。
ちらりと正面の扉を見る。
ここの扉開けるとリビングだから、入りたくないなー。
やだなー。
イゾルが何事もなかったように部屋の扉を開ける。
ちょ、ちょ、まだ心の準備が!
仕方ないから部屋に入ると、いつも通り王様がソファにどっしりと腰かけている。隣に控えているクアンさんもいつも通り何事もないように立っている。
「……陛下、いつも通り神出鬼没で……」
「ようこそお越しくださいましたであろう?」
陛下は何事もなくつぶやく。シャナヤがお茶を入れていたらしく、暖かい湯気がカップから立ち上っていた。
……。とりあえず、正面の椅子に腰を掛ける。
シャナヤがお茶を入れてくれたのでお礼を言って、一口飲んだ。
ああ、ちょっと落ち着く。
目の前に王様がいなければ、もっとだけど……。
「王様、ひとつお尋ねいたしますけど……。
後宮監督官が急に代わられたようですね」
「ああ。後宮は竜人で偏っている。良く無い兆候だと思ってな」
シャナヤが入れてくれたお茶を飲みながら、王様が静かに言う。
「で、なんでいつも部屋の主の許可もなくいらっしゃるのでしょう?」
「部屋の主の主は余だからな」
王様は平然と言う。……そうだよね。後宮自体が王様の持ち物だもんね。
「ご立腹だってお聞きしましたけど」
「かなりな。そなたの顔を見るまでは怒りにまかせて何をするかわからなかったが……、
その顔を見て、怒る気も失せた」
カップを置いて、ため息をつく。
「……えっと?」
怒られるようなことしたかな~??
「衛兵から様子を聞いた。
デケンスの息子に喧嘩を売ったそうだな?」
デケンス?
ああ、ポンと手を叩く。
「あれは、向こうから売ってきたの!!」
「飛び込んだのは、そなたであろう! 徑民のことなど、放っておけばよいであろう!」
王様に手首を掴まれる。
「あ、徑民て何?」
さっきも徑民って聞いたけど、いまいち何のことかわからなかったんだよね。
「徑民とは、もともと都市の住人ではない人々のことですね。領主のところを抜け出して、都市に集まってきた農奴上がりの浮浪者のことを指します。城壁の向こうのまっすぐ延びる街道に溢れた農奴なので、徑民というのですよ」
クアンさんが丁寧に教えてくれた。
いい人……。
「へえ。城下に向かって延びる街道は、たいていまっすぐなの?」
「左様でございますよ。これは、街を作るときに効率が良かったのでしょう。都市の城壁の正面の街道はたいていまっすぐです」
「へええ」
素直に感心していると、隣で舌打ちが聞こえた。
「徑民のことはよい!」
いらいらと王様の声が大きくなる。
むっと顔をしかめる。
「徑民だって、王様の国の民ではないのですか!?」
言い返すと、王様の顔がぴくりと痙攣した。
やば……。刺激しちゃったかな……。
王様、怒ると怖いし……。
「労働を放棄し、土地を放棄した者を民とは呼べぬ。あれは己から自らなすべきことを放棄したのだ」
「農奴ってことだから、奴隷なのでは? そこにいられないほどひどい扱いだったりするのではないでしょうか!?」
「奴隷というのは買い入れるものだ。贖いの分、労働するのは当たり前だろう!」
「買った金額よりもひどい労働させているのではないですか!?」
「余の物ではないから知らぬ!」
「それよ! それが嫌。人が人を物みたいに買うこと自体が、私には信じられません!! あなたも私も同じ人なのに、なんでお金でやり取りするのですか!?」
「そなたは牛や豚を買わんのか?」
「だーかーら!! それ!! 私の中では牛と豚と人は一緒ではありません!」
「奴隷は同じだ。どれも人のために働く」
王様の言葉にため息をつく。
これだ。この考え方の違いが平行線なんだ。
「私のいた国では奴隷なんていませんでした。
徑民を奴隷じゃなくて、労働者として雇って賃金を払ったら、そこから一人一人税金が取れるのではないですか? そうすれば戸籍が持てて奴隷じゃなくなる」
そうすれば、奴隷でいる必要がなくなる。
奴隷として土地を手放したことがいけないのなら、もう一度組み込む策を作るべきだ。
街を見て思ったけど、逃げた民がスラムに溢れるのは治安が悪化するだけだ。
働く手段がなかったら、人はお金を得るために悪事に手を染めることになる。それしか手段がなくなってしまうのだから。
街で助けたあの子たちだってまだ小さかった。これからいろんなことを身につけて国の労働力になれる存在だ。それを無為に日々を過ごすことほど、もったいないと思う。
すると、王様は何やら考え込んでいる。
「ふむ……面白い意見だな」
おや?
王様が素直に聞くなんて、珍しい……。
「先日、貴族が持つ領内の農地のない商業都市に関して自治権を与えた。
国の直轄地となし、独立させるのだ。
市政は基本自治とし、国から兵を派遣し、都市を守る。
その分都市から税金を徴収し、国庫へ納められる」
王様が言う。
税金の仕組みがどうなってるのかはちょっと私の頭じゃ難しいことは分からないのでおいておいて。
「そうすれば、都市の富は国に集中する。領土を持つ貴族たちの力を抑えることができる」
「それでだ。今、貴族たちはそうした状況に不満を抱いている。
王都でも貴族が大きな顔をしてうっぷんを晴らしているのならなおのこと危ない。
そなたも少し自重しろ」
王様は私の手首を握った手に力を込める。ふうっとため息が混じるのは、言っても無駄だと思っているのかもしれないけど。
うう、流れで怒られてしまった。
それから王様は私の手首をつかんだまま、何やら考え込んだ。
「都市に関しては、奴隷制を廃止し、自由民として取り扱うのもいいかもしれん。その代わり、すべての都市民が税を納める。ふむ……」
なるほどな、と一人で考え込んでいる。
あれ?
王様が言ってるのって、中世ヨーロッパの自由都市の仕組みに似てる。
私、中世ヨーロッパ史で習ったよ。
「都市の空気は自由にする」じゃなかったかな。
確か農奴が都市に逃げ込んで一年たつと自由になれるってやつ。
それで都市の人口が増えて、商業が発展したってやつ。
ん~と考えてみたけど、難しいことは分からん。
とりあえず、この話はこれでいいや。これ以上は頭がパンクする。
「そうだ。王様、私おみやげがあるんです」
帰ってきたら渡そうと思っていたのに、いきなり怒られたからすっかり遅くなってしまった。
難しい話がひと段落したから、確かポケットに入れたと思うんだけど……ごそごそとスカートを探す。
あった。ポケットから取り出す。
「これ。王様にお土産買おうとしたら、かごいっぱいになっちゃったんです。私、銀貨一枚であんなにいっぱいもらえると思わなくて。本当は、一個か二個だけでよかったんだけど……。
持って帰れなくてイゾルと二人で困っていたら、かごごともらってくれた人がいたんですよ。
その人にみんなあげちゃったんだけど、これだけは王様へのおみやげです」
手のひらにラッカを乗せる。
つやつやに光ったラッカ。一番きれいな色のをおみやげにとっておいたんだ。
「……これは?」
「街で初めて見た、ラッカです。王様はたぶん見慣れているかもしれないけど、
私は初めて見たものだったから、ちょっと嬉しくて。
こんなつまらないものでごめんなさい……」
ラッカを差し出すと、私の手のひらから王様がラッカを持ち上げた。
「余のために選んだのか?」
「ええ。一番赤くて、艶のあるものって」
えへっと笑うと、王様が私をまじまじと見つめていた。
「……ラッカ、嫌いでした?」
じっと見つめる王様に、ちょっと不安になる。
すると、王様がふっと笑った。
「いや。懐かしいな。昔、城下に抜け出した時によく食べていた」
王様は「そうか」と短くつぶやいた。
そして、片手を私の背中に手をまわし、自分の方へ引き寄せた。
え?
ええ??
「怪我がなくてよかった」
耳元でささやくように言われて、思わず赤面する。
……お、王様……。
すっぽりと王様の片腕の中に納まった私は、身動き一つとれなかった。
――緊張で。
や、やばいです……。
こんなシチュエーション……。
王様、不意打ちです。




